ニコライ・ヴォズネセンスキー

ニコライ・アレクセーエヴィチ・ヴォズネセンスキーロシア語: Николай Алексеевич Вознесенский, ラテン文字表記の例: Nikolai Alekseevich Voznesensky1903年12月1日 - 1950年10月5日)は、ソビエト連邦の政治家。ゴスプラン(国家計画委員会)の幹部だったが、戦後に粛清される。

ニコライ・ヴォズネセンスキー
Никола́й Вознесе́нский
Voznesenskiy NA.jpg
生年月日 (1903-10-18) 1903年10月18日
出生地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国トゥーラ県英語版
没年月日 1950年10月5日(1950-10-05)(46歳)
死没地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国旗 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国レニングラード
所属政党 全連邦共産党

在任期間 1938年1月19日 - 1941年3月10日
首相 ヴャチェスラフ・モロトフ
在任期間 1942年12月8日 - 1949年3月5日
首相 ヨシフ・スターリン

ソビエト連邦の旗 人民委員会議第一副議長
在任期間 1941年3月10日 - 1946年3月15日
首相 ヴャチェスラフ・モロトフ
ヨシフ・スターリン

第18期政治局員候補
在任期間 1941年2月21日 - 1947年2月26日

第18期政治局正局員
在任期間 1947年2月26日 - 1949年3月7日
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人物編集

第二次世界大戦時はゴスプラン(国家計画委員会)の仕事を監督した。1940年5月、アンドレイ・ジダーノフの部下として、38歳の若さで人民委員会議副議長(副首相)に任命された[1]。戦争開始当初において産業の東方移転にともなう生産の回復に直接関わった。彼の著書『第二次世界大戦期のソ連経済[2]』は、それらの月日の記録である。

しかしながら、戦後まもなく、ソビエト経済活動を評価・管理するヴォズネセンスキーの考えは、大勢を占める意見とは合致せず、レニングラードの経済機構を戦前の状態に再建した彼の貢献を一端として、レニングラード事件での逮捕に至る。見せしめ裁判では敵対者や同僚から非難され、国家反逆罪で有罪とされ死刑判決を言い渡された。

ヴォズネセンスキーの死の様子は不明瞭である。半裸の状態でバンの後ろに載せられ、2つの刑務所間を運ばれたために死亡した、といういくつかの主張がある。他の情報源[3]は、彼が射殺されたことを示している。1954年に名誉回復。

脚注編集

  1. ^ サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ, Stalin: The Court of the Red Tsar, Weidenfeld & Nicolson: 2003, p.310. ISBN 1400042305
  2. ^ The Economy of the USSR during World War II, Washington, DC: Public Affairs Press, 1948.
  3. ^ Britanica article

関連項目編集

先代:
ゲンナジー・スミルノフ
マクシム・サブーロフ
ソ連国家計画委員会議長
1938年 - 1942年
1942年 - 1949年
次代:
マクシム・サブーロフ