ナサニエル・ダンス=ホランド

ナサニエル・ダンス=ホランド(Sir Nathaniel Dance-Holland, 1st Baronet RA、 Nathaniel Dance-Holland RA、1735年5月18日1811年10月15日)はイギリスの画家、政治家である[1]

ナサニエル・ダンス=ホランド
Nathaniel Dance-Holland
Nathaniel Dance (Sir Nathaniel Dance-Holland, Bt) by Nathaniel Dance, (later Sir Nathaniel Dance-Holland, Bt).jpg
自画像
生誕1735年5月18日
イングランドの旗 イングランド
死没1811年10月15日
イングランドの旗 イングランド Didcot,Oxfordshire

略歴編集

ロンドンで活動した建築家、ジョージ・ダンス(George Dance the Elder: 1695–1768)の3男に生まれた。父親と同名の弟(George Dance the younger, RA: 1741–1825) は建築家、肖像画家になった。後年、ナサニエル・ダンスは姓にホランドのサフィックスを追加した。

肖像画家、歴史画家のフランシス・ヘイマンから絵を学んだ後、イタリアで修行した。ローマで人気になっていた肖像画家、アンゲリカ・カウフマンと知り合った。イギリスに帰国した後、1768年にフランシス・ヘイマンやジョシュア・レノルズらとともに、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの創立メンバーになった。肖像画家として知られるようになり、国王ジョージ3世や王妃シャーロット、有名な船乗りのジェームズ・クックや俳優のデイヴィッド・ギャリックの肖像画を描いた。現在オーストラリアのビクトリア国立美術館に収蔵されている「ピブス家(Pybus)の家族」のような集団肖像画も描いた[2]

1790年に第6代ビショップ準男爵 (Sir Cecil Bishopp, 6th Baronet)の娘で、国会議員を務めたダマー(Thomas Dummer)の未亡人であるハリエットと結婚したことによって、画家を止めて政治家になった[3]。1791年から亡くなる1811年までイースト・グリンステッドの選挙区やウィルトシャーの選挙区からの国会議員を務めた。

作品編集

脚注編集

  1. ^ https://api.parliament.uk/historic-hansard/people/sir-nathaniel-holland Nathaniel Holland im Hansard ]
  2. ^ www.ngv.vic.gov.au”. 2009年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年2月15日閲覧。
  3. ^ Horninghold, Gartree Hundred”. Victoria County History of Leicestershire. 2009年9月23日閲覧。

参考文献編集

  • Charles John Robinson: Holland, Nathaniel Dance–. In: Sidney Lee (Hrsg.): Dictionary of National Biography. Band 27: Hindmarsh – Hovenden. MacMillan & Co, Smith, Elder & Co., New York City / London 1891, S. 151.
  • Nathaniel Dance, 1735–1811. Greater London Council, London 1977, ISBN 0-7168-0915-X. (Ausstellungskatalog: Iveagh Bequest, Kenwood, 25. Juni bis 4. September 1977).