ノート:おそ松さん/過去ログ1

最新のコメント:8 年前 | トピック:出典の明記について | 投稿者:Sazanamiya
過去ログ1 過去ログ2

登場人物節について

おそ松さんたちの両親について、第13話(「事故?」)でカニ鍋を夫婦そろって食べているシーンがあることから、離婚はしていないと思われます。 --じょし待つ

  見出しをつけました。署名は手打ちしなくても署名アイコンをクリックすればできますよ。--Sazanamiya会話2016年1月10日 (日) 08:29 (UTC)
  返信 (118.21.152.37さん宛) 要約に「第13話から考察」とありましたが、個人の考察の場合「独自研究」にあたるため、それを根拠として何らかの編集を行う事は不可です。また、話題から外れる内容となるため「利用者‐会話:118.21.152.37」にて署名と見出しについて補足を書かせていただきました。ご一読いただければ幸いです。--キルミツ会話2016年1月11日 (月) 08:55 (UTC)

公式HPのキャラ設定の大幅な改変

タイトルの通り、かなり大掛かりな改変が行われたようです。念のため一読ください。この事は本文に記載した方がいいですか?--RJANKA会話2016年1月10日 (日) 07:07 (UTC)

「大掛かりな改変」というものではないと思いますが、トト子の「実家の魚屋は大繁盛」がなくなって脚注がアーカイブに差し替えられたりと少々影響でてますね。チビ太の「様々な仕事を持っており」もなくなったので公式ツイッターを脚注に入れましたが、もし最終回までチビ太がおでん屋以外の職業についているエピソードが出てこないのであれば、除去するか、あるいは「~という設定だったが本編では出てこない」と書きそえるか考えておいたほうがいいかもしれません。自分は除去したほうがいいと思いますが。--Sazanamiya会話2016年1月18日 (月) 00:18 (UTC)
新しく追加される情報は維持し誤りは削除、たったそれだけの単純作業に何をくだらない言い合いになっているのかと:D 今後も私は編集方針を変える気は無い。--以上の署名のないコメントは、Gatyamon-hakase会話投稿記録)さんが 2016年2月13日 (土) 11:40‎ (UTC) に投稿したものです(Sazanamiya会話)による付記)。

一松の本性について

エスパーニャンコで暴露された一松の本音と、それを受けての13話のトド松の「本当は常人?」発言と14話の看病、16話のカラ松への想いは、いつから載せていいですか?少なくともエスニャンの本音はもういいかな?と個人的には思ってます。またリバートされるでしょうけど。--RJANKA会話2016年1月26日 (火) 16:26 (UTC)

  • そもそも載せる必要がないでしょう。--Dr.Jimmy会話2016年1月27日 (水) 00:51 (UTC)
  • スプラトゥーンの時も思いましたが、RJANKAさんが記述している内容は百科事典に載せるべき事柄かどうかの検討がなされないまま何でもかんでも載せているようにみえます。このようなスタイルはWikipediaでは好まれていません。一松の欄に載せるべき事柄だと思うのでしたら、なぜそれが必要かこちらで説明してはいかがでしょうか。もちろんそれに対してOKが出るとは限りませんが。--Haetenai会話2016年1月27日 (水) 12:09 (UTC)
    • 14話「風邪ひいた」の十四松のオチを載せていいのなら、こちらもいいかな?と今回は思いました。エスニャン関連の話は一話完結物としてはかなり引きずってる設定みたいですし、16話の本音も今後の様子見ですが運用され続ける可能性が高いです。憶測や例外を可能な限り排除しようとしてどうしても些細な事まで載せてしまいがちのようです。--RJANKA会話2016年1月27日 (水) 21:42 (UTC)
      • あれはそのままだと除去対象だなと思って私が修正したものですね。自分の判断としては十四松の常識外の行動を説明を補強するためのエピソードとして残しています。本音についてはそれがキャラクターを説明する上で必要、重要である、というのであれば載せても良いと私は思います。あまりに項目が肥大化するようであれば考えものですが。--Haetenai会話2016年1月29日 (金) 11:32 (UTC)
        • おそ松くんから分割される前はDr.jimmyさんに何度もリバートされてた内容です。とりあえず、敲き台としてそのリバートされた内容を。
その卑屈で厭世的な言動は第五話でエスパーニャンコにより、自分に自信が無く、相手の期待を裏切るのが怖いが為に周囲を突っぱねるための発言であり、本当は寂しがり屋で友達が欲しいと思っており、その補償として「言葉が通じない」猫を友達にしている事が暴露された。この事を十三話でトド松にバカにされ「その(卑屈な)キャラ、止めたら?」と言われて銭湯からトド松の服を持ち去るという行為に及んでいる事から、この話は彼の地雷らしい。
これに、トド松の「本当はごく普通の人間でしょ?」「闇ゼロ。超ノーマル四男。」と、「『風邪ひいた』では兄弟の中で唯一まともな看病をしていた」、「無口の裏ではかなり口喧しく考え込んでいる」と「内心ではカラ松のファッションに興味が有る」を追記する程度を想定してますが、いかがですか?--RJANKA会話2016年1月29日 (金) 21:26 (UTC)
  • 分割されたのは、肥大化を許して瑣末な内容や作品に描かれたことを無差別に載せるために行われたのではありません。--Dr.Jimmy会話2016年1月29日 (金) 23:26 (UTC)
    • いや、Haetenaiさんに対して時期を書いただけです。過去に何度も別の人にリバートされた、と言う事を伝えるために。--RJANKA会話2016年1月29日 (金) 23:41 (UTC)
      • 数回にわたって触れられており、キャラクターの本質に関わる事柄なら、むしろ書くべきかと思います(当然、肥大化を防ぐために内容を整理した上で、ですが)。個人的には、十四松についても、現状では彼のまともな部分がまったく書かれていない(書いても消される)ので、知らない人が読んだら、ただの異常者という印象しか受けないのではないかと感じています。--Golza会話2016年1月30日 (土) 01:08 (UTC)
        • その記述も私が行った部分ですね。コメントアウト状態のものをリバートされたことも。もちろん推敲は必要と感じてます。十四松に関しては別項立てます。但し、17話のニコ動配信後の記載が望ましいかと思ってます。--RJANKA会話2016年1月30日 (土) 02:18 (UTC)

十四松の普通の言動について

以下が敲き台。

また、レスリングも好きらしく、兄弟にプロレス技を掛けたり、覆面レスラーに扮する事がある。全く常識が無い訳でも周囲に無遠慮と言う訳ではなく、友達がいない一松が心配だ、とデカパン博士に相談したり、兄達が荒らし回ったトド松のアルバイト先の床を一人で拭いたり、投身自殺を図ろうとしていた少女を(波にさらわれた彼が彼女に助けられたというおかしなきっかけからだが)本気で恋して彼女を渾身のギャグで笑わせていた事もある。

これを推敲し、17話のニコ動配信後にその内容を含めた形で記載したいです。いかがですか?--RJANKA会話2016年1月30日 (土) 02:18 (UTC)

  •   コメント TVで見たことを収集した上で、編集者独自の分析・推測・意見を書くという、まさにWP:TVWATCH&独自研究の典型。だから差し戻されるのです。Wikipediaに載せることは諦めて、ご自身のBlogなどでやって下さい。中立的・外部・第三者的なソースが出揃うまで待てと言うのが、なぜわからないのでしょうか。--Dr.Jimmy会話2016年1月30日 (土) 07:14 (UTC)
    • 該当話のディスク出るまで待てと言う事でいいですか?--RJANKA会話2016年1月30日 (土) 07:26 (UTC)
      • 違う違う。全然違う。「中立的・外部・第三者的」という意味がわかりませんか? どう読めばそれが「該当話のディスク」と解釈されるのか、理解不能です。一次資料ではなく、二次資料を待てと言っているのです。--Dr.Jimmy会話2016年1月30日 (土) 07:29 (UTC)
        • だったら、14話「風邪引いた」のオチもダメなのでは?--RJANKA会話2016年1月30日 (土) 08:45 (UTC)
          • そもそも、「今、載っているものは良い・大丈夫」という発想からしておかしい。--Dr.Jimmy会話2016年1月30日 (土) 08:57 (UTC)
            • だったらなぜこの部分をあなたは手入れしないの?--RJANKA会話2016年1月30日 (土) 13:18 (UTC)
              • それを私に問うこと自体がおかしい。Wikipediaというものは、誰が直しても良いわけで、私を含めて編集者は自分が気付いた部分を編集しているだけで、記事全てを同じ様に校閲しなければならないわけでもないし、ある記事の特定箇所を修正したからといって、それ以外の部分は問題無しと認めたなどということにもならない。方針やルールに則っていない記述があるから、自分もやっていいという発想自体、貴方が自主的に方針やルールを従うつもりは無いということを意味するということを理解した方がよろしいでしょう。--Dr.Jimmy会話2016年1月30日 (土) 13:45 (UTC)
  • そもそも「これはOK、これはNG」という基準が曖昧だからこういう状況になっているのではないでしょうか。載せるにしろ載せないにしろ、全面的に基準を統一するべきです。--Golza会話2016年1月30日 (土) 14:58 (UTC)
  • なお、十四松については、第15話での描写(「面接」では最後に「(自分を)採らない方がいいと思う」と言う、「チビ太の花のいのち」ではチビ太のおでんへの異常なこだわりを「ヤバいよね」と言われて「ヤバい。僕でもわかる」と答える)から、自分が普通ではないことを多少なりとも自覚しているようです。レスリングは、劇中の行動だけで好きかどうかは断言し難い(その場のノリでやっているだけかもしれない)ので避けた方が無難でしょう。--Golza会話2016年1月30日 (土) 15:07 (UTC)
  • まあ、『おそ松さん』の場合は、一話完結を基本としつつ、現状では公式サイトに載っていない設定が複数の話で継続している部分もあるので、その辺りの判断は慎重に行うべきだとは思います。明らかに基本の設定から外れた内容になっていることもありますし。--Golza会話2016年1月30日 (土) 15:13 (UTC)

  コメント出典の件で話題追加を行うべく準備を進めていたのですが、こちらの内容に関わる部分なので記載します。(必要があれば別個の話題として移していただいて構いません)

初めに、私は「おそ松さんを視聴したことが無く、今後も視聴する予定が無い」立場である事を明記しておきます。こちらの記事では「ネット上で確認できる事柄」「原文を元に修正の出来る事柄」を中心に編集を行ってきました。
Golzaさんがおっしゃるように、おそ松さんの記事では分割が行われる以前より「『これはOK、これはNG』という基準」についてしばしば論争が起こっており、現在解決を見ておりません。私は、その基準とはDr.Jimmyさんも主張されている「二次資料の有無」だと考えています。おそ松さんの場合だと主に「月刊アニメディア」や「月刊ニュータイプ」といったアニメ雑誌ですね。良質な記事に選定されている「Charlotte」でも、概ねアニメ雑誌が出典とされていますので問題は無いかと思います。そもそも「おそ松さん」の記事では「放送されたアニメそのもの」「ネットニュース」が主な出典であり、評価・反響にアニメ雑誌が重版される事態が度々起こっていると書かれているにも関わらず、「アニメ雑誌」からの出典が一切無い事は疑問だったのです。「話の内容について言及している雑誌が無いからアニメそのものを出典として記載するしかないのか?」と仮説を立てておりましたが、あくまで想像に過ぎないので今回アニメ雑誌をいくつか購入してきました。(具体的に言うと「月刊アニメディア2月号」「オトメディア2月号」「spoon.2Di vol.10」の3つです。)結論から言いますと、きちんと話の内容に言及されている雑誌はありました。なので、厳しい意見になりますが、特に登場人物紹介においてその傾向が顕著な放送されたアニメそのものに頼り切った現在の記述方法は、二次資料を出典として示す編集者が現れない事から見ても怠慢であると言わざるを得ません。アニメそのものを出典として記載を行う場合、どうしても個人の主義主張が反映されますので、外部の資料があるならそちらに頼る事が賢明ではないでしょうか。
また、今回の私の意見を読んで思い違いをしないで頂きたいのですが「アニメ雑誌に記載があり出典として示せるので、記載されている内容は全部記事に反映しても良い」ということではありません。「おそ松さん」においては、登場人物節の六つ子の解説にもあるとおり「六つ子の差別化」に大きく焦点があてられているようで、雑誌でもその事柄について「●話において●はこんな行動をした。一方●はこんな行動をした」といった違いのまとめがされていました。それらを全部反映させていくと記事の分量は際限なく肥大化していくでしょう。なので「加筆を行うか否か」「本当にその記述は記事に必要なのか」は慎重に判断をして欲しく思います。判断に迷った場合は加筆を行う前に是非ノートで提案して下さい。
表題の件にも触れさせてもらいますと、今回の件は各アニメ雑誌に特別記載が無いのであれば、一般的に見ても「十四松というキャラを語るために普通の言動について言及は不要」という判断、つまり普通の言動についてのエピソードを追加補強していく必要性は無いんじゃないでしょうか。
個人的な意見も多分に含みますので、反論等がありましたらお願いします。--キルミツ会話2016年1月31日 (日) 10:38 (UTC)
十四松は公式に「異常にバカ」(公式サイトより)「明るい狂人」(BD/ DVD第1巻の特典映像「スペシャルイベント『6つ子だよ、全員集合!! トト子もいるよ』ダイジェスト」より)とされていますので、そうした部分を前面に出した書き方になることには異論はありません。ただ、それは彼の一面を捕えているだけに過ぎないのでは…と思っております。「現状では本編の描写から考察するしかなく、それはWikipediaの性質上問題がある」ということで書くのを控えるべきだというのは分かりますが、それなら彼の常人には理解し難い行動をいちいち挙げるのも不要ではないでしょうか。まあ、二次資料がある程度以上出回っているのにそれを出典とする編集が行われないのは(私自身も含めて)反省するべきですね。ちなみに、考察本に十四松が「優しい心の持ち主」であると書かれていますが、さすがにこれを資料にするのはよろしくないだろうと自分でも思います(苦笑)。--Golza会話2016年1月31日 (日) 14:26 (UTC)
私も流石に「個人感情は一切排除し、二次資料のみに頼った記事づくりをせよ」というような極端な考えはしていないです。それだとアニメの記事は「アニメ雑誌に記載された情報のまとめ」になってしまいますし、現在はメディアも多様化しているので柔軟に対処していくべきと思っています。ただ、「おそ松さん」の場合は話題性があり複数のアニメ雑誌がページ数を大きく割いて特集等を行っていて二次資料が豊富にある状態なので、それらの存在を無視して「あのキャラは●●と評価されているけれど、実際は●●な面もあるんだ!」と記述を増やしてしまうと、逆に印象操作に繋がってしまいますよね。なので、その点を他者にも伝えていきたいと考えるなら、現状はブログ等の個人活動で行っていただくほかないかと思います。その活動が広がり話題となれば、二次資料にもそういった記述がされるようになるのではないでしょうか。また、今回購入したアニメ雑誌に「じょし松さん」のまとめページがあり、充分特筆性のある内容と感じましたので、既存の解説に出典をつけてみようかと思案中です。この機会に二次資料の出典付与が増えれば良いな、と思います。--キルミツ会話2016年2月2日 (火) 06:33 (UTC)
個人的なことですが、アニメージュは重版されたものの、うちの近所の書店では未だに入荷されておらず、自宅から結構離れた書店でようやく見つけました。他の地域がどうなのかは分かりませんが、地域によって入手しやすさに差がある(書店によってはそもそも重版を入荷していない?)と思われるので、それも二次資料を基にした編集が行われない一因かもしれません。そもそも、この手の雑誌は基本的に、最新号が出た時点でそれ以前の号は絶版になってしまうので、書籍の形である程度まとまった内容のものが出版されるのが一番望ましいのではありますが、こればかりは出版社の都合によるので難しいところではあります。BD / DVDも、特典映像として収録されたイベント(その中のクイズコーナーで「正解」として出された情報は今後公式設定になると明言されている)以外は特筆するべき情報が収録されているわけではないので、資料としてはいまひとつ決め手に欠けるんですよね。とりあえず、この問題は各キャラの描写だけに留まらず記事全体の問題として考えるべきだと思うので、一度仕切りなおした方がいいかもしれません。--Golza会話2016年2月2日 (火) 14:48 (UTC)
紙媒体の出典しか認めない、という姿勢は確かに疑問。理由はキルミツさんと同じ。まあ、確実な出典は有るに越した事は無い。ちなみに、私の住んでいるところでは幸いアニメージュやアニメディアなどの雑誌を貸し出し資料として市立図書館全体で1冊以上確保出来ている(貸し出し開始は販売から1ヵ月後。流石にポスターなどの付録はついていない、はず)ようなので、貸出予約を試みます。ただ、雑誌も厳密に言えば出典に使えない、と言われた記憶があるので、もう何を信じればいいのやら。--RJANKA会話2016年2月2日 (火) 19:36 (UTC)
「確実な出典は有るに越した事は無い」などという発言を聞くと、Wikipediaの方針を理解しているかどうか、甚だ疑わしい、というか、理解していないか、知っていても守るつもりが無いかのどちらかとしか思えません。
それから、キルミツさんの発言にある「個人感情は一切排除し、二次資料のみに頼った記事づくりをせよ」というのは、極端でも何でもなく、Wikipediaが目指すものはまさにそこであると思いますが。--Dr.Jimmy会話2016年2月3日 (水) 03:03 (UTC)
とりあえず仕切り直しませんか? 繰り返しますが、これは個々の登場人物に関する記述の問題ではなく、記事全体の記述の問題だと思いますので。--Golza会話2016年2月3日 (水) 14:51 (UTC)
一次資料は使用不可で二次資料のみで記事を作るというのが、作品の記事としては個人的には解せないのです。あと、二次資料にこもった個人の感情をどう看破してどう排除するかも問題になりそうです。--RJANKA会話2016年2月3日 (水) 15:46 (UTC)
あなたが「個人的に解せない」のはどうでもいいです。解せないからといって、守らなくても良いなんてことは断じてありません。解せないのであれば、ルールを変えるように提案して合意を得て下さい。さもなくば、Wikipediaではなく、個人のサイトでやって下さい。「二次資料にこもった個人の感情をどう看破してどう排除するか」って、二次資料の記載を個人の感情や解釈で看破することは、Wikipediaですることではありません。よそでやることです。第一、二次資料にあるからとって、何でも載せて良いわけではありません。--Dr.Jimmy会話2016年2月4日 (木) 01:06 (UTC)
私の発言で事態をややこしくしてしまったようで申し訳ありません。「『個人感情は一切排除し、二次資料のみに頼った記事づくりをせよ』というような極端な考えはしていないです」についてはあくまでも自分の持論であって、それを理由に現状のwikipediaのルールに反した編集をしようというつもりは一切ございませんし(万が一そういった事態になった場合は然るべき場所で理由を明記のうえ提案を行います)、特にここ数日の編集は慎重に行ったつもりです。とりあえず、今回購入した雑誌で出典については大分網羅できそうではあるので、引き続き作業を行っていきます。--キルミツ会話2016年2月4日 (木) 03:31 (UTC)
了解しました。キルミツさんのように、個人的な持論と、守るべきルールを、きちんとわきまえていらっしゃる方は問題ありませんが、そうでない人が、便乗して乗っかってくる人もいますので、十分に注意したほうがよろしいかと。--Dr.Jimmy会話2016年2月4日 (木) 05:32 (UTC)

編集の方針について

「一松の本性について」「十四松の普通の言動について」で議論が行われていますが、これらは個々の登場人物の記述に関する問題に留まらす、記事全体の記述に関する問題であると考え、仕切り直させて頂きます。

現時点では登場人物に関する情報が加筆されたり消されたりを繰り返している状況です。

「一次資料に頼った記述はしないようにする」「些細な情報をいちいち書き込まない」という方針については、個人的にはまったく疑問がないわけではないものの、基本的には賛成です。問題は、この方針が記事全体に反映されておらず、内容的にはほぼ同等の重要度でありながら消される記述とそうでない記述があるということではないでしょうか(個人的に「あれを消すならこれも消さなければおかしいだろう」と思った記述が、登場人物の欄だけでも20ヶ所くらいあります)。その結果、「あれが書いてあるならこれも書いていいだろ」「ダメです("これ"は消されるが"あれ"は放置)」「なんで?」ということになり、混乱を招いているように思われます。

ここで改めて「方針を具体化する」「それを記事全体に反映させる」の2点を実行する必要を感じます。そうしなければ、いつになっても状況は改善せず、同じ問題が繰り返されるとのではないでしょうか。--Golza会話2016年2月4日 (木) 15:56 (UTC)

「十四松の普通の言動について」でも書かせていただきましたが、私は「二次資料を参考文献として記述を行う」べきだと考えております。そして「二次資料があれば何でも記載しても良いわけではない」とも述べております。後者に関しては、個々の選定基準も異なりケースバイケースですし、どういった問題が発生するかも未知数であるため(登場人物節で二次資料を元に記述が行われたケースが少ない)、今のところは問題が発生したら都度当事者で話し合うほか無いかと思います。そして前者ですが、私としては出来るだけ現状の記述を残していけたら良いと考えておりまして(勿論全くそのまま残せるわけではなく、出典に合わせて文章は改訂せざるを得ませんが)、追加で雑誌をいくつか購入し、最寄の図書館で「おそ松さん」放送期間中に発行された「アニメディア」を全部借りてきました。残念ながら「アニメディア」はそこまで「おそ松さん」の特集に力を入れておらず出典として使える部分はわずかでしたが、その他の雑誌でかなりの範囲で出典を補える見込みです。ただ、出典の文章をそのまま載せると「引用」以外だと著作権侵害になりますので自分で文章を再構成せねばならず、現状とのすり合わせも考えると中々労力の要る作業で苦戦している部分もあります。私事ではありますが、本日は休日である程度まとまった時間が取れるので、上の議論でも宣言したとおり出典付与作業を進める予定です。その結果が議論の決着に貢献する結果となれば幸いです。--キルミツ会話2016年2月4日 (木) 16:38 (UTC)
内輪だけでは堂々巡りしそうなのでWikipedia:コメント依頼に記載しておきました。--RJANKA会話2016年2月4日 (木) 19:32 (UTC)
コメント依頼に出すのはいいのだが、こうして議論している内容、つまり「(基本的に)二次資料を用いるべき」という内容を議論している裏で、平気でWP:TVWATCHの加筆を行うというのは、いったいどういう神経をしているのだろうか。常識的に考えて、私には全く理解できない。これまでも、一貫して、ずーっとそうだったように、RJANKA氏には、ルールも方針も、ノートでの議論も無視して、全く守るつもりはないとしか、言いようがない。議論中は、記事に手を出さないように、強く申し付けます。--Dr.Jimmy会話2016年2月5日 (金) 00:31 (UTC)
追記。コメント依頼の内容も、「ゴネてます」などと、上で議論している方々を愚弄しているとしか言いようがない、極めて無礼な発言。あきれる。一人ゴネているのはRJANKA氏の方なのだが。--Dr.Jimmy会話2016年2月5日 (金) 00:37 (UTC)
「ダメです("これ"は消されるが"あれ"は放置)」「なんで?」に続きがない、という部分を指して「ゴネてる」と表現しました。スタバァ店員の後日譚については、一つの物語のオチを台詞の引用という形で記述した方がいいかな?と判断しました。Wikipedia‐ノート:検証可能性#二次資料のみで記事を書くべき?で質問をしたところ、「ウィキペディアにおいて一次資料を使用してよいのは、事実について率直な記述を行う場合のみであり、特殊な知識を持たない、普通の教育を受けた人が、その資料を参照して検証できる場合に限られます。」(Wikipedia:独自研究は載せない)と言われたので、多分大丈夫かな?と思ったけど、ダメなようですね。早く明確な基準を策定して欲しいです。発言は最小限にしようかと。--RJANKA会話2016年2月5日 (金) 05:10 (UTC)
続きがない? あるでしょう。きちんと読みなさい。そのやり取りの中で「だったら」「だったら」などと言い続けていた貴方こそ、世間一般常識では「ゴネてる」と言うのです。発言を最小限にするのは結構ですが、発言せずに議論を無視した加筆を行うことだけは、最悪なので止めて下さいね。基準ができたところで、これまでもルールや議論を無視して自分勝手な振る舞いばかりしている方が素直に従うとも思えないのですがね。--Dr.Jimmy会話2016年2月6日 (土) 02:12 (UTC)

RJANKAさんが提示されている記事やここ最近の議論を見て、個人的に反省すべき点や思うところがありました。まず、私の今までの意見は要約すると「二次資料に頼った編集を行うべき」という事ですが、「場合によっては一次資料に頼った記述も必要。ただし、その際は二次資料を出典とする時以上に内容や必要性について慎重に吟味するべき」という意見を追加させて頂きます。以前に投稿を行った際は「一次資料の扱い」に対して見識が足りず自分の考えのおよぶ範囲だけで発言をしておりましたが、今回「Wikipedia‐ノート:検証可能性#二次資料のみで記事を書くべき?」の記事や「Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料」を見て方向性について理解し始めた次第です。

私が以前に登場人物節の六つ子の解説で除去を行った例なのですが、車を運転するシーンがあったとしても免許を持っている根拠にはなりませんよね(違法ではありますが、無免許の可能性もある)。免許そのものが描写されたり、免許を取得するエピソードが挟まれたり、公式のあらすじで免許を持っていることが言及されたりして初めて「免許を持っている」と断言出来て、その事実が記事に必要だと判断されてようやく記述が行えるのだと思います。

以前に「十四松の普通の言動について」でRJANKAさんが敲き台として投稿されていた文章だと「兄弟にプロレス技を掛けた」「覆面レスラーに扮した」「友達がいない一松が心配だ、とデカパン博士に相談した」「兄達が荒らし回ったトド松のアルバイト先の床を一人で拭いた」「投身自殺を図ろうとしていた少女を笑わせた」「少女に恋をした」、この辺りが記述出来る部分で、反対に「レスリングが好きらしい」「全く常識が無い訳でも周囲に無遠慮と言う訳も無い」の部分は個人的な解釈なので記述が出来ない部分でしょうか。

抜き出すと分かる事ですが「一次資料に頼った記述」は事実をただ事実としてしか書けないので、文章として成立させるのが困難なんですよね。それを文章にするのに必要なのが「二次資料」なのだと思います。なので、アニメ雑誌では言及されない、少し踏み込んだ部分を事実で補足する事は可能ですが、「一松の本性について」「十四松の普通の言動について」で書かれたような内容を「一次資料のみに頼って」記述すると、行動や状況の羅列になってしまい記事に載せるのにふさわしいとは言えませんよね。

現状だと私個人の考えですが、今回の意見が合っているならば「一次資料を元とした記述であっても、個人の解釈を含まない、誰の目にも明らかな事実ならば残す」「そうでないものは除去」が一つの基準になり、後はその記述が必要か否かで意見が割れた場合は都度話し合い、が良いのではないかと思います。--キルミツ会話2016年2月7日 (日) 09:23 (UTC)

たとえ「個人の解釈を含まない事実」からといって、一次資料のみを元にした記述が何でもの残されるべきではありません。二次資料に依るべき、というのは、もう一つ理由があって、それこそ「一次資料に頼って事実を事実として書く」というのであれば、どんな瑣末なことでも無制限・無差別に書き連ねることができてしまいます。ある事柄を、掲載すべきかどうか、の判断材料として、二次資料に取り上げられたかどうか、が特筆性を示す基準の一つになるかと思います。(言うまでもないことですが、変な解釈をする人がいるといけないので敢えて書きますが、二次資料に取り上げられていれば、特筆性があり、何でも記載しても良いというわけではありません。)--Dr.Jimmy会話2016年2月7日 (日) 09:49 (UTC)
すみません、最近出典の付与作業を行っている関係で議論から逸れている部分がありました。最後の「今回の意見が合っているならば~」からの文章は現状の記事の記述に対する編集の話でした。実は六つ子の解説に関して言えば二次資料による出典を付けられるものがほとんどで、そうでないものについては羅列のうえノートページで記述の是非について問う予定だったので、若干混同した部分があったようです。その他の部分で書いている通り「一次資料に頼った記述の必要性」について公に認めさせるのって想像以上に大変な事なんですよね。例を考えようとして良いものが思いつきませんでした。なので今回「場合によっては一次資料に頼った記述も必要」とは書いたんですが、実際適用される確率は相当低いんじゃないかと考えています。今の記事だと精々一部の注釈ぐらいでしょうか……結果的に書いたばかりの意見を撤回するような形になって非常に申し訳ないのですが「二次資料で言及のされていない一次資料のみに頼った記述については予めノートページで提案を行い、他の編集者の同意を得てから編集を行う」「二次資料で言及されている記述についても、必要性や内容について他の編集者と意見の相違があった場合にはノートページで話し合う」辺りが妥当でしょうか。--キルミツ会話2016年2月7日 (日) 11:21 (UTC)
  アニメ記事の一次・二次資料の扱いについてはWikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)#一次情報と二次情報も読んでおかれることをおすすめします。こちらのガイドライン(方針ではない)では一次資料における利用可能な情報として「物語の筋そのもの」が認められているのですが、これをどう解釈するかが現在の混乱の原因だと思っています。--Sazanamiya会話2016年2月8日 (月) 10:19 (UTC)

出典の明記について

元々「編集の方針について」に書き込んだ内容ですが、最新の書き込みが分かりづらくなり議論に支障が出ると判断しこちらに分離しました。今後、議論と直接関係無い事柄はこちらで報告します。--キルミツ会話2016年2月6日 (土) 04:24 (UTC)
議論からは多少外れる内容となってしまいますが、ひとまず登場人物節の「おそ松」について大半の文章に出典を付与しましたのでご報告します。出典の記事から読み取れない内容についてはやむを得ず削除しましたが、概ね元の記述と同じ内容になるよう努力してみました。イメージカラーと特徴(原作と比べてほぼ違いが無い、という部分)については資料が見つけられず一時保留にしてあります。以前明記したとおり、「おそ松さんのアニメ自体」は見たことが無い状態で現状の文章と出典のすり合わせを行っておりますので手探りな面もありましたがいかがでしょうか。以後も引き続き出典付与を行う予定です。ご意見があればお願いします。--キルミツ会話2016年2月5日 (金) 10:20 (UTC)
上記の件で一点追記です。文章中の言い回しについては、出典の文章をそのまま写す形にならないよう「言い換え」に試行錯誤しておりまして、一般的な言葉で無い部分もあるかもしれません。「ここが変だ!」と思う箇所がありましたら出典を確認のうえ改訂するなり、別の出典を利用して改訂するなり行っていただけると助かります。--キルミツ会話2016年2月5日 (金) 10:30 (UTC)

  質問カラ松が演劇部にいたという件についてなのですが、言及のあった第3話の『OSO』自体が他の話とのつながりがあるかどうかわかりにくいため、残すべきかどうかわからずにいます。--リトルスター会話2016年2月6日 (土) 05:29 (UTC)

  返信 リトルスターさんがご質問の件は、現在議論中の「編集の方針について」に関わる内容かと思います。それを削除するか否か、について話し合いを行っておりますので、明確な返答については出来かねる状態です。私個人の意見としては手持ちのどのアニメ雑誌にも記載が無いので削除すべきと思いますが、議論が終了するまで対応は保留にしています。--キルミツ会話2016年2月6日 (土) 10:53 (UTC)
  返信 ありがとうございました。議論が終了するまでそのままにしておきます。--リトルスター会話2016年2月6日 (土) 14:48 (UTC)

  報告報告が遅くなりましたが、六つ子に関しては既存文章で出典をつけられるものについては付与が完了しました。現在はサブキャラクターへの出典付与に取り組んでいるのですが、二次資料の記述が主役である六つ子に集中しているので使える部分が少なく苦戦中です。引き続き編集を行っていきます。--キルミツ会話2016年2月27日 (土) 09:08 (UTC)

  お疲れ様です。Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)#結論で「一次資料と二次資料をバランスよく使用してください」とありますので二次資料がないならとりあえず一次情報だけでも良いと思います。二次情報ばかりになってしまうのもよろしくありませんし。--Sazanamiya会話2016年2月28日 (日) 02:31 (UTC)
ページ「おそ松さん/過去ログ1」に戻る。