教理と教義 編集

以前から気になっていたのですが、wikipediaのキリスト教関係の項目ではあまりにも教理と教義の混同されているものが目に付くために作成しました。--Evangelical 2010年5月7日 (金) 13:11 (UTC)返信

大幅編集報告 編集

  • 教理(dogma)と教義(dogtrine)は「完全に別物として扱われるのみ」というわけではありません。異議語である場合もあれば、同義語である場合もあります。挙げられた出典はほぼ全て、特定の立場に拠るものの見解のみを挙げており、中立的観点に欠けます。今回使用しましたフスト・ゴンザレスの説明が、最も適切に語義を説明していると思えましたため、大幅に冒頭文を書き換え、語義説明節を追加しました。
  • 「初代教会」節に先に書かれていました「神のご計画全体」とは、どちらかといえばオイコノミアにかかる理解ではないでしょうか?初代教会時代からの「教理」の理解となりますと、おそろしく超教派の検証が厄介になります。教派に関係の無い欄として「初代教会」を設けるのは、記事作成が大変難しくなります。申し訳ありませんが節ごと削除しました。
    • そもそも正教会カトリック教会は、自らを「初代教会と連続性を保っている教会」と自認しているのであり、「初代教会と後代の教会組織の連続性に、否定的か、もしくは意義を見出さない」という歴史観そのものがプロテスタント的であって中立的観点を担保しにくい分類方法です。
  • カトリック教会の教理理解について、あまりに簡潔に過ぎるというか、少し省き過ぎでは無いでしょうか?また聖母無原罪は確かに他教派との間で議論の的になっている重要な問題ですが、「教理」の項目で僅か3行の説明の中に盛り込まれるというのは、議論の的になっているものだけを拾い出した観があり、疑問を感じます。まず出典要求をしますが、そもそも私は削除か、もしくはカトリック教会欄にプラス2行ほどの加筆を検討しています。そもそも出典の多くが福音派に偏っています。

以上、大幅な編集報告まで。--Kinno Angel 2011年9月2日 (金) 15:35 (UTC)返信

第二次大幅編集報告(カトリック教会節についての疑問と改善方針を含む) 編集

  報告 この編集について説明します。

  • 此の語彙の多義性にはかねてから気になっていたのですが、これを機会に一気に加筆しておきました。プロテスタントにおいてはドグマとドクトリンの区別には神経を使う傾向があるようですが、正教、カトリックではあまり神経を尖らせることは無いようです(と言って、正教では区別がゼロというわけでも無さそうですが)。主要執筆者でいらしたEvangelicalさんは福音派の文献を主に参照されていますが、教理についてプロテスタント的な理解がベースになっていらっしゃることもあり、「教義と教理は違う」という立場が強調され過ぎていました。まずこの点をラテン語の原義の視点から始め、超教派の観点によるものに修正しました。
  • 現時点で出典がついていたので全部は削除しませんでしたが、「カトリック教会では教導職による決定権限を認める」「聖座宣言(エクス・カテドラ)による無謬の教義には教皇不可謬説無原罪の御宿り聖母の被昇天がある」は削除しました。以下、その理由です。
    • 私はローマカトリックについてはズブの素人ですが、確かにローマカトリック教会は教会(また特に教皇)の司牧上の教導権を当然主張していますが、「教理の決定権」というのはここまで単純化した言い方をしていいものなのかどうか?福音派のEvangelicalさんの文面を見ていますと「カトリック教会は勝手に教理を決定出来ると言っているし事実そうしてきた」と言いたげです。それは論争の多い項目(教皇不可謬説無原罪の御宿り聖母の被昇天)ばかりを、教理の概念を述べるべき節に盛り込まれた奇異さにも示されているのですが、少なくともそれは「伝承」を重視するローマカトリックの術語運用ではないでしょう。
    • 先述の通り、本記事では術語「教理」の概念を扱うものです。論争の対象となっている項目(しかも過去にはカトリック内部ですら議論があったもの)ばかりを列挙するのは、概論には不適切です。列挙されている部分を削除しました。
    • 「伝承に則った教理の確認。確認においては教会・教皇に権限がある。」といった言い方なら理解出来るのですが、「伝承」「確認」といったタームが欠けている現状に疑問があります。私も提示された出典に直接当たってみますが、おそらくは要約が不適当であると思われます。そもそも「ローマカトリックの『伝承』重視」に疑問を提出した面も宗教改革にはあったのであって(Sola Scriputa)、その面でも福音派でいらっしゃるEvangelicalさんがこのタームを省かれたのは何故なのか、疑問を禁じ得ません。最初の2文についても、今後改善を検討します。もしカトリックに明るい、カトリック系の信頼できる文献をお持ちの編集者がいらっしゃれば、最初の2文の改善をぜひお願いしたいところです。
  • 節「プロテスタント」に「福音主義における捉え方」節を設けて、従来の文面を整理しました。出典が殆ど福音主義者のものになっている上に、「誤りない神のことばである聖書に従属する」という文言があったのが最大の理由です。これはおそらく自由主義神学新正統主義の少なくない立場からは認められない文言でしょう。少なくとも「プロテスタント」全体の説明というのには無理があります。
  • 正教会におけるドグマとドクトリンの関係について若干加筆しましたが、そもそもこれについて私自身が暗い上に、アクセス可能な信頼出来る文献も私の手許に少ないため(申し訳ありません)、記述も最小限にとどめました。

以上、大幅編集の報告まで。--Kinno Angel 2011年9月5日 (月) 09:41 (UTC)返信

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