ノート:るいは智を呼ぶ

最新のコメント:6 年前 | トピック:外部リンク修正 | 投稿者:InternetArchiveBot

ネタバレ要素について 編集

現状、央輝について、公式サイトにて呪い持ちだということがイベントCGやキャラ紹介のアイコン画像(呪いのマーク)などで開示されました。それに伴い、重度のネタバレ要素である呪いに関する記述に、残りの2名である両者を書き控えることは既に無いと判断し掲載させて頂きました。(八星という単語自体も既に掲載されていることからも)

同じく真耶についてもその存在について言及されていますので、ネタバレテンプレも貼られている事ですし、呪いに関する部分のみ突っ込んだ形で掲載させていただきました(惠との関連性については伏せて)。

なお、今回の情報解禁に関わらず、過去の編集理由が理に適っていないと感じられるので言わせて頂きますが、wikiではネタバレの記載は禁じられていません(発売前作品など除く)。Wikipedia:ネタバレを参照していただければ納得いただけるかと思いますが、作品の内容(具体的なシナリオではなく)や登場キャラクターを語る上で必要なものであるならば削除される理由はないはずです。ウィキペディアは百科事典であり、これからプレイする人へのガイドでなければ、公式サイトで扱う情報のミラーでもありません(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)。 作品自体世に出回っているにも関わらず、公式サイトで公開されていないネタバレ情報だからといって恣意的に削除されているとすれば、まさしく上記の考え方の記事であると言わざるを得ません。

※実際この記事では、最終的にはネタバレ節を作った上で記載されているようですが、その過程についての所感ということで。
その際の最終的な編集方法(キャラ紹介から呪いについてのネタバレ要素を移し、目に映り難くする)は素晴らしい物かと思います。

この件について編集合戦をされていた方は一度ご確認頂いた上で、問題があれば適切な形へ修正をお願いいたします。--2LF 2010年5月10日 (月) 15:56 (UTC)返信


---ご返事--- 


要約
 ルール基準がすり替っています。「人類の営みにとっての必要」は「書かない価値」を超える、ということです。「人の営み」とはもともとネット編集者の趣味生活のことではない。古典は人の営みにとって知るべき共通知識だと言えるが、サブカル娯楽作品の最終ネタバレが「人の営みに必要」とは、事典の伝統として言わない。
 娯楽分野の場合、読者の迷惑があるのは明白。だからネタバレに一定レベル以上の正当性があると言うなら、個々の事例において、書くべき必要理由を示す必要がある。
 この当然のことを無視して、必要理由はいつも語られていない。自分が気楽に書きたい=書くべきだと断言する=読者が要るに違いないという確信があるかのような気分にさせる=実際は何の必要も示さない。 ・・・というのが、通例です。 異常さがまかり通っている傾向が強い。 
 端的に結論づけるなら、
0 前提として、人々に路を示す導入知識以外に、ネタバレをすべき伝統などない。(古典は別)
1 理想としては、公共のために、分けろ。(できるだけ完璧に。読者の判断による無段階>多段階>二段。)
2 でなければ、公共のために、書くな。(個々の必要の説明もできずに)
3 最低限、他人に押しつけるな。(押しつけを正当化して人間の常識と思考力を歪めるな)
 です。

詳細
Wikipediaの基本。
 Wikipediaは、寄付金で成り立っていることを忘れないように。社会的な理想を目的とし価値基準としてのWikipedia。編集者は協力者であって、Wikipediaの所有者ではない。読者のための百科事典です。

 もともと百科事典とは明治に百学連環と訳されたように語源(ラテン語由来)からして、元々教育的なものであり、知識をより詳しく調査するための入口として、知識連環の一部とされていました。 「百科」という言葉は雑学という意味でしょうか? エンサイクロペディアとは語義上、雑学事典の意味でなく、「教育的百科連環」という意味で理解すべき用語です。そういう視点があるということさえも知らない・・というより感覚上排除した上で、決めつけている人が多い。

 「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」においても、 「あらゆる細部に至るまですべて包括する詳細な解説」 ではなく「はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです」、とか、、、また一方で、「情報を無差別に収集する場ではありません」の中で>「ほとんどあらすじしか書かれていないようなフィクション作品の記事は、現実世界における位置づけを説明する、よりバランスのとれた内容となるように改善されるべきです」とか、、書かれています。つまり、、、、ただただ書きたいこと何でも書いていって膨大になっていくことを発展とはせず、現実世界の視点から役立つものを書いていく、というのがウィキペディアのあり方です。

 ちなみに、ジミー・ウェールズ(ウィキペディア創設者・現全権者)は、「自分はネットの人間でなく、紙の事典の人間である」ということを以前どこかで表明していたはずです。

基準 Wikipedia:ネタバレ」について
 「営みに必要」と書いてある。前述の百科事典のあり方から、人の営みとは編集者の書きたがり欲求よりもリアリティのあるものであることがわかるでしょう。もともと事典は作品への道筋だったり、作品外でも通用する知識を伝えるものであり、フィクション空間に最後まではまったときにだけ通用する(それも事前に知る必要のない)知識=ネタバレを、「人の営みに必要」と書くわけがない。
 ((7月24日追加)「人間の営み」とは2007年10月16日に黙って無断で書き直されたものらしく、それ以前は「人類の営み」でした。)
  •  例えば「営み」とは、迷惑読者のことを考えず自分が書きたいと思いそれを好むファンがいると思うだけなら、つまりはウィキペディア自体を一部のコミュニケーション活動とすることが「人の営み」だとしたら、それは「コミュニケーションに必要な場を提供する」ということが百科事典の目的の一つということになる。そういうことが書かれているはずはないでしょう。そういう仲間欲求は事典の理由になりません。記述した後の付随効果ではあるけど。読者の利用方法が想定されないと記述の必要は信用できない。
  •  一部の読者の迷惑と別の一部の読者+編集者の好みとでは同質です。編集の欲望が営みなら、迷惑も営みだし。 そんなものでネタバレ迷惑を無視していいなら、始めから「事情によらずネタバレは一切気にしない」と書かれているはずだ。だから「営み」をそんな欲求レベルで解釈することは文章理解がおかしい。(また、編集が営みなら他人の営みを傷つけても(名誉棄損など)いいのか?)
  •  フィクション空間を人の営み空間であると主張したければ「新しく主張」すればいい。しかしそれは既成事実のわけがない。また迷惑な者もいる。
  •  (追加)もともと、ウィキペディアは専門家による百科事典ヌーペディアの下書き部門でした。三つの編集方針もその時期からのものであり、このネタバレもそうなのでは。そういう時期の「人の営み」といえば、何でも娯楽ではなく、「重要作品」「実生活との間接的な繋がり」が考えられ、「最後は専門家が価値判断できる」という背景が考えられるはずです。なのに、ルールと言って微妙な理解を除去して決めつけるなんて、尊重の価値がありません。
 具体例として、古典を全ネタバレすることと、最近の娯楽作品のネタバレをして興ざめさせることは、全く違う。最近の娯楽作品は百科事典に載せる必要はない、という意見もあるぐらいで、もともと紙の百科事典にはネタバレの問題が無かったのは、そんな作品の項目がなかったからです。
 ---以下は、古典を省いた近年の娯楽作品について、です。---


記述の迷惑
 記述が必要だという証明責任。  迷惑があるのは明白。読者のための百科事典。記述が必要なら、個々の事例で必要を説明すべき。


記述の必要価値について
 事典の価値観として、作品世界に入った者にだけ通じる知識のばらし欲求は人間の営みとは言わない。読者の必要性を個々のケースで説明してほしい。
 一般的に、古典と違い、近年作の娯楽作品の重度~最終のネタバレは事典にとって悪である。というのは・・・、娯楽作品知識は知識教養としての意味はなく、事典はダイジェスト作品として鑑賞されることは目的にしていない(また百科事典は記述文を味わって楽しむためのものでもない。)。 最終的なネタバレは、その作品を鑑賞する気分を損ない、情報を伝えることで情報の価値を減じることでしかない。そのようなことは事典に反する。 もし一方、その文を読んでいい気分に浸りたい人がいたら、それはすでに作品を鑑賞済みの人であり、その人にとっての情報価値は低い。以上の+-を総合すればマイナスであり、初心者に重度のネタバレをするのは、事典の使命(=世の中に知識を広めること)の価値を低下させる。常識的に予想してこれが一般平均値であり、判断のベースとすべき。
 その上で記述したければ、個々において、必要な記述なら理由を説明すべき。
 説明がないなら、完璧なネタバレ隠し方法を使うべき
 すべてを書くのが原則だというなら、ゲームの攻略法を書くのも当然となり、書いたら消すべきでないとなり、すべて書かれることになるだろう。ところで、今それらを書かないとされているのはなぜか? 攻略法は疲れるゲーム時間を大幅に短縮し、人の営みに明らかに有効だ。最終ネタバレ以上に、書かれるべきはずだが? それなのに、重度のネタバレの方が書かれるべきだという理由は?
 私の考える許容できる=価値の高いネタバレとは、、、後尾に回します。


ネタバレ欲求者について(参考)
 私は、以下のような理由で彼らのかなりの部分がまじめに書いているとは信じていない。正直に書きます。
1 ネタバレの付随傾向として、彼らの本音は独自解釈の文の押しつけにあるらしい。前述のように、書くこと自体で盛り上がりたいという、ファンのコミュニケーション欲求は、つまり自分の味わいを表現したいということであり、それを客観ふうの文体でやろうとすれば、自分の味わい=独自解釈ということになるのだろう。(ここまではうっかりもある)
2 議論を不公正に歪ませる。 彼らは、百科事典はすべてを書くものだというが、その根拠はただ決めつけているだけに見える。決めつけておいて、それが違うことを証明せよという論法である。一定の読者に迷惑なことをするのだから、「営みに必要」なのを説明すべきは自分たちなのに。 
3 以前、折りたたみタグを廃止しようという話があったのを読むと、書くべきネタバレに折りたたみタグは必要ないという人もあったようで(正確には記憶していない)、これは書きたいのではなく読ませたいのだと思う。そして、自分の書いた文の体裁が折りたたみで邪魔される、などという読者の迷惑を無視した呆れた思い上がりも理由にあった。
 折りたたみタグの後には、最近にはスキップやページ途中のネタバレ注意タグを廃止しようという提案もあったようです (「Wikipedia:ネタバレ」のノートのごく最近)。まともな根拠を示すことを求められてできなかったようですね。折りたたみのときはともかく、ネタバレタグを廃止しようとするのは、ネタバレを初心者に押しつけたいのが本音としか取れないのが常識だと思います。もっとも、読者のつごう無視で、自分基準の美観の押しつけ、というわがままな人もかなりいるようですが。
(そこを詳しく見ると、「すべて書くのは当然という根拠は何か?」(2009年12月13日 (日) 09:17)、「全ての記事においてルールを杓子定規にあてはめるべきではありません。(2010年6月21日 (月) 11:42 ) という質問や意見に対して、返ってきたのは、遠慮はいらないだろう、という初めての参加者の意見であり(2010年6月21日 (月) 12:12 (UTC) )、「もともとこういう理由だ」という答えは返っていません。しかもこの人、ネタバレが嫌でウィキペディアが使いづらい読者への配慮をするな、と言う人物です。)
4 こういうウィキペディアを私物化するみたいな人が多いせいで、私が散見するとき一般的にものごとの基準が逆にして歪めてられていると見えますね。
 どうせ彼らには答えられないだろうが、2LF さんは答えられますか? 以下のような質問に。
 【あなたはウィキペディアの寄付者達に、古典ではなく近年の娯楽作について、作品を直接鑑賞しようという人達の迷惑をかえり見ず、ただネタバレ知識でページを編集して自己満足に浸る編集者のために、(もし寄付を用途分割できるなら)寄付に値すると思ってされますか?と聞けますか?】
 それとも、ネタバレを記述すべきある程度明確な理由がたいていあるのでしょうか?


ネットの中での位置づけ
 よそがネタバレをやっているにしろ、そこではいろんな注意もされています。折りたたみは普及してないが、白反転や別頁移動はふつうです。ウィキペディアにはそれが使えません(たぶん)。しかも、ウィキペディアはファンサイトの一つでなく、「すべての人のため」に開かれたものであり、一部の読者を無考慮に切り捨てることはこれに反します。よその低い方に合わせるのでなく、公共的に必要な高さを持つべきです。でないと、寄付金を取る資格がありません。また個人サイトとウィキペディアではgoogleの順位が違います。
 また実際上、ネタバレ自重無しなどとすると、前述のような独自解釈をしたがる者が書き込んで、やたら編集合戦になることが予想できます。


私の許容するネタバレの価値
 微妙な注意を払いながらですが。作品紹介として役立つ面の方が大きい場合とか、鑑賞者が見逃しやすい点・間違えやすい点を(独自解釈でなく)指摘してあるとか、公式認定済とか、鬱が多いから注意しろとか、読みの深まりに有効だとかです。
 ここで読みの深まりに有効というのは、あくまで当人が読み取ろうとする補助であり、事前に知ったせいで読み取る熱を冷やすのでは、作品を損ないます(古典ではないですから)。実際には一作品にそういうところはいくつもあり、どの程度が最適か、作品にもよりますが・・・具体例を考えていくと結局ほとんどの場合、ネタバレでなく読みを導く表現をすればいいだけです。ここの項目で人物の呪いと能力についての初期の編集変更にあったようにです。そして、ネタバレしないと説明できないと思いこむ方が、むしろ浅い独自理解を押しつけていました。重度のネタバレには独自解釈もつい入り込みやすい傾向もあるしね。
 つまり、一般的に、重度のネタバレはよくない始末が悪い。極めてまれな例外以外は既読者のためだけのものであり、作品初心者に他の文と一緒に見せつけてはいけない。例外はあり得るとしても、その稀な例外を判定することは、ネタバレをしたがる者には決してできないだろう難しいです。ネタバレする者は、思想的なバランスに注意して、深みを教えるつもりで狭さに導いてしまう、なんてことのないように、読みの深さに目が向くように作品を紹介すればいい。文を練る時間はいくらでもあります。それができない者は、ほんとはわかってはいないか、他人への説明能力がないんだから、他人にとってのいい鑑賞の仕方もわからず、ネタバレの最適程度も判別する資格はない。
 他の文と一緒にせざるを得ないような稀な例外はありうるでしょう、これといって問題作でもないときに(私の想像を超えているけど)。その場合、初心者でもいやでも知っておくべき迷惑以上の書くべき価値があるのだと説明する必要があります。問題作が問題作だと説明できるように、そうでなくても特筆できることがあるなら説明可能でしょう。
(挿入訂正--60.38.207.76   2010年8月13日 (金)
 記憶違いです。
 改めて調べたら、ネタバレをかなり書いたのも、私の求める以上に余分に削ったのも220.8.206.101 さんでした。私の求め以上にネタバレを嫌がる人に配慮してくれたのだと思います。 その書き方を云々したのは失礼でした、独自解釈的な文章があったので気になっていた記憶断片のせいで、記憶のイメージがずれていたのだと思います。 
 いずれにしろ、問題はネタバレの必然性以上に、コメントにあるようにその見せつけの体裁にあります。あなたが素晴らしいと評したことの裏返しは、なかなかそれをしない雰囲気がある、ということでしょう。私もそうで、だから始めは、必然性や独自解釈的かどうかが気になったときに、削除したのです。要するに、すべての人に必要でないものは、見せつける形で書くべきではない、と。)--60.38.207.76   2010年8月13日 (金)


最善の方法
 私は、重度のネタバレは既読者の備忘録・読みかけ挫折者の参考だと思う。一般には目に触れなくするのに最善の注意を払うべきなので、白反転や折りたたみ書式を使えるべきです。(しかし、、そこまでやると、こんどは独自解釈を書きたがる者が増えるかもしれませんが。そして貯まった所でそれを理由に、反転や書式を無効化させる運動を展開し、一気に見せつけたがる者が出たり、なんて。ネタバレタグの例もあるし。)
 白反転の欠点は、検索サイトで反転が無視されることです(他の方法でも同様だが)。いい点は、ネタバレ度が読者の好みで無段階に調節しやすい。それは見苦しいなどと言って反対する者がいるだろうが、それはナルシスなものでしかないと思う。見苦しければ書かなければいいだけ。


現状文について
 ちょっと神経質かもしれないのだけど、これだけ文を書いてしまうと典型的な見本としてどう決着するか、が気になってしまう。  文の仕上げは本来主観センスにもよって微妙に違うし、2LFさんの最終案は許容内だとも思うけど、この流れから一応私の書き方を示しておきたい。 昔風の記述にもどすので、再記述のさいは理由などを書いてください。
 わたしは、彼女は謎そのもの・ストーリーそのもののキャラクターであり、キャラクター説明の体裁を整える必要はなく、存在があることを示すだけでいいと思う。人々の会話に作品名抜きに人物名が出てくるような有名キャラを別として、人物紹介の形で説明するのはストーリー紹介の一方法にすぎません。
 情報解禁と言うが厳密には、向こうで名前だけ出てる場所が違うでしょう。こちらで名前を出してつなげると、変わってきますよ。まあ最終レベルから遠いネタバレには元々そうこだわりませんけどこのさい私のベスト案例として。


ネタバレ部について 
 ネタバレ部で名前が太字だとうっかり読みたくなるので、通常字体に変更。ネタバレ部の価値は既読者の備忘録か・読みかけ挫折者へのストレス低減だと思うので、読みたいようないい文を書く必要はないと思う。ていねいに書いた人には失礼かもしれないけど。
 余談ですが、じつは、真の力や最後の世界観感想については、テレパシーじみた要素があるのと選択肢の現れ方からしてどうも疑わしいと思うので、 私は断定的に記述したくない。
 理想は、ネタバレ部は、↑うす字が一番いい感じですね。他の部分にネタバレを埋め込むなら白反転。独立させるなら、うす字、とね。そうすれば、適度に選んで跳ばしやすいし、かつ、無意味な書込を遠慮させることもできると。まあ、基準を合意せずに広まると、また廃止させられるのですぐに使わないけども。
 うす字の欠点は、こういう色指定は、ブラウザ設定で無効化されてしまうことがあるということです。長時間モニターを見続けるのには目に優しいのは、文字が白で背景が黒なんだけど、そのようにブラウザを設定すると、WEB頁での色指定は無視されます。こういう目にいい色反転は普及する方がいいので、するとうす字には頼れない。やるなら、無効化しても大して変わらないように注意して仕上げるべきだと。
 また、うっかり目に入れてしまうことを防ぐには、空行で隙間をつくるといいけど、たいていは連続的にスクロールするのでなく、一画面分づつ送っていくことの方が多いだろう。すると、送ったときに、画面の真ん中にネタバレ文が来てしまうということが起きますね。目次で注意しているとはいえ、おもしろくはないな。
 だから現実的には、重度のネタバレは、ページ最終位置か解説の最終位置が定位置になるのが一番いいと思う。 --60.38.207.76  2010年7月18日 (日) 16:31



追加 ウィキペディアの一般原則から見直し
要約
ウィキペディアの一般ルール?ガイド?などからしても、書く側が個々例の必要をもって書かねばならない。
英語版が異常状態で、そのために逆転した主張が公然となされている。
そのせいで、ここの項目のような工夫さえもよそでは邪魔されている。
詳細
 ウィキペディアの一般原則から見直しました。

1 リバートなどの場合、書く側が正当性を示す必要がありますね。根拠だけでなく。
2 ネタバレの場合、人類の営みにとって書かねばならない必然性があるなら書け、ということなので、この必然・価値を想定できてなければならない。
3 これが逆転しているのは、おそらく英語版のせいだろうが、英語版(挿入。500回前が2007年です)以前がわからない。ここ3年間、二日に一回の改訂があることになる。そもそも、ウィキペディアのガイドライン本文として、これだけ改訂が頻繁に行われるとはどういうことだ? 英語版はかなり異常な状況にあるのでは? ノートまでは読めてないが。
 英語版現存最古の(500回前の)2007年版を見ると、冒頭がかなり不自然な文の流れになっていて、まるでつぎはぎ。また詳細部では、ネタバレタグが趣味として嫌いらしい。しかもタグの採用に耳を貸さないことを正当化できるように読める。なんとも疑わしい。
 (それでも、ウィキペディアはリアル世界の視野から書かれる、という文はあるのですよ。)
4 むしろ、日本の最初期の版の方が、時間的に早く、文章も自然で原形を示しているだろう。そこには、「人類の営みに必要」とある。これが書くべき価値観。
 (「人類の営み」が「人間の営み」へと2007年10月16日に書き直されているのは、どうも黙って無断で行われたように見えます。)
 このように、1の一般ルール、2と4の書くべき価値、という上で書くべきだという「ガイドライン」なのであり、書くべき価値理由も無しに 「機械的にあらすじを全紹介していくのが基本。ただ、配慮して書かないだけだ」 などというのはまるで逆だ。
 (追加挿入)英語版の最初期のはありましたね。初期とガイドラインの貼り付けの要点は、読者にしっかり通告せよというものでした。ネタバレがある理由は百科事典だからでありウィキペディアではなく、つまり紙の百科事典の時代の事典としての価値観・センスを想定しているはずです。古典や近年のある意味で(問題作とか、百科的な視点から)の注目作は収録されても、単なる娯楽作をいちいち収録していなかったはず。 --60.38.207.76  2010年7月21日 22:29
 
 基本現状認識
 古典など百科的な視点で書くべき価値がネタバレで疎外されているのではなく、ネタバレガイドラインによって不必要なネタバレと独自解釈との押しつけが正当化されている、というのが現状でしょう。また、だいたい作品というのは複数の解釈が可能なことが多いが、その中の一種だけを特別強調することになる書き方が多い。
 どうも、「書くべき」ということが誤解・曲解されて、なんでも書きたがる者がいて、ブレーキ境界線が見えない。だから、タグをうまく使う方法がわからない。
 ここのように、別に節を作ったり目次に「ネタバレ」と入れたりしてちゃんと使おうとすることができないのは、萎縮しているから=柔軟にうまく応用しようとすると文章ナルシスト達から見苦しいとか邪魔されると思うからだろう。以前のspoilerタグが、ちゃんと使う方法を論議されることなく広がって、それが乱用だと言われたせいで。
 乱用のほんとの原因は、人類にとって必要ないネタバレを除去できる、とみんなが思わない・知ってないことでしょう。それをわかっていれば乱用は起きないはず。
      --60.38.207.76  2010年7月19日 (月) 12:57
 文章ナルシストな主張でネタバレタグを外したい人達は、ネタバレを迷惑とする読者は見なくていいという態度で、配慮は不要というより禁止したがっているかのようだ。こういう意見が通ると、ネタバレを遠慮する必要がないので、無制限に書き込まれていくだろう。こういう人達が、「タグがあるせいで書かなくていいネタバレが幾らでも書かれてしまう」と言うのは矛盾している。
 こういう提案に従うと、ネタバレタグの廃止と同時に文章ナルシストな美意識が重視されると決定されるわけだから、「誰かが書いたネタバレは外せない & その美意識で調整 → ネタバレを含めてストーリー紹介を完全に書く(独自の解釈も加わってしまう)」、ということが次々と生じ、その方向に編集が変化する。つまり、ネタバレタグがなくなると、ウィキペディアは価値があるかどうか以前に完全にネタバレをするのが標準な書き方だ、と言われることになるだろう。そして、作品の本質の解釈を書き込むことが事典の使命だ、ということになるだろう(独自の解釈しか書けない者がほとんどなのに)。 これがネタバレタグを廃止したがる人の本音か、予想しつつも黙っているのだろう。 
   (修正・追加)    --60.38.207.76  2010年7月20(火) 11:03-11:006
 
 (「---ご返事---」全体についての 修正・追加)      --60.38.207.76  2010年7月24日 (土) 10:57
 過去の成行について、かなり大きな再修正、追加。--60.38.207.76   2010年8月13日 (金))
  コメント Wikipedia:ネタバレでの議論を見てやって来ました。不勉強のため記事の主題となっているゲームについては詳しく知らないのですが、60.38.207.76さんの主張は、合意の上で形成されたウィキペディアのガイドラインを軽視しているようにも感じられ、私論の域を出ていないという印象も受けました。現行の「Wikipedia:ネタバレ」のガイドラインに不満があり、ネタバレ隠しを復活させるべきだとお考えであれば、Wikipedia‐ノート:ネタバレで合意を取り付けて下さればと思います。--Kanohara 2010年7月25日 (日) 18:39 (UTC)返信
Kanoharaさんが向こうで書かれたことなど、続きは向こうでやりましょう。
ただし、「合意の上で形成されたガイドライン」ではなく、「ガイドラインという形にして続いている」というのが正しいでしょう。合意形成はノートからいつも見えませんでした。Wikipedia:合意形成。 「軽視」というより「疑問視」です。
また、ネタバレ隠しタグの復活については、利用者たちという環境が整わなければ不可能だと述べているつもりです。環境整備という面倒なことをする気はありません。どこかの編集でタグでない何らかのネタバレ隠し、というのはありうるかもしれません。今の時点では、うす字の方がいいかと思いますが、、さて。

--60.38.207.76   2010年7月26日 (月)深夜

  コメント 文字色でネタバレを隠すというのは、SpoilerHの廃止議論を蔑にするものであり(「Template‐ノート:SpoilerH/投票」などを参照)、ネタバレ隠しの復活と同じことであると捉えています。それを「現時点でベスト」であるかのように捉えることは賛同しかねますので、それを是と仰るのでしたら「Wikipedia‐ノート:ネタバレ」で議論を持ちかけてみてはどうでしょうか。--Kanohara 2010年7月26日 (月) 16:25 (UTC)返信
 どうしましょうか。私の気持ちは半々というところですね。そう見えやすいでしょうが。
 ここで書かれたことの認識の違いはここで書いておきます。
 隠すということには、書かれている内容を選択的に伏せる、正式本文から隔離して問題があることを隠す、という二つの意味があります。spoilerHの乱用で問題になったのは、問題があることを隠して乱用されるということです。この点は、各人がほぼ一致していました。
 うす字は問題があることを隠すことはありません。分量もわかりますし。いわば色字・字体と同じ文字飾り。目立たない方向にして、読み飛ばしやすくするための。さらに、上記で書くように、うす字は独立した節を設けることと合わせて考えているわけです。混ぜて書くわけではない。これもspoilerH乱用の形とは全く違います。
 ですから分類を決めつけられては困ります。それに向こうの過去ログを見ると、あなたは見せつけてしまおうとする派のようだし、見せつけたい頑固な人もいるから、向こうは新しいことは完全阻止する場としか予想しにくい。 わかっているでしょう。
 また、spoilerHの廃止議論は先に進まなかったからやむなく見切り発車として投票された。またspoilerHという手法があまりに便利に広がったその程度状況が問題だった。投票選択も3択以上の案が消えて2択だったのは緊急避難だったからでしょう。つまり、投票と投票者の思考はそのときの判断であって、かみ合って方向的決着ができたわけではない。そして、その後の対処を考えるという話は止まったままに見えました。 そしてもともと読者に配慮すること自体を拒否する人達と逆の人達との間では、読者への配慮の調整など見られなかったようだし。 議論がこのようである以上、「議論を蔑ろ」というのは事実ではない。
 参考に、Wikipedia:投票は議論の代用とはならないは英語版の翻訳です。英語版はガイドライン化しているようで、その要約ラベルは「議論は投票によって作られない」と読めました。これはルール云々ではなく、ウィキペディアはそういう考え方の下に存在している例証です。いろんな要素を投票の名によって消し去り、それに従うことを求めるというのはウィキペディアに反します。
 この廃止問題は、テクニックの乱用問題です。乱用されない方法であれば、問題ないと思います。もっとも、その乱用封じに色の一定設定もあった方がいいなど議論が必要でしょうね。議論の場が信用できればいいのですが、現状信用できないから困る。spoilerHの議論でも、禁止するためにする口実が複数あるという意見が複数見えた。
 わたしなりに当然の注意はします。しかし従属を求めるなら不当です。あいまいなものを既成事実化して規則同様に考えることはWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありません、ウィキペディアは多数決主義ではありませんを広汎に蔑ろにしていくものでしょう。ウィキペディアは読者と項目に対する誠意で基本理解しています。別の方向へ数やルールやマニュアルの名をもって押しやることをウィキペディアだとは思えません。
 補足。もしも万一、あなたがこの項目ローカルについてのこととして反対されるという意味を含むならば、それは内容ある議論を経ずに、ずれた意味の数を根拠に読者への配慮を阻止する行為ですから、圧力的に見せつけが強制されているという状況を示す実例に相当すると考えます。

--60.38.207.76   2010年8月13日 (金))

  コメント ガイドラインに不満があるのでしたら、そちらで意見を持ちかけるべきかと思います。今のところ何らかの手段によるネタバレ隠しには合理的な理由がないので、例えば60.38.207.76さんが見えにくくするのは自由かも知れませんが、それを他の方が「見えにくいから見やすくした」と称して元に戻しても、60.38.207.76さんは文句を言えない状況にあると思います。ウィキペディアが多数決主義でないという点については「Wikipedia:合意形成」もご覧ください。他人の賛同を得られない個人的な主義主張は、他の執筆者の合意を得られないことでしょう。--Kanohara 2010年8月13日 (金) 05:36 (UTC)返信
書込完了の確認のために見たら、早い反応ですね。
>何らかの手段によるネタバレ隠しには合理的な理由がないので・・
ネタバレの見せつけにも合理的理由がないということは言わないとか、リバートするぞとか、全員を味方にしないと否定するぞとか、いかにもな党派支配欲にしか見えません。ネタバレ見せつけ派ということへの弁解はなさらないのですか。
急いで書き込んで一人で議論をオーバーフローさせて、否定されたかのような印象を持たれることは避けたいですね。誠意のある人との話し合いでないと。それに私は他人が戻すことを禁じはしません。話し合いの合理性が大切ですから。広くブロックしたい人ではないつもりなので。

--60.38.207.76   2010年8月13日 (金)-2

  コメント 一人で議論ををオーバーフロー、ということですが、今のところは60.38.207.76さんが長文で説明した個人的な持論よりも、ノートの冒頭に意見を書き込んだ2LFさんの意見の方に根拠や説得力を感じます。私としてはそれだけです。--Kanohara 2010年8月13日 (金) 06:07 (UTC)返信

2012年3月18日22時(UTC)頃の編集について 編集

221.189.197.211氏の編集に関して、「ストーリー」節の内容以外は差し戻しました[1]。理由は、以下の通り。

  • 相変わらずストーリーが宣伝広告のようなので、その旨をテンプレートで表示。これを「良い文」と仰るのは無理があると思います。この文では全然ストーリーが分からない。
  • 「ネタバレ」と「ネタバレ冒頭」が被るので、後者のみ残す。
  • 無意味な空行の挿入による記事構造の破壊を直す。
  • 見た目だけリストになっていた部分をdl-dt-dd/ul-li要素に置換。
  • 登場人物説明中にある用語の意味が分からないため、用語説明を上に持ってきた。
    • 登場人物の説明を改善することで、用語集は後ろに戻せると思います。
  • 「脚注ヘルプ」は、廃止が検討されており反対意見もなく、必要性もないので除去。
  • その他、全角半角変換などのwikify。

ウィキペディアは、作品内容を深く知っている人がお互いの知識を確認し合うためのサイトではないですよ。全然知らない人が見ることも考えて編集して下さい。--Starchild1884会話2012年3月18日 (日) 21:55 (UTC)返信

上に述べた編集について、何故かここではなくWikipedia‐ノート:ネタバレへ異論があったのですが、どうすれば良いでしょうか。どうも「わざわざ『ネタバレを読みたくない人』のためにるいは智を呼ぶ#才能と呪いの詳細にネタバレをまとめてあるのに、るいは智を呼ぶ#登場人物にネタバレを載せるのはけしからん」ということらしいのですが、むしろ、「才能と呪いの詳細」節を解体して登場人物説明に混ぜる方が読みやすいと思うのですが。キャラクター説明と才能・呪い説明を行ったり来たりは不親切でしょう。私はこの作品のことを全く知らないので編集そのものはできません。
それと、キャラクターの身長体重や好きな食べ物、趣味などは、本文中に書かずTemplate:架空の人物を使った方が良いかもしれないです。--Starchild1884会話2012年3月20日 (火) 22:14 (UTC)返信


>無意味な空行の挿入による記事構造の破壊を直す。

いろんな人が見るための利便性の破壊を止めてください。「構造の破壊」などと大げさな言葉を使って、利便性の破壊の方がはるかに明確な破壊だ。

>ウィキペディアは、作品内容を深く知っている人がお互いの知識を確認し合うためのサイトではないですよ。全然知らない人が見ることも考えて編集して下さい。

全然知らない人に誤解させてまで読ませる内容はありません。信頼できる二次情報がないのに書けとテンプレートで人々に呼びかけるあなたの方が、私物化している。
  • それとテンプレートについて。
作品を知らぬ者が、いいかげんな書き方を要求することはできない。
また、完全な事実のない場合に、表現が断定できないのは当然。たとえ作品で一見明示されたとしても、それに矛盾が生じる作品なら、断定はできない。
それと、中立テンプレートは、ディー・エム氏の解釈で使うなら使い方が間違い。作品内事実と現実の観点とを混同している。

--60.38.207.76 --IP118会話2012年3月27日 (火) 17:48 (UTC)   返信

  コメント みんながみんな好き勝手に「こっちの方が読みやすい」など言い出すと収拾がつかないわけです。ですから、Wikipedia:スタイルマニュアルというルールが作られているわけです。可能な限り、スタイルマニュアルに従って編集して下さい。スタイルマニュアルに従いつつ、見易い記事にすべきです。
空白を多用しないと見辛いというのであれば、記事そのものに問題があると考えるべきです。他の記事ではそんな空白は入れていないのですから。--Starchild1884会話2012年3月27日 (火) 21:07 (UTC)返信
ネタバレを気にする人のための可読性です。気にしない人達の可読性が98%から94%まで落ちることよりも、気にする人が80%から30%に落ちる方が問題です。前者は数が多くても気持ちが軽い、後者は小数でも気持ちが重い。
そういう配慮ができないというのは、ルール感覚自体に問題があります。不十分な形の知惠の結果をルール化して、他の問題に配慮したら収拾が付かないと言うことは管理のし過ぎ感覚があるからでしょう。
スタイルマニュアルの冒頭の注意や、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんを見てほしい。ウィキペディアの規則は道理の承認の結果であって、決めるから道理があるのではない。
著作権云々は後日。--IP118会話2012年3月28日 (水) 17:06 (UTC)返信
  コメント 少数を無視するわけではありませんが、この記事構成はあまりにも大多数の「作品を知らない人」の可読性を損なっています。損なっているというよりは、全く意味が分からない部分が多くて読めないとすら言える状況なのです。大多数が読めて、なおかつ小数にも配慮するのであれば構いませんが、少数の利益のために大多数を無視するのは本末転倒であり許容できません。
少し、IP118氏ご自身が全く内容を知らない作品の記事が、この記事と同じような構成になっていたら、はたして内容を理解できるか、得たい情報を得られるか、考えて下さらないでしょうか。「必要に応じてルールを破っても良い」とは言いますが、今のような駄目な記事(明言します。今のこの記事はウィキペディア中でも最低レベルです)を正すには、まずルールに則って編集するしか打開策がありません。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいをよく読んで下さい。
後ほど詳しく#特筆性につながるテーマにより再構成。その書き方に書きますが、まずウィキペディアのスタイルマニュアルに従って記事を書き、それでは色々と不都合が出ることが確認されたら、その時に特殊な書き方をしましょう。まずは、よその記事と同程度には「読める」状態に正すことが先です。--Starchild1884会話2012年3月29日 (木) 21:39 (UTC)返信

特筆性につながるテーマにより再構成。その書き方 編集

この作品について。
作品の中核は個々の呪いとは別。
しかしそれを書くのは、本来独自研究。信頼できる二次情報はない。淡々と書くのは、作品を誤解させる。 書くなら、多少の独自研究を覚悟で書くしかない。それしか作品像と特筆性にはつながらない。
個々の呪いは、特筆性とは距離がある。あまり書くのは簡潔でなく独自研究が深くなる。また、キャラクターをちゃんと書けば十分(それも特筆性につながる意味で)。

またこの作品は、重要な事実がじつはあいまい。 いくつかの場面であいまいさが示唆されて読める。
作品の世界観は最後に感想として語られるけど、このキャラは「詰めが甘い」と言われることを自覚している。またその世界観は、選択肢構造やテーマ曲の歌詞とはっきり矛盾はしないがズレを感じさせる。作中の事実がすべて本当とは限らない。
つまり、断定できないのが作品の仕様。

今回書けるようになったのは、最も古いガイドラインに特筆性という条件があるのがわかったから。また何年も過ぎると、公式の解釈が現れて解釈間違いが指摘されることがないと思えたからでもあります。また、強引に書け書けという圧力があって、未読者が未読者のまま作品を誤解しないようにということでもある。

具体的な書き方。

Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)、参照。
・あらすじ構成の部分で、分岐やテーマ曲の流れる場所などの構成をいっしょに書いたけど、これは作品世界の構造、作品とかゲームとかの鑑賞の構造に関係があると考えたので、いっしょにしています。
・この作品の書くべき中心テーマは、冒頭と終わりに用語のある世界についての呪い、テーマソングになっている絆、です。これは、作品構造とつながる形をしていて、そのトリックめいたつながり方を感動につなげたことこそが評判だったので、特筆性としてこれ以外にないはず。
・しかし、これらを詳しく書くのは独自研究になる。わかりやすく説得力のあるようにすること自体が、独自研究を読者に対して強めてしまうことです。
説得力を強めておいて、「これは独自研究です」なんて但し書きをつけることになってしまう。


・ここの人物の詳細はあまり書く必要はない。Wikipedia:キャラクターの記述に対するガイドライン
・ただ、厳密には独自研究ではあるが、作品テーマに対する位置関係を示すような説明を始めに少し入れておいた。
・人物については、なるべく公式からとるようにというガイドラインがあるので、有効と思われるものを残し、他の「人物描写を豊かにするための文」は省いた。
・キャラクターに価値を置く作品の楽しみ方はわかるが、あまり書くのはフィクション世界の視点からの欲求に過ぎず、ガイドラインの言う現実世界からの視点や、特筆性につながるものではない。
・特筆性の視点からは狂言回しにも取れる人物を詳しく書く必要はないので簡略形。


・個々人の呪いの詳細は、作品の核心ではない。特筆性につながるのは作品構造であり、どんなキャラクターをヒロインとしてルートをつくるのかと関連はあるが、個々の呪い&才能とは大してつながっていない。:呪いがなくても作品中の人物達の位置と性格は同じこと。
呪いを通して人物を見ることはできるが、キャラクターのガイドラインから、特筆性と全体性のテーマにつながらないものは省略が望ましいという基準もある。
・百科事典としては書く必然性はなく、事典読者によっては害があるので独立の節とした。この方が呪いへの内容理解として相互比較などの利便性が高い。小道具を一覧にするようなもの。
・また、知らない読者が初期に知っておきたい情報かどうかを分けるために、(重度のネタバレ)とか ストーリー展開(全体) と注記した。


・このやり方が妨害されるなら、テンプレートの一時削除は認められない。強制暴力の雰囲気に利用されるだけだ。

--IP118会話2012年3月27日 (火) 17:48 (UTC)返信

  コメント 前にも言いましたが、私は作品内容は全く知りません。ですのでこの議論には関われません。
ところで、IP118氏は「公式説明文より」「ソフト説明文より」と加筆されていますが、もし公式説明文をコピー&ペーストしているのであれば、引用を超えて著作権の侵害のおそれがある分量だと思います。ベースとなる記述は2009年3月15日から存在しているのですが、このベース文章も公式説明文のコピー&ペーストでしょうか。もしそうであれば、2009年3月15日以降の版を削除する必要があるかもしれません。IP118氏はこのゲームを所持していらっしゃるようなので、確認をお願いします。一応、後でWikipedia:著作権問題調査依頼にも依頼しますが、まずはIP118氏のご意見を伺います。--Starchild1884会話2012年3月27日 (火) 21:23 (UTC)返信

公式文との関係

公式文をそのままもってきた部分はありません。
ストーリーとして書かれていたのは、公式文の翻案でした。公式HP[2]、ソフト箱[3]、は互いにほぼ同文で、その翻案です。

人物説明について

セリフ以前に解説を加えました。

--IP118会話2012年3月29日 (木) 12:37 (UTC)返信

  コメント 公式文については了解しました。
なかなかIP118氏に、私が思っているこの記事の問題点が伝わらないようなので、ずらずらと箇条書きさせてもらいます。以下に述べるのが全ての問題点ではないことは明言しておきます(記事を読みながら挙げているのでどうしても漏れが生じる)。
  • まず「何ゲーム」なのか分からない。一応、ジャンル欄に「新美少女エンタメADV」とありますが、ADVと言われても普通の人は分からないと思います。また、このゲームが「エロゲー」なのかそこまで露骨な性描写等の無い「ギャルゲー」なのかすら、この記事を読んだだけでは分かりません。
  • 「作品構成」が無駄に長い。長々と書かれていますが、該当部分は「主人公の和久津智は『呪いの痣』を持つ少女である。ある日、死んだはずの母からの手紙が届く。その手紙に従い行動する智は、数々の困難を潜り抜けるうちに、同じような『痣』を持つ6人の少女と出会う」と圧縮できます。というより、圧縮すべきです。
  • 「ストーリー展開 (全体)と構成」は、「作品構成」にまとめるべきです。
  • 「作品特徴」と「雰囲気」は、独自研究なので全て除去すべきです。もちろん、ゲーム雑誌などに評論が載っている場合は、それを出典として書くことはできます。
  • 「個々の才能と呪いの詳細 (重度のネタバレ)」は、どういった理由で「重度のネタバレ」なのか分からない。私が見た限りでは、単に「作中で明らかになる、個々のキャラクターの追加設定」であり、別の節に隔離しておかなくてはならないような作品の核心であるようには思えなかったです。もし、作品の核心であるのであれば、記事内でそのことを説明して下さい。
  • 「台詞」が意味不明。該当するキャラクターの台詞だということは何となく分かりますが、何かの決め台詞なのか必殺技を出すときに言う言葉なのか、公式のキャラクターキャッチコピーなのか、そういったことが全く分かりません。
ひとまず、以上の点を改善して下さい。それだけでも、多少は読める記事になります。--Starchild1884会話2012年3月29日 (木) 22:21 (UTC)返信
  • > まず「何ゲーム」なのか  この記事を読んだだけでは分かりません。
もともと、18禁でありそれほど露骨でない、ということは表や冒頭部や概要に書いてあります。一応直したけど。
  • > 「作品構成」が無駄に長い。圧縮すべきです。
長いにしろ、作品の雰囲気を伝える公式文を元にしていて、雰囲気の残りは後で補完してあり、宣伝的には該当しません。私はどちらでもいいから、圧縮されたことには合意ではなく放置します。
  • > 「ストーリー展開 (全体)と構成」は、「作品構成」にまとめるべきです。
あなたが削った結果だと思うのだけど、そういうバランスの感じになったのでそうしました。
  • > 「作品特徴」と「雰囲気」は、独自研究なので全て除去すべきです。もちろん、ゲーム雑誌などに評論が載っている場合は、それを出典として書くことはできます。
これを完全に除去すると特筆性がなくなる。そのためあらすじを書く必然性もなくなる。最低限残して、「要出典」をつけるだけでいいと思う。
(追加説明) 現在の作品特徴をなくすと、残る特筆性とか作品特徴は、エンターテイメントであることだけになる。すると、公式説明からの翻案を再録することになる。なぜなら、エンターテイメントはその雰囲気が重要なので、雰囲気説明を公式からとってくるのは正しい。また「公式から」とコメントすることで、宣伝ではなくなる。それが現実世界にとっての位置づけからの作品説明として正しい。それでも念のためバランスを取るために追加としてなら、ストーリー後半や全体をつける理由ができる。
紙の百科事典では、エンターテイメント作品のストーリーは書かないことが多かった。トム・ソーヤーの冒険(平凡社版)のように他の説明はあっても。
それと、広い意味での呪いは設定の一つではなく脚本の特徴の一つなので、作品構成の一要素として戻しました。
  • > 「個々の才能と呪いの詳細 (重度のネタバレ)」は、どういった理由で「重度のネタバレ」なのか分からない。別の節に隔離しておかなくてはならないような作品の核心であるようには思えなかったです。
重度のネタバレは作品の核心という意味ではなく、かなりあとまで読者を引っ張っていくニンジン餌や味付けの一要素という意味。必然性なく、読者の選択にまかせるべきもの。
  • > 「台詞」が意味不明。  分かった上でも、台詞を書く必要性が感じられません。
もともと特筆性につながることを全ての記述の出発点としたとき、作品特徴の次の段階で、人物について記述すべき最小限の内容として考えたものだけど、解釈に関わるので抑えた形で引用にしていたもの。作品特徴を削ったので台詞も削りました。
--IP118会話2012年4月1日 (日) 04:56 (UTC)返信
(「作品特徴」について追加説明)   --IP118会話2012年4月2日 (月) 11:13 (UTC)返信
  コメント 「もともと、18禁であり(以下略)」に関しては、概要部分の文章を見落としていました。申し訳ありません。
「作品構成」に関して、本文中に「レース」の説明が無く「レースって何?」状態に陥っています。まさか鉄骨渡りをするわけでもないと思うのですが。「レース」を説明する必要が無いのであれば、それは「様々な困難」という一文にまとめられるので、削ってしまってよいと思います。前にも言いましたが私は作品を知らないので何ともし難いです。
あと、やはり「呪いの詳細」を別節にまとめる必要性があまり感じられません。キャラクター紹介にまとめるのでは駄目なのでしょうか。(キャラクター紹介も、智の「戸籍上女の男の娘」と「実は男の子」が被っているなど整理の必要があります)--Starchild1884会話2012年4月4日 (水) 23:17 (UTC)返信
  • レースは、様々な困難というだけでなく、エンターテイメントとしての一つのイベントでもあるので。(チーム勝負)をつけました。
  • 重複は削除。
  • 別の節分けは前回と同じ答え。重度のネタバレは作品の核心という意味ではなく、かなりあとまで読者を引っ張っていくニンジン餌や味付けの一要素という意味。必然性なく、読者の選択にまかせるべきもの。
百科事典はだれでもが使える調査の装置であり、事典の文章は調査のための文章です。百科事典が五十音順になっているのは縦横に調べる使い方をするからで、ネット以前の世界で百科事典で参照を辿っていくことは、今のハイパーリンクの同類でしょう。
そして紙の百科事典encyclopediaには、今回の個々人の呪いレベルは書いてありません(聖書や源氏物語レベルならともかく)。まとまりがどうこうという感覚基準をどこまでも磨くことにこだわるのは、作品世界かムック世界に入り込もうとする読み方であり、現実世界から見れば、多くの人が使い分けられることが大事です。
一面的な基準だけを、それが本来のものだと思い込み、市場を無視して磨き上げるこだわりは、鎖国が日本古来の祖法と思いこんだり、日本製品のガラパゴス化と似ています。
別の一面として、たとえば、日本の自動車業界を特集するとして、各企業ごとに車種を詳しく説明すべきか、車種は別個にまとめるか、です。a)企業について車種の詳細を通じて説明したいのか、b)自動車業界の中での企業を説明するのに軽自動車とかバスメーカーとかの説明はするが、それとは別に個々の車種はバス同士軽同士で並べるか、a、bどっちの並べ方がお好みかは人によるでしょう。並べ方のでき映えからどちらがいいとかあるとしても、本来形式はいろいろでしょう。--IP118会話2012年4月6日 (金) 16:03 (UTC)返信
  コメント (インデント戻します)
「レース」が「レース(チーム勝負)」になっても、結局チーム勝負とは何ぞや?という疑問は払拭されないわけでして。まさか鉄骨渡りのチーム戦を行なうわけではないとは思いますが。「エンターテイメントとしての一つのイベント」というのも(作品未プレイのため)よく分かりませんが、作品にとって重要な要素であるならば「用語・設定」節に記した方が良いと思います。重要でなければ、私のように「意味が分からない」と混乱するだけなので、除去した方が良いでしょう。
特筆性に関して「ゲーム評集合サイトの読者の賛同数自動集計」と加筆されていますが、そのサイトへのリンクを付けないと検証可能性を満たさないです。現状では、どこのサイトで言及されたのか全く分かりません。また、著名な(著名性を説明できる)サイトでないと、独自研究と判断される可能性が高いです。
「個々の才能と呪いの詳細」に関しては、繰り返しになるのですが、この記事を読んだ限りでは「呪い」も「才能」も「作中で明らかになる個々のキャラクターの追加設定」にしか思えず、「登場人物」節と「個々の才能と呪いの詳細」節を行ったり来たりしなくてはならないよりは、人物説明にまとめてしまった方が読み易いのではないか、と考えます。確かに個々の「呪い」が何なのかは広い意味で「ネタバレ」でしょうが、(この記事を読んだ限りでは)重要なのは『「呪い」を犯すと死ぬ』ということであり、『個々の「呪い」が何なのか』ではないですよね。そういう意味では、ネタバレ警告をするならば、あらすじ解説でも登場人物説明でもなく、用語説明の部分に付けるべきではないかとも思います。--Starchild1884会話2012年4月6日 (金) 21:56 (UTC)返信
  • では削除で。
  • サイトへのリンクを付けました。
  • 確かに呪いをネタバレ警告したままで用語・設定とつなげるのも、一つのまとめ方だと思います。
しかし、それだと頭から読んでいくときに、用語設定が先で人物説明が後になり、人物の理解が呪いを中心に見ていくかのようになるのがおもしろくないです。ならば用語設定を後回しにするかといえば、簡単な呪いの存在だけは脚本に近いところに置きたい。
・なので、作品構成の部分に、呪いを書き足しました。この方が、簡単な紹介としてもまとまりがいい。
  コメント 「ゲーム評集合サイトの読者の賛同数自動集計」については、どうもリンク先は信頼できない出典源と判断されかねないサイトである様子。別に私はリンクを除去したりはしませんが、将来的にはリンクを剥がし記述を除去する人が現れても不思議ではないし、現状ではそれに文句は言えません。できれば、商業ゲーム雑誌のレビューなどから出典を持ってきたいところです。
「個々の才能と呪いの詳細」に関しては、私としてはまとめた方が良いと思うものの、IP118氏の言うことにも一理あるので、私の意見は一旦引っ込めます。
以前よりはだいぶ記事が読み易くなったので、冒頭の {{Wikify}} は剥がしてもよいかもしれません(一応、もう少し貼っておきたい)。
ところで、登場人物の「○○○ ○○」なのですが、これは記事執筆者が意図的に伏せたわけではなくて公式の名前なのでしょうか。記事の構成とは全く関係ないので落ち着く今まで話に出しませんでしたが、ずっと気になっていました。--Starchild1884会話2012年4月7日 (土) 21:05 (UTC)返信
  • ゲーム雑誌の批評というのも個人の批評だし、その内容次第ですね。サイトの集計にしても、どれだけ人気があるかというデータにはファンの活動があるかも知れないが、どこに評価が高いかという特徴には生じにくいでしょう。
  • 「○○○ ○○」は個々の呪いの中にある真耶です。これは姓自体がストーリーバレ感があるからです。また、この節の始めの「具体的な書き方」の中の「特筆性の視点からは狂言回しにも取れる人物を詳しく書く必要はないので簡略形」とあるのがこれです。存在を書かないのも落ち度なのでこういう書き方にしました。
ストーリー世界にはまっているといかにも重要人物に見えますが、特筆性のような現実視点や作者視点から作品の流れを追ってみると、運命を握っているようでじつは握っていないし、これは主人公に問われてそのルートのストーリーを先に進めろと暗にせっつくのが役目。つまり骨格上は主人公の影か狂言回しのようなもの。
(これと比べてヒロインの性格は各ルートの生き方に直結します。)
なので、バレを隠すことが優先ということです。
このまま目次が安定にできるなら、よけいなことを書き加えられることもないと思うので、姓はともかく真耶であることは書いてもいいでしょう。ただ姓なしの名前だけだとつい書き加えられそうなので、○○○は残します。--IP118会話2012年4月8日 (日) 06:01 (UTC)返信
  コメント 中途半端に伏せるくらいなら全く書かない方が良い気もしますが…… ちょっとウェブ検索した限りでは「死んだと思われていた双子の姉」とのことですが、そっちの線で記事を書くことはできませんか。「; 和久津真耶 : 和久津智の双子の姉。hogehoheのため死亡したと周囲からは思われている。」(作品を知らないので適当です)など。
一応言っておきますと、ネタバレは「ネタバレを書かない」ということで合意が形成されていれば無理して書かなくても問題ないです。--Starchild1884会話2012年4月9日 (月) 21:47 (UTC)返信

外部リンク修正 編集

編集者の皆さんこんにちは、

るいは智を呼ぶ」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2018年3月17日 (土) 02:26 (UTC)返信

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