ダヴィド4世

グルジア王国の君主

ダヴィド4世グルジア語: დავით აღმაშენებელი, 1073年 - 1125年1月24日)は、グルジア王国の国王である。建設王と呼ばれる。

ダヴィド4世
დავით აღმაშენებელი
グルジア
在位 1089年1125年

出生 1073年
クタイシ
死去 1125年1月24日
トビリシ
埋葬 ゲラティ修道院
子女 デメトレ1世
家名 バグラチオン家
王朝 バグラチオン朝
父親 ギオルギ2世
母親 ヘレナ
宗教 グルジア正教会
サイン
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生涯 編集

当時、グルジア王国の首都だったクタイシで1073年頃に誕生した。バグラチオン家の一員であり、父親はグルジア国王ギオルギ2世であった。1089年、父親ギオルギ2世より王位を譲られ、16歳の時に国王になった。

治世中、長年にわたってコーカサス各地でセルジューク朝との戦いに費やす。ダヴィド4世は大幅な軍事改革などを行った。1121年8月12日にダヴィド4世率いるグルジア軍は、トビリシの西方40キロにあるディドゴリで起きたディドゴリの戦いでセルジューク・トルコ軍を撃破、決定的勝利を収めた[1]

その後、グルジア軍はコーカサスの南方に兵を進め、領域を拡大。さらに当時の主要都市アニ (現在はトルコ共和国カルス県内にあるアニ遺跡)を攻略した。また、1122年に首都をクタイシからトビリシに遷都している。

ダヴィド4世は大変に教育熱心であり、人々に教育を施した。学校や学院が多数建設され、特にゲラティアカデミーは名門であり、グルジア文化の中心地であった[2]。さらに、コンスタンティノープルに留学生を多数送り、グルジア王国の文化発展に尽力した。

ダヴィド4世は1125年1月24日に首都トビリシで死去。ゲラティ修道院に埋葬され、グルジア正教会によって列聖された。

関連項目 編集

出典 編集

先代
ギオルギ2世
グルジア
1089年 – 1125年
次代
デメトレ1世