タギーヒンディー語 ठग्गी ṭhagī)は、かつてインドに存在した強盗殺人を専らとする秘密結社である。犠牲者をヒンドゥー教の死の女神カーリーへの供物として殺害を行った。

タギーのメンバー(1857年に掲載された新聞の押絵)
タギーのメンバー。1863年、撮影

英語ではサギー(thuggee)あるいは短縮してサグ(thug)。現代英語では thug は犯罪者の一般名詞でもある。

概要編集

タギーのメンバーの多くは世襲であり、情報を秘匿するために仲間との意思疎通には独自の言語を用いていた[1]。カーリーを崇める一方で宗教には寛容で、イスラム教徒もメンバーに含まれており、イスラム教徒とヒンズー教徒の比率はほぼ同等であった[1]。ターゲットは宗教や貧富に関わりなく選ばれたが、旅の商人の一行に紛れ込み、仲間が気を逸らせている間に音もなく血も流さず殺し、荷物を奪うことを常套とした[1]

タギーはカーリーへの供物として全ての信者に毎年1人以上の殺人を義務付けた。タギーの教義では、血はカーリーに捧げるものとされ流血を禁じていたため、殺害の際には絞殺に限った。 黄色いスカーフでの絞殺を得意とした。黄色いスカーフを使うのは、ヒンドゥー教の死の女神カーリーの神話による。カーリーがアスララクタヴィージャを倒す際、2人の人間にスカーフの切れ端を与え、ラクタビージャの首を絞めさせたという。 凶器がスカーフということは、持ち物の中に発見されても罪に問えない利点もあった。タギーはこうして蓄えた富で組織の維持を図り、また各地の有力者に財貨を送り、組織の安全を図ったとされている。

歴史編集

タギーの歴史上の最古の記録は、イスラムの歴史家ズィヤー・ウッディーン・バラニー1356年に著した『フィールーズシャーの歴史』の中に現れる[1]。 1550年から壊滅する1853年までに少なくとも200万人が殺害されたと推測されている。

イギリス領時代の19世紀半ば、植民地政府の役人で軍人のウィリアム・ヘンリー・スリーマン英語版William Henry Sleeman)が、イギリス統治下でも長くインド人の迷信と存在が信じられなかったタギーの実態を幾度にも渡る暗殺の危機にさらされながら暴き、1835年から自らがその撲滅の責任者となり2年間に渡る掃討作戦でタギーは壊滅した。逮捕されたメンバーの中には、1840年に刑死したベーラムという男が50年間に渡る犯行で931人の殺害に関与したと伝えられており、ギネスブックにも記載されている。

スリーマンの提出した詳細な報告書はイギリス本国の人々にリアルな殺人者たちの告白集として驚きと興奮を与え、タギーの名を借りた人種差別的な伝説が捏造されるようになった[1]マーク・トウェインもエッセイ『赤道に沿って』(1897年)の中で、タギーの魅力に取り憑かれたと告白している。

小説編集

  • 『蛇の王 ナーガ・ラージ』東郷隆、2005年、集英社
  • 『カーリー女神の戦士』山際素男、1989年、三一書房

漫画編集

映画編集

脚注編集

  1. ^ a b c d e アーサー・ゴールドワグ『カルト・陰謀・秘密結社大事典』 住友進訳 河出書房新社 2010年、ISBN 978-4-309-24528-7 pp.342-344.

関連項目編集

外部リンク編集

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