チャック・タナー
アメリカの野球選手、監督 (1928-2011)
チャールズ・ウィリアム・タナー(Charles William Tanner, 1928年7月4日 - 2011年2月11日)はアメリカ合衆国ペンシルベニア州ローレンス郡ニューキャッスル出身の元プロ野球選手(外野手)、監督。左投左打。
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ペンシルベニア州ローレンス郡ニューキャッスル |
生年月日 | 1928年7月4日 |
没年月日 | 2011年2月11日(82歳没) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 185 lb =約83.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1946年 |
初出場 | 1955年4月12日 |
最終出場 | 1962年5月8日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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息子のブルース・タナーも元メジャーリーガー(投手)であり、1年だけシカゴ・ホワイトソックスでプレーしている。
経歴
編集1946年にボストン・ブレーブスと契約してプロ入り。チームがミルウォーキーへ移転後の1955年4月12日にメジャーデビューし、初打席で初球を叩いて代打本塁打を放っている[1]。1957年は準レギュラーで117試合に出場し、打率.279、9本塁打、48打点を記録した。ロサンゼルス・エンゼルスでプレーの1962年を最後に引退した。
引退後はマイナーでの監督を経て1970年終盤にシカゴ・ホワイトソックスの監督に就任した。前向きな性格でディック・アレンのような問題児も巧みに操縦し、1972年には2位となってスポーティングニュース誌選出の最優秀監督に選ばれる。
1976年にはオークランド・アスレチックスの監督となるが、同年末にマニー・サンギーエンと移籍金10万ドルとのトレードで、ピッツバーグ・パイレーツへ移った。パイレーツでは1979年にワールドシリーズ優勝へ導いた[2]。
監督としての特徴
編集機動力を駆使した采配を特徴とし、1976年は341回、1977年は260回の盗塁を成功させたが、放任主義と批判も浴びた[2]。
詳細情報
編集背番号
編集- 18(1955年 - 1957年途中)
- 39(1957年途中 - 同年終了)
- 6(1958年、1960年 - 同年途中)
- 26(1959年)
- 5(1960年途中 - 同年終了)
- 11(1961年 - 1962年)
- 7(1971年 - 1988年)
脚注
編集- ^ “Cincinnati Redlegs at Milwaukee Braves Box Score, April 12, 1955” (英語). Baseball-Reference.com. 2020年5月27日閲覧。
- ^ a b 出野哲也『改訂新版 メジャー・リーグ人名事典』言視舎、2013年、310頁頁。ISBN 978-4-905369-67-7。
- ^ “MLB=WS制覇の元パイレーツ監督、タナー氏が死去”. ロイター (2011年2月11日). 2015年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月27日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com