ノート:小池昌代
最新のコメント:14 年前 | トピック:片岡直子について | 投稿者:郁
片岡直子について
編集- 片岡直子による文章はまったくの言いがかりであり、片岡自身の精神の異常を疑わせるものであるから、削除した。124.24.196.92 2008年4月1日 (火) 17:10 (UTC)
- 「疑う」のは自由ですが根拠なく公の場で主張するのは単なる中傷ととられるのが落ちです。出典を提示し事実をもって主張するのが筋かと。--郁 2008年4月1日 (火) 22:28 (UTC)
- こんにちは。片岡直子による批判の部分を加筆した者としてコメントさせていただきます。たしかに片岡の文章を言いがかりと取った文学者もおり、実際数ヶ月後に、詳しいことは覚えていないのですが、詩人同士(あるいは詩人と評論家だったか?)の対談が文芸誌(『新潮』だったような…)に載り、そこで「片岡が小池について書いたあの文章は創作のオリジナリティについての考え方がおかしい」ということが言われていました。ですから、本項目において「片岡直子による文章(略)疑義を唱えられる。」の文章だけが載っているとWikipedia:中立的な観点に反するかなあ、という感じがします。そこで、「片岡直子による文章(略)疑義を唱えられる。」は残しつつ、その後に「しかしその片岡の文章について批判がなされている」と書き加えるのが良いのではないかと思います。私も時間ができたら、片岡の文章についての批判が載った対談を探してみようと思います。--Bluebell 2008年4月2日 (水) 04:08 (UTC)
- (追記)いまささっとググってみたら内田樹のブログ[1]にもちょっと書いてありますね。11月4日の「オリジナリティについての孔子の教え」の真ん中辺からです。--Bluebell 2008年4月2日 (水) 04:11 (UTC)
- 「疑う」のは自由ですが根拠なく公の場で主張するのは単なる中傷ととられるのが落ちです。出典を提示し事実をもって主張するのが筋かと。--郁 2008年4月1日 (火) 22:28 (UTC)
- お答えします。片岡は当該文章の最後で、自分が出した手紙の文意が小池の文章に影響を与えているのではないかと書いています。ここは十分に精神の異常、少なくとも被害妄想程度には考えられるところです。(小谷野敦)124.27.128.194 2008年4月13日 (日) 04:21 (UTC)
片岡直子に関する記述をコメントアウトしました。信頼できる情報源に基づいた、検証可能な内容に、解釈を加えていないものだけです(Wikipedia:独自研究は載せない)。小谷野さんが信頼できる情報源(小谷野さんのブログがWikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源に該当するかもしれません)に「片岡直子による文章はまったくの言いがかりであり、片岡自身の精神の異常を疑わせるものである」と書かれて、それをウィキペディアに持ち込む(「~」と小谷野敦は指摘しているのような形で)のであれば許容されるかもしれませんが、最初にその意見を発表する場所がウィキペディアではまずいのです。どうかご理解ください。--Bluebell 2008年4月13日 (日) 05:36 (UTC)
- それは結構です。しかしブログが「信頼できる情報源」であれば、各々の人がブログに書いて情報源だと主張するという事態もありえます。さて、もしどうしても片岡の件を書き込みたい人がいるなら、「片岡直子」を編集して、そこに書いたらいかがでしょう。それほど片岡の言を重視していながら、「片岡直子」の項目を編集する気がないというのは、どういうことでしょう?(小谷野敦)124.25.221.184 2008年4月13日 (日) 16:14 (UTC)
- いえ、私としては片岡の件があってもなくても構いません。小池昌代の記事を編集する際にたまたま片岡が『文學界』に文章を書いたことを思い出したので書き込んだというだけで、片岡直子については知識がないし今後調べる予定もないので記事執筆の予定もありません。
- それからブログについてですが、Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源にはこう書かれています。「自己公表された本や個人のウェブサイト、ブログの大部分は情報源として受け入れられません。//自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者や、自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリストの場合は、この例外になるかもしれません。いくつかの事例では、こうした人々の作品が以前に信用できる第三者的立場の出版社から公表されていて、偽名や仮名ではなく自身の名前で公表しているかぎり、情報源としての受け入れられるかもしれません」。これに照らし合わせれば、小谷野さんのブログは「信頼できる情報源」として受け入れられるかもしれませんが、文学研究者、作家、評論家といった類の職業に就いていない人が書いたブログは「信頼できる情報源」にならない、という解釈が成り立つと思います。--Bluebell 2008年4月14日 (月) 05:37 (UTC)
- という流れなのにコメントアウトするなバカ(小谷野敦)。--以上の署名のないコメントは、116.80.217.189(会話)さんが 2010年9月3日 (金) 09:44 (UTC) に投稿したものです(Bluebellによる付記)。
- 私が片岡の件をコメントアウトした編集についてお怒りなのでしょうか、それとも今年の9月にコメントアウトが外されたことにお怒りなのでしょうか。前者であれば、前にも書いたように「片岡直子と小池昌代」や「妄想に陥る片岡直子」を出典として、「……疑義を唱えられる。ただし、小谷野敦は『なになに』と指摘している」とでも書けばWikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源で通るのではないかと思います。後者であれば、該当する記述はもう除いてしまうのがいいのではないかと。--Bluebell 2010年9月4日 (土) 00:47 (UTC)
- コメント この編集を見る限り、コメントアウトしたことに対するものでしょう。とはいえ、当該記述の後半は編集者の私見なのか要約なのかが判然とせず、百科事典に載せるのはどうかと思います。また、経歴節に載せるのは適当とは言えないでしょう。別の節を立ててまで書くことでもないならばっさり除去しましょう。もし記述するとしてもできるだけ引用の形をとり、5W1Hを明確にするのが適切と思われます。--郁 2010年9月5日 (日) 09:19 (UTC)