ティフォージュTiffauges)は、フランスペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ヴァンデ県コミューン

Tiffauges


地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏
(département) ヴァンデ県
(arrondissement) ラ・ロッシュ=シュル=ヨン郡
小郡 (canton) モルターニュ=シュル=セーヴル小郡
INSEEコード 85293
郵便番号 85130
市長任期 ミシェル・ブランシェ
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Pays-de-Mortagne
人口動態
人口 1 607人
2013年
人口密度 162人/km2
住民の呼称 Teiphaliens
地理
座標 北緯47度00分52秒 西経1度06分36秒 / 北緯47.0144444444度 西経1.11度 / 47.0144444444; -1.11座標: 北緯47度00分52秒 西経1度06分36秒 / 北緯47.0144444444度 西経1.11度 / 47.0144444444; -1.11
標高 平均:m
最低:42m
最高:113 m
面積 9.92km2
Tiffaugesの位置(フランス内)
Tiffauges
Tiffauges
公式サイト Site officiel
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地理 編集

県北東部に位置し、メーヌ=エ=ロワール県と接している。ショレからサン・ジャン・ド・モンへ向かう県道753号線が面積を貫いている。レ・ゼルビエとは18km、モンテーギュとは16km、ショレとは20km離れている。ティフォージュにて、セーヴル・ナンテーズ川とクリュム川が合流する。

歴史 編集

 
かつてのティフォージュ城

ティフォージュは、ゲルマン人またはサルマタイ人発祥とされるタイフェリ人(fr:Taïfales)に由来する。タイフェリ人は、ローマから野蛮な民族とみなされ、5世紀に確立したローマ帝国の防衛に組み込まれた[1]。彼らが西ゴート族とともにガリアに到達したのは412年である。

11世紀のティフォージュはトゥアール子爵領に属し、12世紀にはジョフロワ・ド・トゥアールがこの地に城を築いた。村はクリュム川沿い、塔を備えた城壁に守られた、岩の露頭のふもとにあった。

1420年、ティフォージュはジル・ド・レと結婚したカトリーヌ・ド・ティフォージュの持参金の1つとなった。15世紀終わりには、ティフォージュ領主はアンボワーズ家が継承するトゥアール子爵領に組み込まれた。ジャンヌ・ダルクと並んで戦った時代の後、ティフォージュに隠遁したジル・ド・レはそこで子どもたちの殺害に手を染めた。彼は死刑を宣告され絞首刑にされた。カトリーヌ・ド・トゥアールは当時シャルトル伯であったジャン2世・ド・ヴァンドームと再婚した。1520年には門の上に塔が建設され、ジャン2世にちなみヴィダム塔と名付けられた。

城は1569年に焼失し、1626年に勅令によって解体された。

1793年9月19日、ヴァンデ戦争でヴァンデ軍最後の勝利となったトルフーの戦いで、城は役割を担った[2]

人口統計 編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2008年 2013年
1027 1052 1121 1188 1208 1328 1463 1607

参照元:1962年から1999年まで人口の2倍カウントなし。1999年までEHESS/Cassini[3]、2004年以降INSEE[4][5]

脚注 編集

  1. ^ Yves Blomme, Poitou gothique, éditions Picard, 1993, ISBN 2-7084-0439-3
  2. ^ Poitou gothique,Yves Blomme, éditions Picard, 1993, ISBN 2-7084-0439-3
  3. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=37631
  4. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  5. ^ http://www.insee.fr