ディック・ツワージク
ディック・ツワージク[1](Dick Twardzik、1931年4月30日 - 1955年10月21日)は、アメリカのジャズ・ピアニストで、キャリアのほとんどをボストンで過ごした。
ディック・ツワージク Dick Twardzik | |
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出生名 | Richard Henryk Twardzik |
生誕 | 1931年4月30日 |
出身地 | アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ダンバース |
死没 | 1955年10月21日(24歳没) |
ジャンル | ジャズ |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | ピアノ |
活動期間 | 1945年 - 1955年 |
略歴
編集ツワージクは子供の頃にクラシック・ピアノを習い、14歳でプロ・デビューを果たした。バリトン・サックス奏者サージ・チャロフの母親であるマーガレット・チャロフに師事。ツワージクはサージ・チャロフやチャーリー・マリアーノとレコーディングした。チャーリー・パーカーとはその晩年に何度か一緒に仕事をしている[2]。ツワージクは、チェット・ベイカーやライオネル・ハンプトンともプロとして一緒に演奏した。1954年と1955年には、ベイカーやチャロフとレコーディングした[2]。
10代のうちに、ツワージクはヘロイン中毒となっていた[3]。彼はチェット・ベイカーとのヨーロッパ・ツアー中[3]にヘロインの過剰摂取によって亡くなった[4]。
ディスコグラフィ
編集リーダー・アルバム
編集- 『トリオ』 - Trio (1956年、Pacific Jazz) ※with ラス・フリーマン[5]
- The Last Set (1962年、Pacific Jazz)
- 1954 Improvisations (1990年、New Artists) ※1954年録音
参加アルバム
編集- チェット・ベイカー : 『チェット・ベイカーとリチャード・ツワージック』 - Chet Baker Quartet (1955年、Barclay)
- チェット・ベイカー : Chet Baker In Europe: A Jazz Tour Of The Nato Countries (1955年、Pacific Jazz)
- サージ・チャロフ : 『ザ・フェイブル・オブ・メイベル』 - The Fable of Mabel (1957年、Vogue)
- チャーリー・パーカー : 『ハッピー・バード』 - The Happy Bird (1961年、Charlie Parker)
- チャーリー・パーカー : Boston, 1952 (1996年、Uptown)
脚注
編集- ^ 「ディック・ツワージィック」「ディック・トゥワージク」「リチャード・ツワージク」「リチャード・ツワージック」の表記もある。
- ^ a b Larkin, Colin, ed. The Virgin Encyclopedia of Fifties Music (3rd ed.). Virgin Books. p. 458. ISBN 1-85227-937-0
- ^ a b “Richard Twardzik”. AllMusic. 11 April 2020閲覧。
- ^ Gioia, Ted (October 1998). West Coast Jazz: Modern Jazz in California, 1945-1960. University of California Press. p. 185. ISBN 978-0-520-21729-4 10 April 2020閲覧。
- ^ “Pacific Jazz Records Discography: 1952-1954”. Jazzdisco.org. October 29, 2019閲覧。
参考文献
編集- Jack Chambers, Bouncing with Bartok, Toronto: Mercury Press, 2008, ISBN 9781551281414
外部リンク
編集- "The Tragedy of Richard Twardzik" by Ted Gioia (review of Chambers book)
- ディック・ツワージク - Discogs