ノート:三木武夫
死について
編集三木武夫氏はその死の直前の第38回衆議院議員総選挙においても出馬・当選されているようですが、議員在職のまま亡くなられたのでしょうか?それ以前に辞職されているのでしょうか?ご存知の方がいらっしゃいましたら加筆くださるとうれしいです。--124.255.232.142 2008年9月29日 (月) 16:01 (UTC)
- 議員在職のまま死亡です。--経済準学士 2010年8月4日 (水) 17:07 (UTC)
国務大臣を複数回辞任した人物
編集閣僚を複数回辞任した人物として、池田勇人、佐藤栄作、藤山愛一郎、三木武夫、福田赳夫、増原恵吉、額賀福志郎がいるそうです。しかし、3回も閣僚を辞任したのは三木武夫だけのようです。--経済準学士 2010年8月4日 (水) 17:28 (UTC)
人物 | 回 | 役職 | 辞任年月日 | 理由 |
---|---|---|---|---|
池田勇人 | 1回目 | 通商産業大臣 | 1952年11月29日 | 中小企業発言 |
2回目 | 国務大臣 | 1958年12月31日 | 首相への反発 | |
佐藤栄作 | 1回目 | 建設大臣 | 1953年2月10日 | 幹事長職務への専念 |
2回目 | 北海道開発庁長官 | 1964年6月29日 | 総裁選出馬 | |
藤山愛一郎 | 1回目 | 経済企画庁長官 | 1962年7月6日 | 政策による閣内対立 |
2回目 | 経済企画庁長官 | 1966年11月4日 | 総裁選出馬 | |
三木武夫 | 1回目 | 経済企画庁長官 | 1958年12月31日 | 首相への反発 |
2回目 | 外務大臣 | 1968年10月29日 | 政策による閣内対立 | |
3回目 | 環境庁長官 | 1974年7月11日 | 首相への反発 | |
増原恵吉 | 1回目 | 防衛庁長官 | 1971年8月2日 | 全日空機雫石衝突事故 |
2回目 | 防衛庁長官 | 1973年5月29日 | 増原内奏問題 | |
福田赳夫 | 1回目 | 大蔵大臣 | 1974年7月16日 | 首相への反発 |
2回目 | 経済企画庁長官 | 1976年11月6日 | 首相への反発 | |
額賀福志郎 | 1回目 | 防衛庁長官 | 1998年11月20日 | 防衛庁調達実施本部背任事件 |
2回目 | 経済財政政策担当大臣 | 2001年1月23日 | KSD事件 |
画像のライセンス
編集報告 あつやさんが2010年8月25日 (水) 12:23 (UTC)にアップしてくれた画像ですが、その後、ライセンス上の問題が指摘されています。申し訳ありませんが、このような画像は当然掲載できません。利用者:あつや(会話 / 投稿記録 / 記録 / CA / guc)さんの2010年8月26日 (木) 08:23 (UTC)の編集により記事「三木武夫」に掲載されましたが、除去いたしました。ご留意いただければと思います。--Nnkrkrhhdi 2010年8月29日 (日) 02:25 (UTC)
著作権を侵害する画像
編集報告 Daffy123さんが2010年9月21日 (火) 02:32 (UTC)にアップしてくれた画像ですが、その後、ライセンス上の問題が指摘されています。申し訳ありませんが、このような画像は当然掲載できません。IP:111.103.32.171(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)さんの2010年9月23日 (木) 18:29 (UTC)の編集により記事「三木武夫」に掲載されましたが、除去いたしました。ご留意いただければと思います。--Nnkrkrhhdi 2010年9月25日 (土) 22:51 (UTC)
虚偽のテンプレート
編集報告 IP:210.175.101.218(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)さんの2010年10月8日 (金) 08:49 (UTC)の編集により、「Template:保護依頼」が貼り付けられました。しかし、「Wikipedia:保護依頼」を確認する限り、2010年10月8日前後に保護依頼が提出された様子はありません。どのような意図でテンプレートを貼り付けたのか、IP:210.175.101.218(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)さんにご説明いただきたく思います。虚偽の編集なのでしたら、当該テンプレートは削除いたします。--Nnkrkrhhdi 2010年10月17日 (日) 11:18 (UTC)
- 報告 株式会社シティーケーブル周南の回線を利用するIP:210.175.101.218(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)さんから反論がなかったため、除去いたしました。今後はこのようなことを繰り返さないようご留意いただければと思います。--Nnkrkrhhdi 2010年10月25日 (月) 15:20 (UTC)
とりあえず
編集私としては調べ足りないところがまだまだ残っていますが、本当、きりがないのでとりあえずある程度形になったため、加筆をアップしてみます。正直、戦前から戦後の政界を生き抜き、首相を始め要職を歴任し、政治の節目節目に見逃せない動きをする三木武夫という人物を甘く見ていました。皆様からのご意見等、よろしくお願いします。--のりまき(会話) 2013年4月8日 (月) 11:03 (UTC)
- コメント ようやく全て読み終えました。のりまきさんが加筆を終えられた直後に、強化記事に推薦させて頂いたのは、のりまきさんが個人用サンドボックスで長期間にわたり加筆をされていたのを(失礼かと存じますが)読ませて頂いていたからでした。それにしても414KBというボリュームには圧倒させられます。もちろんバイト数だけで記事の品質を語ることは出来ませんが、むしろ、これほどの膨大な人物伝を、記事として必要な情報を適切に取捨選択して構築されたからこそ、414KBに収まったと見るべきではないかと私は思います。三木武夫と言えば、自民党の重鎮といった晩年のイメージしか存じませんでしたが、若い頃の弁論大会や訪米訪欧などにより、対人関係や国際感覚のスキルを身に付けられたのだと始めて知りました。その後の政界での議員生活50年は、そのまま日本の戦後の自民党史に置き換えることのできる内容で、三木武夫という人物の影響力の凄まじさを改めて感じます。この記事は、まさに激動の昭和の時代を生き抜いた男の伝記でありました。素晴らしい記事をありがとうございます--さかおり(会話) 2013年4月17日 (水) 02:47 (UTC)
- さかおりさんいつもどうもありがとうございます。高く評価していただき光栄です。実は年表節と演じた俳優節をどうしたものかと頭を悩ませていて、とりあえず残したままにしてあります。特に年表はもっと詳しいものにすることは可能なのですが、現在の記事に詳細な年表を載せるのもどうかと思っていて、外すかどうかご意見を伺いたいと思っています。年表と演じた俳優節あたりの扱いが決まった段階で、査読依頼にかけてみるのも良いかと考えていたところです。
- それにしても政治家の記事は本当に難しいですね。三木を選んだ理由としては、まだ本格的な伝記が無いという話を聞いたことがあって、ではいったいどんな人物であったのかやってみようと思い立ち、取り掛かってみたのですが、ここまで面倒くさいと分かっていたら多分やらなかったでしょう。先にも書いたように私としてはまだ調べ足りない面が残っていると思いますので、皆さんのご意見をお聞かせいただければと思っています。あと、記事を書く中で感じたこととしては、当時三木と総理総裁の座を巡って争った田中、福田、大平そして中曽根も、三木に負けず劣らず個性豊かで魅力溢れる題材だと思いました。私の印象としては福田、大平は多少楽で、田中は三木以上に難しく、中曽根は90代半ばで今でも元気だということなのでやはり書き方が難しいのではと感じています。余裕があったらチャレンジしてみたいと思っています。--のりまき(会話) 2013年4月18日 (木) 13:53 (UTC)
- 年表節と演じた俳優節ですが、まず、一般的に伝記記事では人物像の経歴を俯瞰する意味で年表はあったほうが好ましいのですが、この記事の場合、これほど本文中で詳細な記述があるのですから、あまり詳細に年表化するのではなく、主だった重要な事柄(何を重要とするかは主執筆者の、のりまきさんの判断でよいと思います。)に留めたほうが良いのではないでしょうか。年表はあくまでも全体像を把握するという意味で良いと思います。演じた俳優節は難しいですね..、個人的には無くてもいいような気がするのですが・・・。例えばこれが三木武夫を主人公とした映画なりドラマであるのなら記載する意味(誰が演じたとういう意味ではなくて、ドラマや映画になったという意味)もあると思うのですが、ただ単に演じたというだけのリストを作ってもあまり意味があるとは思えません。郡上一揆の映画節の扱いの時にも感じたことなのですが、「史実、主題」と「そこから派生した映画ドラマ等」は、分けて考えたほうが良いのではないでしょうか。このへんは個人的な主観、好みなのかもしれませんが、ここまで加筆された現状の三木武夫の記事の末尾にある「演じた俳優節」は蛇足のような気がします。--さかおり(会話) 2013年4月19日 (金) 03:33 (UTC)
- それにしても政治家の記事は本当に難しいですね。三木を選んだ理由としては、まだ本格的な伝記が無いという話を聞いたことがあって、ではいったいどんな人物であったのかやってみようと思い立ち、取り掛かってみたのですが、ここまで面倒くさいと分かっていたら多分やらなかったでしょう。先にも書いたように私としてはまだ調べ足りない面が残っていると思いますので、皆さんのご意見をお聞かせいただければと思っています。あと、記事を書く中で感じたこととしては、当時三木と総理総裁の座を巡って争った田中、福田、大平そして中曽根も、三木に負けず劣らず個性豊かで魅力溢れる題材だと思いました。私の印象としては福田、大平は多少楽で、田中は三木以上に難しく、中曽根は90代半ばで今でも元気だということなのでやはり書き方が難しいのではと感じています。余裕があったらチャレンジしてみたいと思っています。--のりまき(会話) 2013年4月18日 (木) 13:53 (UTC)
- ご意見どうもありがとうごうざいます。とりあえず年表節は主要な出来事を入れた形に再構成してみます。演じた俳優節は現状のままならば私もどうかと思うのですが、色々な考え方がありそうな部分ですので、もう少しご意見をお待ちしたいと思っております。--のりまき(会話) 2013年4月21日 (日) 05:34 (UTC)
来歴・人物項の大幅削除について
編集私はあまり記事の形式にはうるさくない方だと思うのですが…ただ、この[1]記事冒頭部分、来歴・人物項の大幅削除について、やはりノートで皆様のご意見を聞きたいと思い、提議させていただきました。個人的には冒頭部は軽くても構わないと思うのですが、来歴・人物項は削りすぎではないかと考えます。内容的にも田中角栄のことを「旧体質の権化」と言い切ってしまうあたり、ちょっとどうかな~と思うのですが……--のりまき(会話) 2016年7月19日 (火) 10:23 (UTC)差分の表示を調整しました。--のりまき(会話) 2016年7月19日 (火) 10:34 (UTC)
- なかなかご意見がつきませんが、現在、三木に関しての良質な参考文献が多く発表されています。これまでの研究と比較して深化した面もみられ、新たに入手した参考文献、そして入手を検討している文献をもとに、まず私なりの案を作ってみたいと思います。専門家の皆さんの三木武夫研究は現在進行形であるので、今後また書くべき内容に変化がある可能性も高いのですが…--のりまき(会話) 2016年7月21日 (木) 21:55 (UTC)
記事内容の他記事への転記について
編集当記事の内容を他記事に転記されているようですが、これほど大規模な転記をされるのならば、どのような構成にされるつもりか協議の上、進めるべきであると考えます。皆さんの意見等を伺ったうえで、転記した方がよいものは転記していけばよいと考えます。状況によってはいったん差し戻しも考えますが、まずはご意見やお考えをお聞かせください。よろしくお願いします。--のりまき(会話) 2016年11月22日 (火) 13:50 (UTC)少々考えてみましたが、コメント依頼にかけて皆様のご意見も広く伺ってみたいと思います。--のりまき(会話) 2016年11月22日 (火) 13:53 (UTC)
- コメント 例えば、一番最近に手を加えた1956年12月自由民主党総裁選挙ですけれど、この選挙に関する記事は、本記事よりもキーマンである池田勇人および三木武夫の記事における記載量が豊富でした。私は、同選挙の経緯や歴史的文脈における位置づけなどは本記事にまとめて、それに関わった個人の記事には、その個人がどのように関わったのかを本人の視点で書く、という棲み分けが適当であると考えます(その場合、状況説明は簡潔にして、本人の動きを詳述します)。現状では同選挙の記載内容は池田、三木両名の記事より転記して成立しているので、両名の行動が中心になってしまいます。ですので、当の立候補者三名をはじめ他の関係者の視点から書かれた記事があればそちらからも転記して、あるいはこの選挙自体を扱った文献があれば加筆するなどして、様々な視点から充実させてゆくことが望ましいと考えています。--Susuka(会話) 2016年11月22日 (火) 14:19 (UTC)
- Susukaさん、ご意見どうもありがとうございます。個人的には各政党や総裁選に転記された三木武夫の記述は基本的に戻すべきだと考えています。内容を読んでいただければわかりますが、あくまで三木中心に文献を集め、まとめたものです。1956年12月自由民主党総裁選挙を例に挙げられましたが、この総裁選挙は三木が自民党の有力政治家としての地位を確立した総裁選で、三木は文字通りキーマンの一人ですので、本人の動きのみならず同選挙の経緯や歴史的文脈における位置づけの記述も必須であると考えます(例えば、刻々と変わっていく総裁選の情勢のもと、三木がどのように判断し、行動していったのかを記述することこそ政治家記事において大切な要素ではないでしょうか?)。また各政党に移動された部分についても、三木は幹事長など党幹部ですので、やはり党内事情などを踏まえながらの記述が必要だと判断します。一方、私が大幅に移動しても良いかなと思っているのは三木の首相時代の記述です。これは基本的に三木内閣に移動するのはどうかなと考えていました。三木内閣でしたら、三木武夫本体との棲み分けも比較的すっきりできると思いますので。--のりまき(会話) 2016年11月22日 (火) 15:09 (UTC)一部追記--のりまき(会話) 2016年11月22日 (火) 15:20 (UTC)
- 質問 では具体的に1956年12月自由民主党総裁選挙を例に挙げますが、のりまきさんは三木武夫に残した現状の記述では、不十分であるとお考えなのでしょうか。私は、「同選挙における三木の動きをまとめると、こんな感じになります」「選挙全体の動きについては、同選挙のページがあるので、ご覧ください」というつもりで転記しましたが、文章の選択がまずかったということでしょうか。--Susuka(会話) 2016年11月23日 (水) 05:18 (UTC)
- はい、足りないと思います。この総裁選というよりも短期に終わった鳩山内閣期からの問題でもありますが、この時代の流れとして、保守合同の結果、一種の寄り合い所帯として成立した自由民主党という保守政党が、再分裂等を起こすことなく継続していくわけです。問題は三木は保守合同に反対した最有力者の一人で、自由民主党からたもとを分かつとしたら三木と言われていたことにあります。この点は三木の政治経歴で後々まで尾を引いていきます、例えば三木が自民党から出て新党を結成するとの噂が、政局に無視できない影響を与えていくことになります。
- 当時の三木の地盤は旧改進党系、中でも改進党革新派です。改進党、そして日本民主党でも多数派に抑えられながらも三木はしぶとく自派の結束を維持し、1956年12月の自由民主党総裁選挙で影響力を遺憾なく発揮していきます。その流れが傍流と呼ばれながらも最後まで保守政界に影響力を保ち続けた三木武夫、そして三木派へとつながっていくことはいうまでもありません。結論として三木の奔走によって旧改進党系がまとまって石橋支持で固まったこと、もし岸が総裁となったら自由民主党を脱党する話がついていたところ、そして三木と言えばクリーン三木というイメージで語られがちなのですが、少なくとも当時は豊富な資金力にモノを言わせて総裁選の石橋支持拡大に尽力したと考えられるところは必須であると思います。あと、総裁選後の人事問題、敗者である岸が脱党を選択しなかった点も必要であると考えています。
- あと、私は各参考文献の中から、三木の政治経歴、業績、そして歴史の流れを見ながら必要と判断した部分をまとめているわけです。確かに枝葉の部分もあると思うのですが……正直Susukaさんの編集を拝見していると、私から見て重要な部分を落としてしまっていると感じる点があり、文献を確認しながら編集を進めておられるのか、正直疑問に感じております。--のりまき(会話) 2016年11月23日 (水) 06:19 (UTC)
- コメント ご返事ありがとうございます。三木武夫については、私よりものりまきさんがより精通しておられますので、のりまきさんに必要な点をピックアップしていただくと、編集上の助けになります。ですので例えば、「自民党の有力議員として」の項の最初に「この時期の三木は、こういう意味で重要な役割を果たした」という説明があればいいのかも、と思いました。後半に「人物と評価」の節があるので、そちらとの兼ね合いも難しいのですが。いずれにしても、今後は記事の整理を、のりまきさんのこれまでの尽力を無駄にしない形で、慎重に進めてゆこうと思います。--Susuka(会話) 2016年11月23日 (水) 06:43 (UTC)
- 申しわけないのですが、とても慎重に進めていくようには見えません。自由民主党の派閥の存在が固まり、派閥として広くその存在が認知されるようになったのは1956年の総裁選後です。参考文献である北岡(1995)p.73の内容と異なる形での記事内容の変更はご遠慮ください。参考文献をきちんと読み、もし記事内容を書き換えるのならば参考文献を明記した上での編集をお願いします。
- 仕事等でなかなか時間が取れずに申しわけありませんが、時間が空いた時に私なりに記事内容の見直しを行っていきたいと思います。--のりまき(会話) 2016年11月26日 (土) 23:13 (UTC)一部書き換え--のりまき(会話) 2016年11月26日 (土) 23:14 (UTC)
- コメント 私の会話ページでのりまきさんから質問を受けました。趣旨は、「徳島県政の部分、私生活の部分を1か所にまとめているが、なぜこのような編集をするのか、どのようなページを目指しているのか説明してください」とのことです。以下、私の回答です。
私が参考にしたのは、「池田勇人」の記事です。同記事では、まず池田の生涯を詳述し(首相時代は「池田勇人内閣の政策」として独立)、その後「評価」、「語録」、「逸話」へと続きます。私は同ページの大幅な改定を行いましたが、その時例えば、「生涯」節の内、細かなエピソードをいくつか「逸話」のページに移しています。「三木武夫」のページも同様に、本人の国政に関する記述を「生涯」にまとめ、それ以外の「県政への関わり」、「私生活」を後の節にそれぞれまとめて書くのが良いと考えています。--Susuka(会話) 2016年11月27日 (日) 02:34 (UTC)
とりあえず、他記事に転記する(個々の記事の記述を減らすかはともかく)ことは、同意いただけるでしょうか。歴代の政党や総裁選の関連記事の内容がほんの「概略」程度であったため、記事内容を加えたまでです。--Susuka(会話) 2016年12月2日 (金) 12:55 (UTC)
- お返事遅くなって失礼しました。他の方のご意見がなかなかつかないですね。構成については広く意見を伺いたいと思っていますので、引き続きよろしくお願いします。他の記事への転記についてですが、基本的にはあまり望ましくないと思っています。例えば1956年12月の総裁選挙を例にとると、大本命とされていた岸陣営の動きが著しく薄いものとなってしまっています。また政党では改進党を例に説明すると、重光総裁や主流派となっていく大麻唯男らの動きよりも三木を中心とした革新派の動きが中心となっており、バランスに欠けたものになっています。例えば重光の改進党総裁としての適性の無さが保守合同に向けての政局に無視できない影響を与えていくのですが、そのようなことは一切触れられていません(三木武夫の記述には必要ないと判断した部分なので、転記元に無かったからですね)このようにバランスが悪い、一方からの偏った立場による加筆で良いとお考えでしたらあえて止めだてはしません。--のりまき(会話) 2016年12月2日 (金) 13:16 (UTC)
- 難しい選択肢ですね。まず、そもそも政治史で取り上げられるに値する規模の国政政党の記事の分量が概要程度というのは、望ましくないと考えられます。また一方で、今回『三木武夫』からの転記で分量を補ったため、三木武夫関連の話が盛り沢山になってしまっていることも確かです(転記の際には、それなりに努力したつもりなのですが…)。ですので、他の関係者の記事からも転記してバランスをとるか、三木武夫以外の視点からの文献を基に加筆するか、対応が望ましいと考えます。これは、他の政治家の記事には案外沢山記述が見つかるのかもしれませんし、1950年代前後の政党政治史に明るい方がコメント依頼を見て下さったら非常にありがたいです。--Susuka(会話) 2016年12月2日 (金) 13:30 (UTC)
- あくまでこれは三木武夫の記事であり政治史全体を書きたいなら転記ではなく、自分で文献を調べて一から文章を拵えてみてはどうですか? 政治家の記事なのですから社会情勢や周辺の政治情勢とともに記述されるのは当然のことと思います(ということを踏まえての文章の加除、推敲ならどんどんやるべし)。三木の概略だけ知りたいのなら「来歴・人物」の節があるのだからそれで充分でしょう。ところで話は変りますが、『その中には後に政官界、経済界で活躍する人材も多く、後に政界で活躍する三木の人脈形成の一つとなった』と『後に三木の政策ブレーンとなった人物もいる』ということですが、具体的な名前が挙がるといいと思います。--Mobnoboka(会話) 2016年12月24日 (土) 06:41 (UTC)(文章ちょっと変更)--Mobnoboka(会話) 2016年12月24日 (土) 13:21 (UTC)
著作権を侵害する画像
編集報告 MDCKさんが2012年1月14日 (土) 18:13 (UTC)にアップしてくれた画像「File:Prime Minister Takeo Miki who makes a speech in United Nations.jpg」ですが、どうも国際連合広報センターさんの公式ウェブサイトの画像と同一構図のように見受けられ、これを加工したものではないかと思われます。
アップしたMDCKさんは、この画像について「国連で演説する三木武夫首相」と説明しており、著作権については「この写真画像は、(1)1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。または、(2)1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)され且つ起算日から10年以内に公表されなかったものである。これらの二つのいずれかであるため、日本の旧著作権法第23条及び著作権法附則第2条の規定により著作権の保護期間が満了しています」と主張しています。しかし、三木武夫氏が内閣総理大臣に就任したのは1974年12月9日であり、明らかに矛盾した主張です。ちなみに、国際連合広報センターさんによれば、この写真は1968年10月4日に三木武夫氏が外務大臣として第23回総会で演説したときの写真とのことです。つまり、MDCKさんの、この画像についての説明や、著作権についての主張は、全て虚偽だったということです。
国際連合広報センターさんは「UN Photo / YN / ARA」「Copyright © UNIC, All Rights Reserved.」「無断複写・転載を禁じます」と明確に主張していますので、ライセンス上の問題が生じています。申し訳ありませんが、このような画像は掲載できません。MDCK(会話 / 投稿記録 / 記録)さんの2012年1月14日 (土) 18:21 (UTC)の編集によって、こちらの記事に掲載されましたが、除去いたしました。--Nnkrkrhhdi(会話) 2017年9月23日 (土) 14:43 (UTC)
- 情報 なお、MDCK(会話 / 投稿記録 / 記録)さんはウィキペディア日本語版で無期限ブロックされていますが、ソックパペットでアップした画像の著作権侵害についてこのような指摘がなされております。--Nnkrkrhhdi(会話) 2017年9月23日 (土) 14:43 (UTC)
転記提案
編集本記事内の『椎名裁定』および『三木おろし』に該当する記述について、詳細をそれぞれ、該当記事に転記することを提案します。現状では該当記事における記述が本記事におけるそれよりも内容が少なく、読者の便益を考えると、該当記事を読めば該当事象について詳細に理解できる状態であることが好ましいためです。--Susuka(会話) 2017年12月21日 (木) 00:51 (UTC)
- 反対 分割という意味でならば必要ないです。『椎名裁定』および『三木おろし』のほうに追加すればいいのであって、それぞれはこの人物の説明で重要な部分ですのでいちいち飛ぶようなことは避けたい。分割ではなく『椎名裁定』および『三木おろし』の方にだけ単純に足すだけならば反対はしませんが、この記事を削る方向の提案でしたら反対します。--ぱたごん(会話) 2017年12月21日 (木) 03:24 (UTC)
- 返信 「ごっそり移して、分割元はさっぱり除去する」とまでは考えていません。『椎名裁定』および『三木おろし』に追加することがメインです。--Susuka(会話) 2017年12月21日 (木) 03:49 (UTC)
- コメント 三木武夫からは一文字も削らないのであれば反対はしません。--ぱたごん(会話) 2017年12月21日 (木) 06:42 (UTC)
- 反対 申しわけありませんが、私も反対します。椎名裁定、三木おろしはともに三木武夫を理解するのに重要な内容です。三木武夫に記載されている内容を削ることには反対いたします。--のりまき(会話) 2017年12月21日 (木) 09:42 (UTC)
- 反対 椎名裁定、三木おろしについて詳細に理解できる状態を促進させるのであれば、転記などせず当該2記事を加筆すれば済む話です。そちらのほうが読者の便益を図ることになると思います。--さかおり(会話) 2017年12月21日 (木) 14:30 (UTC)
- 「そちらのほうが読者の便益を図ることになる」根拠は何でしょうか。転記をすることの何がいけないのでしょうか。--Susuka(会話) 2017年12月21日 (木) 16:11 (UTC)
- はい、転記は望ましくないとはっきり申し上げます。三木の記事における「椎名裁定」、「三木おろし」は、使用した資料の関係上、どうしても三木との関係が深い資料が中心となってしまいます。あくまでも「三木武夫」の記事なのですから、どうしてもそうなってしまいます。「椎名裁定」では主人公は椎名悦三郎、そして三木おろしでは挙党協です。上記記事を充実させるのならば、椎名側(と、三木以外の当時の自民党実力者ら)、挙党協側(と、田中角栄らの意向)についての資料を合わせて作っていく必要があります。記事内容が権力闘争なのですから、双方の視点を資料に基づいてきちんと紹介する記事にするのが筋でしょう。三木武夫の記事内の当該項目が充実しているからといって、三木武夫の記述用に書かれた内容を転載することになるので、これはよくないことです。--のりまき(会話) 2017年12月21日 (木) 21:25 (UTC)
過剰な内容の整理タグを除去しました
編集内容過剰タグが貼られていましたが、単に詳しく書いてあるだけで百科事典的でない記述ではないので、過剰な内容の整理#タグの貼付に異議があるときに基づき除去します。--Dpokerbranfdd(会話) 2022年2月7日 (月) 15:18 (UTC)