ノイケルン区

ベルリンの区
紋章 ベルリン地図
(区の位置)
基本情報
連邦州: ベルリン州
緯度経度: 北緯52度29分0秒 東経13度27分0秒 / 北緯52.48333度 東経13.45000度 / 52.48333; 13.45000
面積: 44.93 km2
人口: 329,917人(2020年12月31日現在)[1]
人口密度: 7,343 人/km2
市外局番: 030
区コード: 08
区内地区数: 5地区
行政庁舎の住所: Karl-Marx-Straßeドイツ語版 83
12043 Berlin
ウェブサイト: www.neukoelln.de
区長: マルティン・ヒーケルドイツ語版 (SPD)
区議会議席配分:

ノイケルン区 (ノイケルンく、Bezirk Neukölln) は、ドイツ首都ベルリン南東部にある行政区である。区コードは08であり、数多くのGründerzeit の建物に特徴づけられる。

地区

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地区番号 地区・区域
面積
人口[1]
(2020年12月31日人現在)
人口密度
区内地図(地区の位置)
0801 ノイケルンドイツ語版 11.71 km2 164,636人 14,059人/km2
 
0802 ブリッツドイツ語版 12.40 km2 42,846人 3,455人/km2
 
0803 ブーコウドイツ語版 6.35 km2 40,146人 6,322人/km2
 
0804 ルードウドイツ語版 11.81 km2 42,631人 3,610人/km2
 
0805 グロピウスシュタットドイツ語版 2.67 km2 37,686人 14,115人/km2
 

歴史

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このエリアは1360年に リヒャルツドルフ(Richardsdorf)として初めて文献に登場する。マルタ騎士団によって所有されていた。それゆえこの区のワッペンにはマルタ十字が描かれている。 1737年、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、モラヴィア兄弟団ボヘミアからこの地域に移住させた。これはリックスドルフ(Rixdorf)と呼ばれている。彼らは自身の教会や家を、今日のリヒャルト通り(Richardstraße)と呼ばれるベルリン中心部の道路に沿って建設した。この新しいボヘミア人村は1797年に独自の憲法を持つことを承認された。

ベルリンの地区としてのノイケルン

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1920年10月1日をもってノイケルンは大ベルリンに編入された。ブリッツ、ブーコウ、ルードウと合わせて行政区画14番を形成した。

1945年から1990年にかけてノイケルン区はベルリンのアメリカ占領地区であった。1987年、ノイケルン区はヨーロッパ的価値観における統合政策が評価され、ヨーロッパ賞を受賞している。2008年9月23日、連邦政府により「多様性の場所」という称号を与えられた。

現在

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移民が多く住んでいるエリアの一つである。2006年にはリュトリ基幹学校(Rütli-Schule)で移民系生徒による校内暴力学校崩壊によって全教員による廃校願いが市に提出され、ドイツのメディアをはじめ多文化主義政策の失敗などと報道された[2]。2010年にはメルケル首相が「多文化主義は失敗」と公言した。ただし、それは従来の様な民族別に分かれた不十分な多文化主義政策の誤りを認めただけであって、移民との共存という根本的な政策については誤りとはせず、むしろより積極的に移民がドイツ社会に溶け込み共存していけるように努力していく必要があるとの趣旨の発言である[3]

姉妹都市

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ノイケルン区は以下の都市と姉妹都市協定を結んでいる[4]

国外

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国内

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その他

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  •   ドイツ連邦軍310主要衛生センター (Leitsanitätszentrum 310)、ベルリン駐屯地衛生センター (Standortsanitätszentrum Berlin)2001年7月6日

ゆかりのある人物

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脚注

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  1. ^ a b ベルリン州における2020年12月31日時点の登録人口、資料:ベルリン=ブランデンブルク統計局ドイツ語版 (PDF)(ヘルプ)。
  2. ^ ドイツの移民政策における「統合の失敗」小林薫,東京大学「ヨーロッパ研究」第8号,2009年
  3. ^ メルケル「多文化主義は失敗」発言の真意ニューズウィーク日本版2010年10月28日
  4. ^ Städtepartnerschaften mit dem Bezirk. Berlin.de, abgerufen am 17. April 2014.

外部リンク

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