ノート:イエスの奇跡

最新のコメント:13 年前 | トピック:統合提案 | 投稿者:Kinno Angel

統合提案 編集

カナの婚宴」と「悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやす」の「イエスの奇跡」へ統合を提案をします。--ジャムリン 2011年2月13日 (日) 14:10 (UTC)返信

  条件付賛成(条件:悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやすのみ統合賛成)
  条件付反対(条件:カナの婚宴については統合反対)
全ての奇跡関連記事は「イエスの奇跡」に統合するべき、とは思いません。一律に判断するのではなく、重要度に応じて判断されるべきと思います。他言語版がそのまま基準に成り得ないことはもとより承知の上ですが、カナの婚宴の他言語版の数と、悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやすの他言語版の数の違いは、重要度に段違いの差があることの反映と見て宜しいのではないでしょうか。重要度を示すさらなる出典が必要、と言われれば、当方でも鋭意努力しますが…。
ただここで初版立項者のイザヤさんに釘を刺させて頂きたいのですが、「Kinno Angel氏もこう言った」などの理由で、「他言語版が複数あるから立てた」などと、これから記事作成をなさったりしませんようくれぐれもお願いします。こうした微妙な問題となっていることについては、プロジェクトなどで合意をとってから記事作成をなさいませんと、波紋が大きくなります。--Kinno Angel 2011年2月13日 (日) 14:27 (UTC)返信
  反対 両方の統合に反対します。Kinno Angelさんの御意見に関わらず、最初から多言語版に複数あるものは立てるつもりでした。このような統合提案を出されることに対して、疑問に思います。いつまで貢献できるかわかりませんが、書けるうちはウィキペディアに貢献します。--イザヤ 2011年2月13日 (日) 14:38 (UTC)返信
  条件付賛成悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやす」は「イエスの奇跡」へ統合が良いと思います。こちらをイエスの奇跡を網羅し、各奇跡の関連性や福音書による違い、神学的見地など書ければ良い記事に成長すると思います。カナの婚宴については、統合するのであれば「カナ (聖書)」へが良いと思います。日本語聖書には「カナ」と名がつく地名が複数有ります。これらは単独では成長する見込みのないスタブです。項番を振ってそれぞれの意味を解説し、その中の一つに「カナの婚宴」の記事を書けば、記事のボリュームもそこそこになると思います。複数の聖書辞典やキリスト教文献等で「カナの婚宴」という項目を取り扱っているのであれば、単独項目にした方がよいでしょう(まだ調べていません)。--Sillago 2011年2月13日 (日) 14:52 (UTC)--Sillago 2011年2月13日 (日) 14:55 (UTC)(脱字加筆及び取り消し線付加)返信
  コメント 今のところは両方とも統合でいいと思います。カナの婚宴は初めの奇跡ということもあり、他の奇跡の事跡の中にも軽重はあるでしょうが、他言語版の内容量をみても、今のままなら統合でいいんじゃないかと。重要度を表すのは出典というより、内容の充実であるように思いますので、そこのところの特別であることの意義が記事内で示されることが可能であれば単独でも反対はしません。他言語版との兼ね合いで言ってしまうと、他言語版のほとんどにある項目であっても、日本語版で立項されながら議論を経て、統合どころか削除された項目やカテゴリーもありますので重要性の参考にはなっても担保にはなりえないと思います。他の奇跡に関しても、まず「イエスの奇跡」で記述して記事の内容の充実拡充をもって場合によっては単独分割という手順が適当であると思われます。--ジャムリン 2011年2月13日 (日) 14:53 (UTC)返信
  コメント イエスの奇跡→分割という手順を今後の記事作成の条件とするような合意形成には反対します。それはそれで、「肥大化させる→機械的分割」ということの誘発にもなりかねません。判断基準がより不明瞭になりますし、「イエスの奇跡」の中でどの部分が先に肥大化するか、詳述されるかといった面でも、中立的観点を維持し続けるのがおそろしく困難になります。--Kinno Angel 2011年2月13日 (日) 14:59 (UTC)返信
と、なりますと議題にも関係あることですが、「イエスの奇跡」内で節項とする事跡と、単独立項する事跡の条件基準をどこに置くべきとお考えでしょうか。--ジャムリン 2011年2月13日 (日) 17:14 (UTC)返信
正教、ローマカトリック、聖公会、教会暦を有する一部プロテスタントで言えば、「いずれかの教派で、教会暦で特に記憶する日が設定されているもの」「結婚式といったサクラメント、もしくは葬儀といった特別な式典で特に読まれる箇所」といった基準を提示することが可能です。カナの婚宴正教会婚配機密の際に読まれる箇所ですし(他教派については残念ながら調べておりません)、主イエスの変容は正教、ローマカトリック、聖公会のいずれも教会暦に記憶する日が設定されています。しかし悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやすについては、(私の知る限り)教会暦に設定している教派はありません。
あくまで一案であり、教会暦を持たないプロテスタントからは納得し難い基準ではありますが、一応「いずれかの教派の教会暦で特別に記憶される日がある」というのは、分かりやすく明瞭でもあり、さらに大概、重要と多くの教派に考えられているものは網羅されていますから、障害も小さいと思います。
Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事というものもありますが、他言語版の存在が即、日本語版の存在理由の完全な担保には成り得ない事は勿論ではありますが、多数の言語版にあるというのはそれなりの合理性もしくは理由があるということであり、その事を踏まえてこのようなWikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事が作られているということでもあるでしょう。--Kinno Angel 2011年2月13日 (日) 23:36 (UTC)返信
上記提案に絡みますが、プロジェクト:キリスト教で「聖書の個別記述内容の記事を立てる指針」などとして、合意を形成しておいた方がいいかもしれません。--Kinno Angel 2011年2月13日 (日) 23:47 (UTC)返信
  反対 統合には反対します。それは、今後のこれらのキリストに関する記事の発展を妨げる可能性があるからです。だから、イエスの奇跡に関する記事群の発展のためには、「悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやす」は残して置くべきだと思います。もう一つの理由は、キリストの奇跡はできる限り、4つの福音書の平行箇所を参照して検討する必要がありますし、文献もそれぞれ大量にありますので、個々のキリスト奇跡の記事に関しては独立していた方が加筆がしやすいという点もあります。それに、修正なども比較的容易だと思います。
キリスト伝の解釈に関しては、さまざまな立場から、古代、中世を経て近世さらに現代まで2000年近く研究されて続けており、膨大な研究資料が存在します。それは、宗教世界だけけには留まらず、西欧文明においては、哲学や社会の風潮と結びついて、歴史の流れを動かすくらいの影響力があったことは事実です。キリスト伝に関して現在はかなりホット議論が展開されおり、むしろ近年のキリスト論の流れについても詳しい記事がほしいと思います。つまり、今日につながる西洋思想をよく理解するには、聖書解釈に変遷についても抑えておく必要があると思います。だから、キリストのここの奇跡もそれらの西洋思想との関係を明確にすれば非常に有益な記事になります。それらの議論の流れをまとめることは百科事典にふさわしいことだと思います。ですから、ただ単に福音書の記述だけを述べるのでは不十分だと思いますし、布教活動のように誤解されかねないと思います。確実な資料に基づいた脚注が必要だと思います。そのように、この記事は加筆して発展されなければならないと思います。また、これらからは、同じような奇跡との区別のためにタイトルを若干変更する必要が将来的に生じる可能性もあると思います。さらに、イエスの奇跡に関しては、福音書の対照表を作成して、整理する必要性を感じます。--More blessing 2011年2月14日 (月) 14:39 (UTC)返信
  コメント悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやす本文を見てください。「イエスがこれこれこんな奇跡を行った。以上。」。酷い記事です。実に酷い記事です。本文600バイトに対し、出典部分800バイトです。12件の出典を出していながらこの有様です。これだけの出典があれば10kバイトは書けるのではないですか?英語文献は分かりませんが日本語文献は福音派だけではないですか。それにどこから持ってきたのかも怪しいものです。立項者さんは編集方針が問われているのですから、誰からもぐうの音も出ない、脚注でがっちり固めた記事の作成を願いたいところです。そしてこの腐れ記事をどう持って行くか、展望を示して頂きたいのです。そしてイエスの奇跡に関する記事を今後どのような方針で展開していくか、それが知りたい。それらがすべて実現するめどが立つなら、あるいはそのような記事になったなら、統合は取り下げましょう。これはここを閲覧している皆さんへの問いかけです。もちろん私もプロジェクトキリスト教に関わっている以上、説得力がある前向きな提案があれば、喜んで協力いたします。「悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやす」の記事名は何を根拠に決めたのですか?「イエス」ではなくて「キリスト」なのはなぜ?--Sillago 2011年2月14日 (月) 17:16 (UTC)返信
  コメントまず考え違いをして欲しくないのだけれど、イエスの奇跡というページは幅広く多面的に書かれるべきであって、キリスト教の独占ページではないという点です。 科学者によるチームが検証実験を行っていれば、書いても構わないし、絵画、映画、アニメーションが作成されていればその存在を記述することをためらう必要はないでしょう。(教義的な解釈の節に、軽い小説のような出典で書き込んではいけませんというだけの事です。) 
  条件付賛成タイトルについては独自研究かも知れませんが、統合の障害にはなりませんし、出典を権威ある1、2文献に絞った上で統合は可能と考えます。一度このページに統合して十分な成長を待ってから独立させるのが、本来であって、成長させてから統合は本末転倒と考えます。--Gyulfox 2011年2月14日 (月) 18:34 (UTC)返信
  コメント More blessingさんのおっしゃられるように記事が成長する可能性は否定しませんが、悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやすに関していえば現実問題として2009年に立項された英語版ですら記事内容は貧弱な状態のままで、日本語版記事においても要約と単なる参考文献への手引き一覧と化しています。英語版と日本語版以外の他の言語版すらありません。英語版からの外部リンクですら内容に関しては同様の状態です。現段階として統合して何ら問題はないと思われますし、一度統合したら二度と分割できないわけでもありません。検索に不適当なタイトルである上に、イエスの奇跡から一段階踏んで飛んで読むだけの内容ではなく同記事内で充分です。機械的に分割を誘発するという意見についてですが、分割に足る内容であるか、記述の整理で済むだけのことか、分割における正規の手順としての提案議論がなされれば、精査できるはずです。他の分野の記事でもそのような流れで分割されていることがキリスト教関連記事でのみ不可能な事案であるとも思えません。--ジャムリン 2011年2月14日 (月) 18:51 (UTC)返信
  コメント すみません、段々両方の統合に反対寄りになってきました…「統合して育てて分割して」という流れについて、どれほどの意義があるのか疑わしく思えて参りましたので。現段階では、実は統合反対派の方に説得力を感じています。
但し、です。Sillagoさんの意見にも説得力を感じます。現時点の問題は「出典がこれだけあるのに記事現状が貧弱過ぎる」ことが「統合していいんじゃない?」の議論の元になっているように思います。
この記事について中立的観点・検証可能性を満たして良質な、一定量の記事が書かれていれば、このような議論は出て来なかったのではないでしょうか。実際、主イエスの変容には統合提案は出されていないのです(リンク元記事が多いという事情もあるでしょうけれど)。
で、概ね時間に余裕のある私にも、リソースの限界というものはあります。「この記事の中立的観点・検証可能性を満たすため、正教、ローマン、リベラル、福音派の文献を揃えて、3時間半ほどかけて記事を向上させる」のは、他にも手をつけなければならない記事が多過ぎる現状、優先順位から言って不可能です。私は聖書関連の記事に関してはせめて善きサマリア人のたとえ位の水準は目指しており、優先順位からいって、この記事に同等の3時間半のリソースを投入することは、jawpの現状をみれば不可能です(フィリップ・メランヒトンの、単に出典の明記タグを外すためだけの編集にだって、2時間はかかりましたし、アドルフ・フォン・ハルナックについて10行書くのだけでも30分はかかっています)。
つまりこの記事について言えば、jawpに編集者が大幅に増加するような事でも無い限り、福音派以外の観点からの記事成長が見込めない、というのが私の感想です。だからこそ統合提案も説得力が持たれてしまうのでしょう。
しかし、です。統合によって上述の問題が解決するかと言えば、はっきり言ってイエスの奇跡の記事の中立的観点問題が増えるだけで、問題解決にはならないと思います。
最後に蛇足気味ですが、Gyulfoxさんが「まず考え違いをして欲しくないのだけれど、イエスの奇跡というページは幅広く多面的に書かれるべきであって、キリスト教の独占ページではないという点です。科学者によるチームが検証実験を行っていれば、書いても構わないし、絵画、映画、アニメーションが作成されていればその存在を記述することをためらう必要はないでしょう。(教義的な解釈の節に、軽い小説のような出典で書き込んではいけませんというだけの事です。)」と仰っていることについてですが、それは優先順位として後の話です。Gyulfoxさんはご存知で無いかもしれませんが、既に奇跡については疑わしい話であるとして「科学的に解釈」する研究は自由主義神学の方面から出されており(アドルフ・フォン・ハルナックも参照して下さい、彼は復活を「錯乱した弟子達による錯覚」とまで言いました)、実はその手の話は自由主義神学の方に、検証可能性を満たす文献が豊富なのです。何が専門なのか分からない怪しげな「科学者」や、精度に問題のある「オカルト研究家」よりは、よほど確かな文献が揃っています。わざわざ怪しげな文献にまで手を出さなくとも済むという、この辺の事情は御考慮下さい。--Kinno Angel 2011年2月15日 (火) 01:46 (UTC)返信
科学者による検証というのは、例えです(しかし実際に聞いたことはあります)。 まあ「錯乱した弟子達による錯覚」のようなあんまり極端すぎる学説はどうかとも思うのですが、自由主義神学の立場からも勿論出典があれば記述可能です。 ただし私が言いたかったのは、イエスの奇跡だからと言って神学ばかりに偏らず、百科事典であるからには、なるべく多くのジャンルからの記述はされた方が好ましいということであって、そうなった時には、別分野同士の出典の信頼性を戦わせて、勝ち負けということにはならないでしょうということは、今後のことも考えてそこは前もって理解して頂きたいポイントだというだけの事です。(この話はここでは脱線ですのでこれ以上はもう述べません。)--Gyulfox 2011年2月15日 (火) 03:24 (UTC)返信
  コメントそれでは、仮に「悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやす」を残すとしたら、おそらく皆さんは手いっぱいで放置されたままになるリスクは高いと考えます。 おまけにこんな長い独自研究みたいなタイトルでは一発で検索されることもなく、ほぼ読者の目に触れない分、かえって成長が阻害されるだろうと思われます。 この分割は明らかに失敗例であって、それは英語版も同じみたいです。 統合元のページだけのことだけでなく、ウィキペディア全体としてどうなんだという観点での議論もお願いします。--Gyulfox 2011年2月15日 (火) 11:27 (UTC)返信
  賛成カナの婚宴」と「悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやす」を「イエスの奇跡」へ統合することに賛成します。「悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやす」に特筆性タグを貼らせていただいた当人です。「カナの婚宴」はこちらで示されるまで知らなかったのですが、こういった宗教上の個々のエピソードは無数に存在するのに対しまして、あまり有名でないものまでWikipediaに個別記事として記載するのは、特筆性が欠けるているので避けるべきだと考えます。具体的には「悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやす」はWikipediaなどを含めてYahoo!検索で22件です。おそらく当該部分の原語を日本語に訳する場合の表記ブレとしてこれ以外の記述方法も存在していて、同じ対象について語られているページも加えれば数倍や十数倍程度に増えるのではないかと思いますが、いずれにしても出版物としては世界一数が多いはずの聖書のエピソードにしてはWeb上で言及される頻度が余りにも少ないと言えます。
本件に限らず同様の特筆性に関する私の考えを説明させていただきますが、アニメ、ゲーム、巨大掲示板、そして宗教といったものに関わる記事の一部には、執筆者自身が属する個々の生活空間での対象事物についての常識が時として一般的な外部の者とは異なる場合があり、それらの同じ趣味・志向の者同士では当然極めて重要なテーマであるものでも、部外者からすれば一生耳にする機会も無くて百科事典で調べる必要がないのではないでしょうか? 誤解が無いように強調したいのですが、アニメ、ゲーム、巨大掲示板、宗教といった事物の個々の記述が不要と主張しているのではなく、ただ、内部者だけが盛り上がっていても外部者は一切知らない事項の多くが、Wikipediaでの特筆性が欠けると考えており、アニメやゲームでの未製作作品や巨大掲示板での祭りや特定板だけのインターネットスラングと同様に、宗教でも当事者が重要だと考えても外部の者には特筆すべき事物ではないエピソードが多数あると考えます。また、そういった事物でも単独記事とすべきでないだけで、別の上位記事内で語られるのには妥当である場合が多いと考えます。逆に言えば、これらの分野であっても外部の者が見聞きするような相応に特筆性がある事物はスタブでなく出典もしっかりしている限りWikipedia内での単独記事として立項されるべきだと考えます。
「悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやす」が本当にWikipediaに無用なのかどうか私は断定できる立場ではありまぜんが、少なくともWikipedia:特筆性に疑問がつけられ{{特筆性}}タグが貼られる程度には特筆性が欠ける、または特筆性の存在が示されていないと考えます。統合の有無とは別に、「悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやす」は本当にこのような長い記事名がその聖書内のエピソードを表す日本語として最良なのでしょうか? 上記で私がWeb上での頻度を引き合いに出しましたが、もっと別により良い日本語は存在しないのでしょうか? 本当に最良の選択でYahoo!検索22件(しかもWikipediaなどを含めて)だけならば、特筆性の欠如を理由に削除依頼に出せば削除が合意される可能性が高そうですが?--Shigeru23 2011年2月16日 (水) 03:43 (UTC)返信
票を入れ直させて頂きます。
  条件付反対(条件:カナの婚宴については統合反対)
  条件付賛成(条件:統合賛成が多数になれば、悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやすのみ統合「容認」)
統合に反対する理由は「皆さんの問題提起は大いに頷かせられますが、その問題提起は『統合』では解決しない」ということにあります。
それでも記事「悪霊~」の方の統合を「容認」しますのは、繰り返しになりますが、Sillagoさんの2011年2月14日 (月) 17:16 (UTC)の意見にも説得力を感じること、「出典がこれだけあるのに記事現状が貧弱過ぎる」ことが「統合していいんじゃない?」の議論の元になっているように思いますが、自分からはこれ以上の記事成長に責任を持てない、という理由によります。返信
逆に言えば、「カナの婚宴」については、容認があればすぐにでも加筆したい記事です。ジャムリンさんが2011年2月13日 (日) 14:53 (UTC) に「重要度を表すのは出典というより、内容の充実であるように思いますので、」と仰っておいでですが、反対がなければ早ければ今週中、遅くとも来週中には出典を多数揃えて中立的観点に配慮した記事作成に取り掛かれるかと思います。その「加筆の責任をとる」意味合いも込めて、「カナの婚宴」の統合には反対する、ということです。--Kinno Angel 2011年2月20日 (日) 14:50 (UTC)返信

どちらも統合に反対しますが、仮に統合するとして奇蹟が統合にふさわしいとは限りません。古典的な神学ではキリストの奇蹟と呼ばれることがあり、それぞれ意味を持っていますが、各話について教派、学派、時代で強調点が異なります。統合には賛成しませんが、悪霊や神癒についてのものは、仮に統合するとしたら霊的問題関係の項目がよりふさわしいかも知れません。悪霊や神癒についての理論、解釈は多くあります。世界的な神学者であるアリスター・マクグラスは、これからキリスト教で勢力を伸ばす教派に聖霊派カリスマ運動をあげており、カリスマティックな教派においては、カナの奇蹟のように再現されることがおそらくないであろう過去の奇蹟などより、今日的な意味に関わりがある神癒などをより強調します。カリスマ運動はカトリック教会にも影響を与えている流れです。また、非神話化や他の説もあります。奇蹟にすべて一緒にしてしまえるというのは粗雑な議論であると考えます。エピソードを分けておくことによって、いずれの項目からもリンクできます。--イザヤ 2011年2月20日 (日) 15:44 (UTC)返信

総合百科事典の記事として統合がふさわしい場合もあるかと思います。脚注や参考文献の方が多い参考手引きページのようになっている上に只のエピソード紹介記事の現状では独立記事の意味はありません。--ジャムリン 2011年2月28日 (月) 17:36 (UTC)返信
遅くなりまして恐縮ですが、異論が今まで無いようなので、24時間待って異論が無ければ、『カナの婚宴』の加筆にかかります。--Kinno Angel 2011年3月1日 (火) 02:59 (UTC)返信
加筆に異論はありません。--ジャムリン 2011年3月9日 (水) 07:36 (UTC)返信
  コメント 申し訳ありません、私の活動縮小と被ってしまい、宣言をいまだに実行できないこと、深くお詫び申し上げます…リソース投入の優先順位としては、放蕩息子のたとえ話の方が私にとって上なのですが、これにもまだ取り掛かれて居ない現状、いつになったらカナの婚宴加筆に持っていけるか分りません…「こんなもの待てない、さっさと統合すべきだ」という意見が出てきましたら「申し訳ありません、返す言葉もありません」と申し上げるしかありません…面目ないです…--Kinno Angel 2011年3月9日 (水) 11:53 (UTC)返信
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