セルウィウス城壁(セルウィウスじょうへき、ラテン語: Murus Servii Tulliiイタリア語: Mura serviane)は、紀元前4世紀初め、ローマを取り囲んでいた防御用城壁である。壁の高さは最高で10mで、基部の幅は3.6m前後、全周は11kmである[1]。16の大門があったとされているが、その多くは文献に記されているだけで、遺構は発見されていない。

セルウィウス城壁
Part of ローマ
イタリア
ローマ・テルミニ駅の近くに現存するセルウィウス城壁の一部
セルウィウス城壁(赤線)とその門を示したローマの地図。黒線は3世紀のアウレリアヌス城壁
種類城壁
地上高最高10m
施設情報
一般公開公開されている
現況部分的に現存
歴史
建設紀元前6世紀
建設者王政ローマの王セルウィウス・トゥッリウス
建築資材凝灰岩
主な出来事第二次ポエニ戦争
駐屯情報
使用者ローマ人

歴史 編集

その名称は王政ローマの第6代の王セルウィウス・トゥッリウスに由来する。城壁の原形となるものが作られ始めたのは紀元前6世紀だが、現存する部分の多くは共和政ローマ時代のものと見られ、アッリアの戦いのころガリア人ブレンヌスがしばしばローマで略奪を繰り返したため、それを防ぐ目的で建設されたといわれている。ガリア人がローマに簡単に侵入できたのは、王政時代のエトルリア人支配者が城壁を徐々に取り除いてきたためと推測される。

構造 編集

凝灰岩の大きなブロックで作られており、初期のローマと覇を競っていたウェイイの近くにあった Grotta Oscura 採石場で採取された石を使っていた。さらに城壁の前に深い溝を掘って、実質的な壁の高さを高くすることも行われていた。地形的に弱点だった北辺の壁は土塁で、壁の内側に土を積んで斜面にしていた。こうして厚くした壁で攻撃をはねつけ、守備兵が壁の上から攻撃できるようにした。城壁にはカタパルトなどの兵器も配備されていた。

使用 編集

セルウィウス城壁は、第二次ポエニ戦争の際にハンニバルを手こずらせたほど堅固だった。ハンニバルは象を引き連れてアルプスを越えてイタリアに侵入し、当初はローマ軍を次々と打ち破って進撃した。しかし、ハンニバルが壁を破ろうとしたのは紀元前211年の1回だけであり、カルタゴ軍を引き連れてローマを包囲したのは、カプアからのローマ軍をひき付けるための一種のフェイントだった。この計略が失敗に終わると、彼は軍を引き上げさせた。

セルウィウス城壁は共和政末期からローマ帝国初頭まで保持された。そのころには市街地が城壁の外まで拡大していた。アウグストゥスが定めたローマの街区のうち、2区、3区、4区、6区、8区、10区、11区がセルウィウス城壁内で、他の街区は外にあった。

ローマは共和政時代から帝政時代にかけて拡大し続けたため、ローマ自体に敵が迫るということはありえず、そのため城壁は不要となっていた。ローマも発展し続け、3世紀初頭には事実上無防備になった。しかし、そのころからゲルマン民族がローマの近くまで迫るようになり、皇帝アウレリアヌスがより広範囲を囲むアウレリアヌス城壁を建設することになった[2]

現状 編集

セルウィウス城壁の一部はローマのあちこちに現存している。特に大きく残っている部分はローマ・テルミニ駅の北西端で五百人広場イタリア語版の角にある。短い区間だがマンフレド・ファンティ広場(Piazza Manfredo Fanti)の旧ローマ水族館イタリア語版前や、アルビーノ広場英語版にも城壁跡がある。このアルビーノ広場に現存する部分には、共和政末期のカタパルトの射出口用アーチがある[3]

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エスクイリーナ門は元々はセルウィウス城壁の門だった。ローマ帝国後期にはガッリエヌスの門と呼ばれ、ラビカナ街道ティブルティーナ街道の起点だった。

以下の一覧にある門は、建設当時にあったと思われるもので、西端から時計回りに記している(多くは文献から名前と位置がわかるだけで、遺構は見つかっていない)。

脚注・出典 編集

  1. ^ Fields, Nic; Peter Dennis The Walls of Rome Osprey Publishing; 10 Mar 2008 ISBN 978-1846031984 p.10 [1]
  2. ^ Watson, pp. 51-54, 217.
  3. ^ A Tourist in Rome - Servian Wall and Gates

参考文献 編集

  • Watson, Alaric (1999). Aurelian and the Third Century. Routledge. ISBN 0-415-07248-4 
  • Coarelli, Filippo (1989). Guida Archeologica di Roma. Arnoldo Mondadori Editore, Milano 

外部リンク 編集