自由民主党幹事長

日本の自由民主党の役職のひとつ
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自由民主党幹事長(じゆうみんしゅとうかんじちょう)は、日本自由民主党幹事長自由民主党総裁を補佐し、党務を執行する役職である[1]

自由民主党
幹事長
自由民主党党章
自由民主党党章
Toshimitsu Motegi 20200916.jpg
現職者
茂木敏充

就任日 2021年11月4日
地位自由民主党総裁補佐職
指名自由民主党総裁
岸田文雄
任期1年、再任制限なし
根拠法令党則
創設1955年11月
初代岸信介
職務代行者幹事長代行
ウェブサイト自由民主党

概要編集

総務会長政務調査会長選挙対策委員長とともに、党四役として同党総裁を補佐する。党則上総裁に次ぐ副総裁は常設の役職ではないため、副総裁が空席の場合は幹事長が党の実質的ナンバー2とされる。党の最高責任者である総裁が内閣総理大臣と兼務している場合は総裁の代行として党務全般を握る。ただし、自民党の参議院議員団に関する党務については同党参議院幹事長が担当する。

任期は1年だが、任期途中で辞職した場合はその残り任期が後任者の任期となる。また、総裁が新たに選任された場合は残任期間に関わらず任期は終了する。現在は再任の制限は無いが、2021年9月に総裁に就任した岸田は幹事長を含めた党役員について党規で「1期1年連続3期まで」とする方針を表明している。

幹事長は人事局・経理局・情報調査局・国際局などの党の組織を掌握している。また、党の総合調整機関である役員会に参加する。

幹事長を補佐する役職として幹事長代行・幹事長代理・副幹事長[注 1]が置かれる[2]。幹事長代行は野党時代の2011年に新設された[注 2]

絶大な権限編集

55年体制以降現在まで自民党が与党で同党総裁が内閣総理大臣である場合がほとんどのため、幹事長が総裁に代わって党務全般を管理するのが通常で、党の人事・財政についても大きな権限を握っている。党則上、幹事長代行・幹事長代理・副幹事長や幹事長の下に置かれる各局の局長・次長、国会対策委員長の決定権を持つ。党の役職だけでなく国会の委員長ポストや閣僚[注 3]を含む政務三役ポスト、場合によっては高級官僚の人事にも影響力を及ぼすことがある。自民党が初めて下野した細川内閣時代以降、党が銀行から融資を受ける際には幹事長が連帯保証人となっている。

党のスポークスマンの役割も担い、定例記者会見を行う。テレビ等で各党幹部を集めて討論を行う際、特に選挙や国会運営・政局の絡むテーマなどでは、党の政策責任者である政調会長に代わって出演することもある。

幹事長経験者がその絶大な権限を駆使して党務で実績を上げれば、経験や人脈・知名度等によって政治的地位をいっそう高められるため、総裁候補と目されることも多く、過去の総裁24名のうち半数の12名までが幹事長経験者であった。なお、谷垣禎一は幹事長経験なくして総裁に就任したが、その後総裁となった安倍晋三の下で幹事長に就任している(現在までで唯一の例)。

田中角栄は「何回やってもいい面白い仕事だ」と述べたことがある(一方で総理総裁については「一回やれば結構だ。血圧と血糖値が上がる商売で、とても身がもたない」と答えている)。

二階俊博は、在任期間が長かったこと、親中派であること、国土交通・観光行政に詳しいことが災いして、新型コロナウイルス対応において批判に立たされ、2021年自由民主党総裁選挙の関心事となった。

国会運営・議案審議編集

幹事長は国会の衆参両院の議院運営委員会や党内の国会対策委員会などを通じて国会運営・議案審議の指揮を行う。他党との各種交渉の指揮も行うため、連立政権を組んでいる場合は他の連立与党との窓口も担当する。他党との政策協議・国会運営の指図等を通じ、間接的に政策の企画立案にも関与することとなる。

選挙の指揮編集

幹事長の最大の仕事は選挙活動を指揮し、勝利することである。選挙立候補者に対する公認権を持ち、さらに党財政も管理しているため、公認と資金両面から党内において絶大な発言力を握る。特に衆議院議員総選挙小選挙区制が導入されたことで影響力がさらに強まったとされる。小選挙区制では政党から公認を受けない候補が立候補して当選すること(また公認候補を破って当選したとしてその後に自民党に入党すること)が、従来の中選挙区制に比べて格段に難しくなったとされるからである[注 4]。自民党の内閣総理大臣が衆議院解散を意図しても、選挙活動を差配する幹事長によって断念させられることもあった。

しかし、2007年平成19年)に総裁に就任した福田康夫は総裁直属の選挙対策委員会を設置して選挙対策委員長を従来の党三役と合わせて党四役と位置付けて総裁指名によるものとし、幹事長の重要な職権である選挙指揮を委員会に移管した[注 5]2009年(平成21年)の衆院選で野党に転落した後に総裁となった谷垣禎一が委員会を選挙対策局に変更格下げし、幹事長が再び選挙指揮を担うこととなったものの、2012年(平成24年)の衆院選で与党に復帰した後は総裁の安倍晋三によって福田と同様に総裁直属の選対委員会が再設置され、委員長は党四役として総裁の指名によるものとされた。

総幹分離編集

 
国会議事堂内の第12控室は、長らく自由民主党幹事長室とされてきた[3]。2009年9月から2012年12月までは民主党幹事長控室となっていた。

総幹分離とは、「幹事長は総裁の出身派閥から出さない」という慣例の通称である。1979年(昭和54年)以降、24年間にわたり踏襲され、その後も概ね維持されている。閣僚任免権をもつ総理総裁と、党役員任免権および公認権をもつ幹事長が同一派閥から出ることによって、特定派閥に権力が集中するのを抑制するという趣旨である。

自民党結党以来、幹事長には総裁派閥の出身者など総裁に近い人物が就任するのが通例であったが、1974年(昭和49年)、椎名悦三郎椎名裁定によって総裁に三木武夫を選出する際、選出の条件として総幹分離が打ち出された。これにより、三木は任期中、他派閥から幹事長を指名した。また、次の総裁・福田赳夫は、当初「大福連合」に政権の基盤を置いていたこともあって総幹分離を踏襲し、大平正芳を幹事長に起用した。1978年(昭和53年)12月の総裁選で福田に勝利した大平は、「(裁定ではなく)公選で総裁に選出された場合には、総幹分離は適用されない」として、総裁着任当初、自派の実力者である鈴木善幸の幹事長起用を模索した。しかし、この人事案は他派の反発を買ったため[注 6]、自派ながら反主流派との関係が悪くない斎藤邦吉を幹事長に起用した。このように、総幹分離は、この時点では必ずしも明確な慣行とはされていなかったと解される。その後、大平は衆議院総選挙で大敗した責任を追及され、妥協策として反主流派である中曽根派の櫻内義雄を幹事長とした。以後、四十日抗争直後からハプニング解散に至る激しい党内抗争の中で、櫻内が党内融和に奔走した実績が買われ、櫻内は続く鈴木政権でも続投することになる。かかる経緯により、総幹分離の慣例は定着した。また、幹事長を総裁派閥以外から起用した場合、代わりに幹事長代理を総裁派閥から選任することが慣例化した。

1981年(昭和56年)11月、総裁に就任した鈴木の下で、櫻内に替わって二階堂進(田中派)が幹事長に就任する。このとき以降、最大派閥を率いていた田中角栄は、自らの総裁返り咲きのために自派から総裁候補を出さず、代わりに幹事長ポストに自派議員を送りこみ続けた。田中派から竹下派に代替わりしてからも同様であり[注 7]、自派から総裁を出していないときは、その代わりに幹事長ポストを得、総裁の党運営を牽制した。このことも総幹分離を定着させた一因である。

1994年(平成6年)に導入された衆議院の小選挙区制度は、派閥の影響力を殺ぎ、党本部への権力集中を促進した。さらに、派閥中心の党運営に否定的で官邸主導の政権運営を行った小泉純一郎の総裁就任によって、派閥の影響力はさらに低下した。小泉は総裁に就任すると、幹事長に山崎派の領袖山崎拓を起用した。これは、形式的には総幹分離に則っているが、山崎は小泉の盟友であり、最大派閥の橋本派(旧田中派)を排除して、主流派が総裁・幹事長を独占する形になった。小泉はさらに総裁再選に伴い、総裁派閥の安倍晋三を幹事長に起用し、24年間続いた総幹分離が形式の上からも途切れた。安倍の後任には再び山崎派の武部勤を起用した。もっとも、武部が自らを「偉大なるイエスマン」と称したことからも分かる通り、この人事は総幹分離によって党内融和を図ったというよりも、むしろ総裁の意向の通りやすい人物を選んだものであって、小泉はここでも派閥にとらわれない人物本位の人事を貫いた。続く安倍政権(第一次)においても、総裁派閥の有力者であった中川秀直が起用されたが、以後は現在に至るまで基本的に総幹分離の趣旨を踏まえた人事が行われている。

歴代の幹事長・幹事長代行編集

歴代の幹事長編集

氏名 就任日
退任日
出身 総裁
1 岸信介
 
1955年11月
1956年12月
岸派 鳩山一郎
2 三木武夫
 
1956年12月
1957年7月
三木・松村派 石橋湛山
3 岸信介
4 川島正次郎
 
1957年7月
1959年1月
岸派
5 福田赳夫
 
1959年1月
1959年6月
岸派
6 川島正次郎
 
1959年6月
1960年7月
岸派
7 益谷秀次 1960年7月
1961年7月
池田派 池田勇人
8 前尾繁三郎
 
1961年7月
1964年7月
池田派
9 三木武夫
 
1964年7月
1965年6月
三木・松村派
10 佐藤栄作
11 田中角栄
 
1965年6月
1966年12月
佐藤派
12 福田赳夫
 
1966年12月
1968年11月
福田派
13 田中角栄
 
1968年11月
1971年6月
佐藤派
14 保利茂
 
1971年6月
1972年7月
佐藤派
15 橋本登美三郎 1972年7月
1974年11月
田中派 田中角栄
16 二階堂進
 
1974年11月
1974年12月
田中派
17 中曽根康弘
 
1974年12月
1976年9月
中曽根派 三木武夫
18 内田常雄 1976年9月
1976年12月
大平派
19 大平正芳
 
1976年12月
1978年12月
大平派 福田赳夫
20 斎藤邦吉 1978年12月
1979年11月
大平派 大平正芳
21 櫻内義雄
 
1979年11月
1981年11月
中曽根派
22 鈴木善幸
23 二階堂進
 
1981年11月
1983年12月
田中派
24 中曽根康弘
25 田中六助 1983年12月
1984年10月
鈴木派
26 金丸信 1984年10月
1986年7月
田中派
27 竹下登
 
1986年7月
1987年10月
田中派-竹下派
28 安倍晋太郎
 
1987年10月
1989年6月
安倍派 竹下登
29 橋本龍太郎
 
1989年6月
1989年8月
竹下派 宇野宗佑
30 小沢一郎
 
1989年8月
1991年4月
竹下派 海部俊樹
31 小渕恵三
 
1991年4月
1991年10月
竹下派
32 綿貫民輔 1991年10月
1992年12月
竹下派 宮澤喜一
33 梶山静六 1992年12月
1993年7月
小渕派
34 森喜朗
 
1993年7月
1995年8月
三塚派 河野洋平
35 三塚博 1995年8月
1995年10月
三塚派
36 加藤紘一 1995年10月
1998年7月
宮澤派 橋本龍太郎
37 森喜朗
 
1998年7月
2000年4月
三塚派-森派 小渕恵三
38 野中広務
 
2000年4月
2000年12月
小渕派-橋本派 森喜朗
39 古賀誠 2000年12月
2001年4月
加藤派堀内派
40 山崎拓
 
2001年4月
2003年9月
山崎派 小泉純一郎
41 安倍晋三
 
2003年9月
2004年9月
森派
42 武部勤
 
2004年9月
2006年9月
山崎派
43 中川秀直
 
2006年9月
2007年8月
森派-町村派 安倍晋三
44 麻生太郎
 
2007年8月
2007年9月
麻生派
45 伊吹文明
 
2007年9月
2008年8月
伊吹派 福田康夫
46 麻生太郎
 
2008年8月
2008年9月
麻生派
47 細田博之
 
2008年9月
2009年9月
町村派 麻生太郎
48 大島理森
 
2009年9月
2010年9月
高村派 谷垣禎一
49 石原伸晃
 
2010年9月
2012年9月
山崎派
50 石破茂
 
2012年9月
2014年9月
無派閥 安倍晋三
51 谷垣禎一
 
2014年9月
2016年8月
谷垣グループ
52 二階俊博
 
2016年8月
2021年10月
二階派
53 菅義偉
54 甘利明
 
2021年10月
2021年11月
麻生派 岸田文雄
55 茂木敏充
 
2021年11月
現職
旧竹下派-茂木派

※…形式上な派閥解消または派閥離脱は実質的な所属派閥を記載。
太字は後に総裁に就任した人物。谷垣禎一は幹事長就任前に総裁を経験している。

歴代の幹事長代行編集

従来の自民党で幹事長に次ぐ幹事長代理は有力なポストであった。しかし、2009年に野党に転落すると閣僚をはじめとする政府のポストを失ったため、代替的な処遇のためのポストとして幹事長代理は6名まで増員された。そして、これを整理して2011年10月に幹事長代行が新設され、幹事長1名―幹事長代行1名―幹事長代理2名―筆頭副幹事長1名という体制になった。初代の田野瀬良太郎以来、萩生田光一をのぞく歴代は就任時に党三役または閣僚の経験者であり(萩生田は内閣官房副長官を経験)、三役・四役のうちに数えられないものの主要閣僚級ポストと言える。

代行者氏名 在任期間 所属派閥
1 田野瀬良太郎 2011年10月 - 2012年9月 山崎派
2 菅義偉 2012年9月 - 2012年12月 無派閥
3 細田博之 2012年12月 - 2016年8月 細田派
4 下村博文 2016年8月 - 2017年8月 細田派
5 萩生田光一 2017年8月 - 2019年9月 細田派
6 稲田朋美 2019年9月 -2020年9月 細田派
7 野田聖子 2020年9月 -2021年10月 無派閥
8 梶山弘志 2021年10月 - 無派閥

記録編集

  • 最年少就任記録:47歳1か月 - 田中角栄
  • 最年長就任記録:77歳5か月 - 二階俊博
  • 就任時最少当選衆議院議員回数記録:3回 - 岸信介安倍晋三
  • 就任時最多当選衆議院議員回数記録:12回 - 桜内義雄二階堂進甘利明
  • 連続最長在任記録:1885日 - 二階俊博
  • 通算最長在任記録:1885日 - 二階俊博
  • 連続最短在任記録:29日 - 二階堂進
  • 通算最短在任記録:35日 - 甘利明

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 副幹事長の定員は30名以内で、党則に記載はないがそのうち1名が「筆頭」。副幹事長の中から幹事長代行と幹事長代理が幹事長により指名される。
  2. ^ 党則8条1項では、幹事長代行と幹事長代理の職務はともに「幹事長の旨を受けてその職務を代行する」とされており区別はない。しかし、党則7条が幹事長代行の定員1名に対して幹事長代理の定員を定めておらず、現実に複数の幹事長代理が任命されてきたこと、幹事長代行にはほとんど三役・閣僚経験者が任命されてきたことや、党則8条2項が挙げる順番、また党役員一覧などから、従来幹事長に次ぐポストであった幹事長代理より上位のポストとして新設されたと見られる。
  3. ^ 普通、組閣本部のメンバーとして人事に関わる。
  4. ^ 中選挙区制時代には、1つの選挙区に自民党の候補者が複数立候補するため、派閥の力関係が候補者の資金や公認の割り振りに直結し、派閥の存在意義となっていた。小選挙区制では1つの選挙区で党の候補者は1人に限られるため、幹事長の公認権が以前に比べて増した。
  5. ^ なお、旧総務局長や選挙対策総局長は幹事長に指名権があったため、幹事長の権限の一部を総裁に移譲する意味も持つ。
  6. ^ 鈴木は新総裁派閥の大平派における総裁選指揮担当者であり、また田中角栄との密接さでも知られていたため、反田中角栄を掲げる反主流派の反発を招いた。
  7. ^ 実際には田中・竹下派ではない幹事長も存在するが、他派閥のなかでも同派と良好な関係の人物が起用された。

出典編集

  1. ^ 自民党党則第8条1項。
  2. ^ 自民党党則 平成25年3月17日 自民党ホームページより
  3. ^ 【図解・政治】衆院内の議員控室、時事ドットコム、2009年。

参考文献編集

  • 奥島貞雄『自民党幹事長室の30年』中公文庫、2005年9月25日。ISBN 978-4122045934
  • 浅川博忠『自民党幹事長というお仕事』亜紀書房、2002年3月。ISBN 978-4750501208

関連項目編集