ノート:村上春樹

最新のコメント:4 年前 | トピック:翻訳の原文 | 投稿者:Shanen

作品のスタイルについて 編集

作品は全部、[[ ]]じゃなく、『』にするべきでは。Mishika 2004年12月25日 (土) 03:20 (UTC)返信

Wikipedia:スタイルマニュアルには、「作品リストの場合は、作品のタイトルを「」や『』でくくらないことに注意してください。」とあります。今回長編小説の項目だけ『』を消しました。--ライトノベル文学 2006年6月16日 (金) 04:22 (UTC)返信
スタブ記事抑止のために作品名のリンクをはずしました。あと『スプートニクの恋人』の内容は記事として不適ではないかと…。Eno 2005年6月17日 (金) 14:11 (UTC)返信

トリビアの内容を全面的に書き換えました。トリビアは初見の方がすぐに理解できるような内容が一般的であると思ったからです。へもへも6号2006年1月2日(月)14:00(UTC)

『海辺のカフカ』英訳本がNYTimes誌のTen Best Books of 2005に選ばれた内容を盛り込みたく、海外の記述があった「人物」欄に、趣旨を損なわないよう注意しながら編集させて頂きました。--Renjo7 2006年1月7日 (土) 06:47 (UTC)返信

作品リストについて 編集

作品リストが多すぎます。単行本・文庫本に収録されたものだけ書いたほうがいいのでは? 作品名のあとに(書き下ろし)とか(雑誌名)が書かれてますが、作品名だけで十分だと思います。--ライトノベル文学 2006年6月9日 (金) 17:19 (UTC)返信

あれ?別の記事でその文庫の作品を全部載せようとしていませんでしたっけ?矛盾していますよ?--VERW 2006年6月10日 (土) 12:27 (UTC)返信

それは講談社文庫新潮文庫などですよね。ノートページで不要という意見があり、コメントアウトされてからは、新しく書いてません。反対されるのなら、これ以後書く気はありません。消したいのなら、消してくださってかまいません。--ライトノベル文学 2006年6月10日 (土) 14:16 (UTC)返信
作品一覧を削除しました。--ライトノベル文学 2006年6月16日 (金) 04:22 (UTC)返信


村上春樹の記事に話を戻してしまいますが、よろしいでしょうか?文庫の記事についてのお話が続くようでしたら、どうぞこの上にお書きください。すみません。

作品リストが多すぎるという件について。
たしかに長いです。ただ、百科事典の記事ですから、読書案内ではなく、(目指すべきは)文学者の紹介になると思うのです。
中学や高校の国語の授業で、文学史についての資料集が配布されなかったでしょうか?その中では、作品名のあとに必ず初出が記されていたと思います。のちのち手が加えられた可能性があるので、初出が重要になるためです。(各作品の別記事に載っているから不要、という点は別に議論して良いともいます。)
本に収録されていない作品も、知られにくい点で重要だと思います。文学部の学生さんが初出雑誌や未収録の作品を探しに国会図書館へ行く、といった話がありますよね。本だっていつかは絶版になるかもしれないもの。発表された時点で、作品としてカウントするべきでしょうし…。
以上の理由からわたしは反対です。煩わしいのでしたら、別途一覧記事を作ることを検討したらいかがでしょうか?--さららゆら 2006年6月16日 (金) 04:39 (UTC)返信
なるほど。文学の話で来ましたか。そういう見方もあるんですね。そういうことなら私もムリに消そうとは思いません。別途一覧記事をつくることを提案されていますが、今のところそこまでしようとは思いません。
新しい提案ですが、新たな節「単行本・文庫本未収録作品」または、「単行本・文庫本収録作品」をつくってはどうでしょうか? 百科事典としてならば単行本・文庫本に収録されているかどうかを書くことは作品を探しやすくなるのでいいと思うのですが。--ライトノベル文学 2006年6月16日 (金) 14:02 (UTC)返信
言う順序が逆になってしまって申し訳ないのですが、現在の作品リストはだいたいわたしが書いたもので(2005年4月27日 (水) 18:02の版参照)、それらの作品は講談社から出ている「村上春樹全作品」など、すべて単行本に掲載されています(情けないですが、それしか知らないので…)。今後、単行本未掲載の作品が記される可能性は十分あるので、先ほどのような書き方をしました。遅ればせながらすみません!
けれど、ライトノベル文学さんがおっしゃっているのは、文庫本(それは単行本で発行されたものの文庫化である)に掲載されたものですよね?それならば、作品名のあとに「○○に収録」と付けるか、別途(また別途ですね…)刊行本リストを作るなどが考えられますね!
ですが、そもそも混乱が起きているのは、すべての作品に『』がついていることではないでしょうか?上のEnoさんが『』を付けた方です(2005年6月17日 (金) 23:00)。わたしが赤リンクをつけまくったのは、良くありませんでした!ごめんなさい。が、『』がつくと、本の名前に見えてしまうと思うのです。
なんだか個人的な話になってしまってごめんなさい。『』を外すことをまず考えたらいかがでしょう?というのがわたしの意見です。--さららゆら 2006年6月16日 (金) 19:32 (UTC)返信
「短編小説」の項目に短編小説集も混ざってしまっています。『』をはずすと、現段階ではごっちゃになってしまいそうです。そういえば『蛍・納屋を焼く・その他短編』なんて本もあったはずですが…「蛍」(どこにリンクしているの?)とか「納屋を焼く」がまとまっていませんね。とりあえず、この「短編小説」の項目は整理が必要ということで。
ついでに、作品リストでは、個々の作品の後にはできるだけ初刊日の記述をお願いします。本の記述で大切なのは、初出誌、初刊日(と、その出版社)です。まだ草案ですが、「Wikipedia:作品リスト」も参考に。--DOERAX 2006年6月17日 (土) 13:28 (UTC)返信
それは大丈夫です!大項目と小項目に分かれているものは、連作短編です。(あっ、だから『』を付けるべきという意見が出たのでしょうか?)ごっちゃにはなっていないです。
大丈夫なのですが、DOERAXさんのご意見からすると、やはりライトノベル文学さんのおっしゃった単行本リストがあったほうが見やすいでしょうか?
初刊日(発行された日ですよね?)はわからないのですが、出版社は分かると思います。論文で出典を書くときのように(Wikipedia:出典を明記する)書けば良いのでしょうか?と、これはここに書くことではないでしょうか…。--さららゆら 2006年6月19日 (月) 16:46 (UTC)返信
連続ですみません!
『』を外した記事を作ってみました。こちらからご覧いただけると幸いです(追記:現在はこのページはありません)。
修正も加えました。(単行本と混乱しないように、赤リンクを増やさないようになど)が、写真集・絵本・翻訳の分野はすべて書き下ろしで煩雑になると思い、『』のままにしてあります。--さららゆら 2006年6月19日 (月) 17:43 (UTC)返信
拝見いたしました。『ねじまき鳥クロニクル』と『東京奇譚集』については、別に記事があるのでここになくても大丈夫だと思います(余談ながら私は作品リストに書く場合、作品名(書名)と初刊年と出版社しか書いていません)。短編小説については、単行本に収録されているものはまとめられませんか?連作短編はまとめられているわけですし…。写真集・絵本のかっこは、はずしても大丈夫かと思います。あと、機種依存文字(マル数字)の修正も…--DOERAX 2006年6月22日 (木) 11:36 (UTC)返信

リスト化お疲れさまです。ガイドライン等も拝見しましたが、作品リストの『』をつけないという項目は後から付け加えられたようですね。思ったことを書かせて頂きますと ・作品リストのガイドライン(草案)にて「少なくともタイトル(題名)と初出の年を含める」とあるので、収録雑誌、掲載月等分かるものはそのままで良いかなと。 ・「〜より書籍化」と加えられてるのは、単行本との区別に配慮してでしょうか。 ・DOERAXさんが書かれてるように単行本に収録されているものはまとめたい気もします(初出の年が前後してしまうけれど、まとめているものもあるし、どっちがすっきりするでしょうか。)。中国行きのスロウボート、レキシントンの幽霊やパン屋再襲撃など。その場合、たとえば

  • レキシントンの幽霊(1996年11月 文藝春秋)
    • レキシントンの幽霊(1996年『群像』10月号)
    • 緑色の獣(1991年『文學界』4月臨時増刊『村上春樹ブック』)

など単行本の発行年も書き加えるのは、混乱を招くだけでしょうか。 長々とすみません。ひとまずは、長編小説だけでもさららゆらさんの案にしてもらえたらと思ってます。--Renjo7 2006年6月25日 (日) 14:43 (UTC)返信

試案リスト(追記:現在はこのページはありません)はマル数字の修正をしました。
短編小説と単行本については、まとめると長くなるのと、『』は入れないとわかりにくいのではないかなと思います。が、たしかに誤解は減りそうと思います。わたしの案は、
  • 『レキシントンの幽霊』(1996年11月文藝春秋、1999年10月文春文庫)
    • 緑色の獣(1991年『文學界』4月臨時増刊『村上春樹ブック』)
    • 氷男(1991年『文學界』4月臨時増刊『村上春樹ブック』)
    • めくらやなぎと、眠る女(1995年『文學界』11月号)
    • 七番目の男(1996年『文藝春秋』2月号)
    • レキシントンの幽霊(1996年『群像』10月号)
こんな感じです。単行本未収録で全集に収録されているような作品をどうするのか、がちょっと問題ですが…。
ただ、わたしはこのwikipediaにおいて、各単行本ごとでなく、各作品ごとに記事が作られるべきだと思っています。上のような単行本ベースのリストを作って、長いから単行本ごとの記事を作って短くしよう、みたいな流れになるのは避けたいです。それに村上春樹は文豪みたいなものなので、これから全集以外にも再収録本が出るかもしれないなあ、という思いもあります。とは言え、より見やすい案がないか、前向きに考えてみます!
「〜より書籍化」は、何か良い表現を募集したいです(笑)インターネット本と題打ってあるので不要でしょうか?--さららゆら 2006年6月26日 (月) 10:55 (UTC)返信
私はさららゆらさんとは意見が逆です。私が一番うっとおしく感じるのは、短編小説の項目収録作品が全部載っていることです。例えば、
  • 夢で会いましょう(1981年11月 冬樹社より書き下ろし) 共著:糸井重里

アイゼンハワー* / アスパラガス* / アンチテーゼ* / インタビュー / インディアン / エレベーター / オイル・サーディン / オニオン・スープ / カーマストラ / カツレツ / クールミント・ガム / グレープ・ドロップス / K / コーヒー / コーヒー・カップ / コンドル / サドン・デス** / シーズン・オフ / シェービング・クリーム / シゲサト・イトイ** / シャングリラ / ジャングル・ブック / スウィート・スー / スクイズ / スター・ウォーズ* / ステレオ・タイプ** / ストレート* / タルカム・パウダー / チャーリー・マニエル / テント / ドーナツ* / バー・トーク / ハイヒール / パン / ビール / ピンボール / フィリップ・マーロウ その1 / フィリップ・マーロウ その2 / ブラジャー / ブルー・スエード・シューズ / ブルーベリー・アイスクリーム / プレイボーイ・パーティー・ジョーク / マッチ / マット / モーツァルト* / ヤクルト・スワローズ / ラーク / ラブレター** / ラジオ / ワム!*

  • 1986年6月 講談社文庫版に書き下ろし. **同版で訂正.

などはわざわざここに百科事典としてここに書く必要性が見いだせないし、どうしても書きたいなら、それぞれ別に記事を作って、そこに収録作品を書けばいいんです。ねじまき鳥クロニクルについても記事の冒頭に収録作品・収録時期が書かれているのだから書く必要はないと考えます。--ライトノベル文学 2006年6月27日 (火) 07:13 (UTC)返信


他の作家のページも見てみましたが、色々スタイルがあって。現存している作家では、村上さんのページは内容が充実していると思いました。
項目を順序立てて記載し、そこに解説を加えるという事典機能で考えた時、各作品ごとの初出年、掲載雑誌等は重要な項目だと思います。
一方、Wikipedia:編集方針の「情報を保存するよう努力すること」の項目に照らすと(ご指摘のある)『ねじまき鳥クロニクル』と『東京奇譚集』は、別記事が出来た以上(トップページに)書く必要はないかもしれませんね(編集方針「重複」に該当)。
それ以外は、必要な情報として保存しておくべき内容で、あとはレイアウトの問題になってくるかと思うのですが(無理な持って行き方でしょうか。)。
なので、超短編なども、別記事ができればトップからはずすべきかと思いますが、それがなければ(また無理にやる事を私たちは求められてませんし)現状維持のままにして頂けると幸いです。確かに冗長的な印象は否めませんが。短編小説と単行本についてですが、既出作品をまとめても、新しい短編が出れば、誰かが書き加えるかもしれません。多くの人が気軽に参加するのがwikiの醍醐味ですので、それも致し方ないかと思うんですよね(「めくらやなぎ」みたいに修正作品が別の単行本に収録されるというパターンもあるけれど)。
※致し方ない=時間が経てばスタイルにずれが生じる可能性がある、という事を言いたかったつもりです。自分が書き加えたいと思う可能性もあるので。
さららゆらさんの前回のコメントに対してですが、単行本と短編のレイアウトは、さららゆらさんのお書きになったとおりでよろしいかと思ってます(目次見ながら書いちゃいました。すみません)。また、「インターネット本」とカテゴライズされていることから「〜書籍化」はなくてお大丈夫かなと思います。長くなりました(_ _)--Renjo7 2006年7月5日 (水) 14:07 (UTC)返信


盛り上がっているので、ひとまず、『』を外した版を反映してみます。別記事ができている項目は短くし、全作品載せたものです。試案リストは、単行本ごとに書いたバージョンに変えてみようと思います。
その上で議論が続くと…と思います!--さららゆら 2006年7月8日 (土) 01:40 (UTC)返信
追記:まとまった時間が取れないので、しばらく編集ができません。新しい試案ができましたら、またご報告いたします。すみません!--さららゆら 2006年7月14日 (金) 14:49 (UTC)返信

続く…とすれば、了解しました。でもかなりすっきりしたように感じます!編集のタイミングってやつを見せて頂きました(_ _)編集者の皆様、ありがとうございます。--Renjo7 2006年7月8日 (土) 04:29 (UTC)返信

保護依頼の件について 編集

本人の許可も得ずに、作品の内容を引用して、自宅兼事務所の住所を公開しています。*豆知識を参照。 個人的に居住地はあまり人には教えてはいない人なので、その事実を書くと削除されます。即保護をして下さい。関係者。--58.92.81.23 2007年1月12日 (金) 16:07 (UTC)返信

  • (反対寄り)依頼者が「村上春樹の関係者」であるか否かは別として、「作品内容」と「居住地はあまり人には教えていない」ことが矛盾しているように思われる。--Dojo 2007年1月13日 (土) 05:59 (UTC)返信
  • 逆に「作品内容」と「居住地はあまり人には教えていない」ことが矛盾していないというのであれば、作品の内容を引用して、東京と神奈川の自宅兼事務所の住所をネット上に公開してもよいのかということに疑問を感じます。私の内容の訂正もそうですが、住所は削除させて頂きます。--58.90.26.41 2007年1月13日 (土) 09:48 (UTC)返信
  • (コメント)住所は特定版削除の対象になりませんか?--目蒲東急之介 2007年1月13日 (土) 09:49 (UTC)返信
  • 私が書いたことは事実ではありますが、それは別として、村上春樹の編集において後者は、個人情報の保護の観点からしても、住所を削除するのが妥当と思われますが、私が書いた文章の方を削除するなどしたため、編集合戦の恐れがあるとしました。今後、また書き込まれるようなことになるといけませんので保護依頼いたします。--58.90.26.41 2007年1月13日 (土) 10:08 (UTC)返信
  • 58.90.26.41さんのコメントを最初に削除した者です。理由は、辞典の内容として疑問に思っただけ(大体有名人は「居住地はあまり人には教えない」のではないでしょうか)。58.90.26.41さんが削除された部分は、作品の引用元を表示して記載していたこと、居住「地域」を特定できる位の内容だと思うのですが、確かに個人情報に関係する内容ではありますし、村上さんがお引越しをすれば正しい内容ではなくなるので(いつ引っ越されるか分かりませんしね)、削除したままでよいかなと個人的には思います。住所「地域」が分かる程度でも特定版削除の必要があるのでしょうか。--Renjo7 2007年1月13日 (土) 13:34 (UTC)返信
  • 仰るとおり、私の書いた内容は削除の対象になっても仕方ないと考えています。ですが、『住所「地域」が分かる程度でも特定版削除の必要があるのでしょうか』との意見に関して私の考えは、あの文面からして、削除の必要性は充分にあると思います。個人的に住んでおられる居住地区が「東京都」までならばいいかも知れないとは思います。ですが、それならば、あの引用されている文章の意味がなくなるのではないしょうか。ネットは誰が見るか分かりませんし、犯罪の引き金になるという危険性は充分に孕んでいると思います。それにもし自分が当事者の立場なら不愉快な想いをすると思います。--58.90.26.41 2007年1月13日 (土) 15:30 (UTC)返信
保護依頼自体は見送られたので、参照のために該当する議論を転記しておきます。--co.kyoto 2007年1月21日 (日) 11:04 (UTC)返信

2007年1月12日に申請されたWikipedia:保護依頼での議論の続きになります(住所地域表記について)。

(基本的に削除に賛成)当該部分ですが、(1)当初は県だけの表示→(2)都と区を付け加え(06年5月27日 IP編集)→(3)06年11月8日(IP編集)でさらに付け加えられていました。(1),(2)はより広域な書き方で、ここまでは引用として問題はなかったかなと思うのですが、(3)で地域をより絞った形になってしまったようです。 一番心配なのが、Wikipedia:特定の版の削除も読んだのですが(恥ずかしながらよく理解しきれず)、どれ位のページを削除されてしまうのか、削除しなくても良い部分が復帰できない状況になるのが心配です。昨年は村上さんによくスポットライトが当たった年でございました。そこら辺に問題がなければ、前回書いた理由につき、住所地域部分の削除に賛成します。もう少し他の方のご意見が聞けると良いのですが。--Renjo7 2007年1月14日 (日) 05:22 (UTC)返信


出典の明示について、および「独自研究は載せない」の方針について 編集

典拠の不明なものが多く、今回多くを「要出典」とさせていただきました。 これは、ウィキペディアが今日、かなりの影響力を持っていることを鑑み、出典が不明であるもの、提示されていないものを編集方針にのっとって行ったものです。「要出典」の付記は、「独自の調査」を回避するものではありますが、かなりその線引きが難しいものでもあります。私自身がいままで執筆編集したものでも、いったいどこまでが自分の判断において書いたものか、あるいは出典にのっとって行われたか、という部分は、読者および執筆者諸賢のご指摘をまつしかありません。しかしながら、村上作品をほとんど読んだ者なら、この記述には、多くのコンセンサスが得られるのではないか、と判断した以外、明らかに以下の部分に関しては「要出典」とさせていただきました。

  • 断言調
  • 出典不明の指摘

なお、当然のことながら、これはかなり恣意的な指摘であり、また私が指摘したもの以外にも、典拠不明の記述があるかもしれません。これまで執筆を行った方々の多大なる労苦に敬意を払いつつも、よりよい辞書の編集に向けて行おうとしているものです。また、私自身がこれまで執筆したものも、出典が提示できないものに関しては修正を行いました。皆様のご理解、ご協力をお願い致します。--Takemore 2007年3月14日 (水) 4:06 (UTC)

wikipedia:独自研究は載せない」が公式の方針となりましたので、自分自身の執筆内容も含めて、この観点からさらに大幅な修正をさせていただきました。執筆者の皆様方には改めてご理解とご協力をお願い致します。--Takemore 2007年5月1日 (火) 17:27 (UTC)返信

村上龍の項についての出典の問題 編集

前回の要出典の指摘以後、出典が明示されなかったものを方針にのっとり書き換えさせていただきました。特に村上龍の項は、有名な話とされながらも出典がいまだに提示されていないので、どうぞご協力をお願い致します。--Takemore 2007年10月8日 (月) 02:26 (UTC)返信

上記、ペンネーム「村上龍」の件については、とりあえず手元にある村上作品を調べてみたところで出典が不明でしたので、とりあえずコメントアウトしておきました。なお、群像新人賞受賞時のスピーチとして確認できたのは、「自分の好きなように書いていきたいし、またそういう年だと思う」旨の発言だけでした。もちろん、出版されている以外のことを発言している可能性はありますが、出典が明示できない以上、百科事典としては記載すべきではないと思います。--Satore 2008年2月14日 (木) 06:51 (UTC)返信

追加
上記、ペンネームの件についてさらに調べた結果、群像新人賞受賞時のスピーチで言及されたのは「フィッツジェラルド」であり、リューアーチャーではありませんでした。引き続き調査しますが、この「ペンネームの由来」自体がWikipediaから発信された誤りの疑いが強いと思われます。よって、その旨記載することにします。出典があればぜひリバートしていただきたく。--Satore 2008年5月22日 (木) 02:25 (UTC)返信
この件では、二次文献からの孫引き(つまり、ある研究書か研究論文が「村上春樹が・・・ということを言った」ということを書いている)であるようです。となると、それがどの研究であるかが問題になります。これは危惧なのですが、ウィキペディア自体から発せられた・・・ということ自体の出典が不明であるため、この記述は削除した方がよろしいかと思われます。引き続き調査のほど、お願いいたします。--Takemore 2008年5月22日 (木) 07:08 (UTC)返信

2009年12月28日 (月) 04:23(UTC)の要出典貼付に関して 編集

田中康夫から一部転記を行った者です。要出典との指摘に対し私の見解を述べておきます。結論から書きますと、該当箇所は除去してもかまわないと思っております。まずこれまでの経緯を説明しておきます。

  1. 2009年5月4日 15:13(UTC)の版差分でIP:116.80.59.195会話 / 投稿記録さんにより該当箇所(の元になった文章)が書き込まれる。
  2. 私がISBNなど追加の上、「壁と卵」批判その他を加筆する。
  3. ほとんどが田中から村上への批評となっているため村上の記事に記した方が適当と判断し、一部転記を行う。

該当箇所についてですが、テレビ番組での発言は検証可能性に乏しいこと、および記述から類推するのは独自研究に当たることは承知していますが、出典となった『「そうだ-」-』を読んでいない範囲で私なりに想像した結果、引用されていない部分に十分に田中と類推できるだけの記述があるものと解釈し、独自研究排除の方針には反するもののそれほど厳格に適用する必要はないと判断していました。

しかしややトリビア的記述であることは確かで、現時点で「総合的批評」節にあるのはあまり据わりが良くないのは自分でも感じておりました。そうなるとどこに移動するのか、ということになりますが、適当な移動先はありませんし、かと言って「エピソード」「こぼれ話」といった節を作ることにも消極的な考えです。除去された場合にはリバートなどは考えていません。--Sheepech 2009年12月28日 (月) 22:13 (UTC)返信

要出典の指摘を行った者です。ウィキペディアは、明確な出典を求めるものであり、あいまいな記憶や噂話のレベルで書き込みを行うべきではないと私は考えます。蓋然性が高いという判断は書き手が行うべきではなく、あくまでそれがどこに書かれているか、どこで発言されているか、が重要です。テレビ番組での発言は検証可能という点から確認が非常に困難であり、それがたとえ有意義なものであっても出典が明記されなければ(残念ながら)記載すべきではない、というのがウィキペディアの編集方針にかなうものであると思います。--Takemore 2009年12月31日 (木) 12:43 (UTC)返信

YOKOTA Kuniteruさんへの編集意図説明 編集

「エルサレム賞受賞の是非は問わない」に関しては斎藤美奈子の考えで、田中はYouTubeの動画内でそれを読み上げているだけです。斎藤の意見として記載するのが妥当だと思われます。--Sheepech 2009年12月29日 (火) 09:15 (UTC)返信

すみません、田中も発言していました。しかし斎藤の意見を「引用する意味がない」というのであれば田中の意見も同様ということになり、斎藤の意見(あるいは2人に共通の意見)として記載するかそうでなければ全く触れないのどちらか、というのが個人的見解です。name属性を"wallegg"としていたのは田中の記事に掲載されていたときの名残なのでその部分だけは変更します。--Sheepech 2009年12月29日 (火) 16:52 (UTC)返信

エルサレム賞がノーベル文学賞への登竜門であるとされる」ことの説明を田中の発言引用前にしておくのが適切と思ったこと、当該記述がエルサレム賞に現時点でないことから断定で書くのに抵抗があったこと、この2点から編集を行いました。「斎藤の記述を閲覧者が読むとは限らない。」などと杞憂を抱くほどでもないと思いますが、YOKOTA Kuniteruさんの考えを最大限尊重しました。--Sheepech 2009年12月29日 (火) 17:53 (UTC)返信


Sheepechへコメント

ノートで議論するほどのことだとは思わなかったが、御指名があったようなので記述する。YOKOTA Kuniteruは、エルサレム賞とノーベル文学賞の関係について、日本の文學界新人賞や群像新人文学賞が芥川賞の登竜門であるのと同列だと認識しているが。そうではないのか。登竜門の出所は『後漢書』であるようだが、登竜門という言葉自体の問題として、登竜門をくぐれば必ず次のステージへ登れる、というわけではないのではなかろうか。『後漢書』を閲覧しているわけではないが、実例として、「登竜門をくぐったのに」、そのようなこともあろう。登竜門の言葉自体の問題を別としても、「される」とやわらげるか、断言するかどうかは、日本の文学賞のそれと同様、認識に差はあろう。「される」が付こうが付くまいが、大きな問題ではない。付けたければ付ければよい。ウィキペディアで「言葉を濁さない」ことが推奨されているが、言葉を濁すというほどのことではない。「される」は、それを付けない場合と比較すればやわらかくも感じるが、「される」それ自体は、やわらかいとは断言できない。文脈による影響や、誰が記述をするかによる影響を受ける。ウィキペディアの場合は、本文だけでは「誰」に関してはわからないが。とはいえ、「される」の多用は、きれいな文章であるとは思わない。

斎藤美奈子の件だが、YouTube新党日本のチャンネル"LoveNippon": 村上「壁と卵」春樹とは(2009年2月27日)を聴く限り、斎藤はエルサレム賞の是非を問うて、それを問わないとしている。もう一度よくお聴きになるがよい。該当箇所は1分丁度の部分である。ノーベル文学賞に関しては、田中康夫が自身の見解として、村上春樹がエルサレム賞を貰うことをノーベル文学賞受賞のために得策であると思ったのかどうかは、問わないと言っている。2分28秒の部分である。--YOKOTA Kuniteru 2009年12月29日 (火) 19:19 (UTC)返信

Sheepechへコメント再び

線で消した最初の記述でSheepechは、YOKOTA Kuniteruの記述を「エルサレム賞」の是非に関するものと捉えているようだが、YOKOTA Kuniteruの記述は、「ノーベル文学賞への気持ち」の是非である。村上春樹本文にて、ノーベル文学賞に言及していない斎藤美奈子の部分にそれを移動する意味がないというのは、そのためである。--YOKOTA Kuniteru 2009年12月29日 (火) 19:33 (UTC)返信

内田樹の視点から四方田犬彦の村上春樹評を載せることは妥当か 編集

「総合評価」の節において、内田樹の視点から四方田犬彦が村上春樹を"憎悪"しているかのように書くのは間違いだと思います。次の文章のことです。
”内田樹は、多数の批判者を「村上春樹に対する集団的憎悪」と呼び、自著『村上春樹にご用心』の中で、村上を高く評価する一方で、蓮實重彦、四方田犬彦らに反論している。”
四方田犬彦は、シンポジウム「世界は村上春樹をどう読むか」という村上春樹文学の関係者の祭典のようなシンポジウムでワークショップの司会を務めています(「春樹をめぐる冒険ー世界は村上文学をどう読むか」柴田元幸・沼野充義・藤井省三・四方田犬彦 編)。どうして四方田犬彦が、村上春樹を集団憎悪する人間の一員であるといえるのでしょうか?
この件について、内田樹のブログを読んでみました。内田は、上で述べたシンポジウムについて採録を読み、四方田犬彦の司会ぶりを批判しています(2006年05月08日2006年05月08日『冬ソナ』と村上春樹の世界性)。このエッセイを信用するならば、四方田の村上評は歪んでおり、四方田は村上作品の価値を過小評価しているということでしょう。しかし、四方田が村上春樹を憎悪しているということとは、明らかにことなるでしょう。
そもそも、内田樹の論説を鵜呑みにして良いのでしょうか。例えば内田によれば、地球温暖化問題はまやかしであるそうです(内田樹の研究室 地球温暖化で何か問題でも)。--Mimosa5 2010年6月18日 (金) 15:09 (UTC)返信
上記の理由により、内田樹の村上作品評価から、四方田犬彦の名を削除しました。--Mimosa5 2010年6月18日 (金) 15:18 (UTC)返信

「国内の評価」節についての提案 編集

「国内の評価」節に関してですが、大きく分けて2つの問題があると思われます。ひとつは、雑多な内容が34項目にもわたり並べられていること、もう一つは否定的評価が肯定的評価の倍近くも載せられていることです。肯定的評価を(少なくとも批判的意見と同じくらいには)受けている作家だと思われるので、Wikipedia:中立的な観点に照らして問題がある状況と言えます。最も良い解決策は、それらの批評から重要なものを取捨選択し中立的な一つの文章に仕立てることでしょうが、私は特にこの作家のファンでもないし適任とは言えません。そこで、そのようなまとめをしてくれる編集者が現れるまでの次善の策として、否定的批評から「他と内容がかぶっているもの」「あまり重要性が高くないと思われるもの」を選び削除(あるいはコメントアウト)しようと思うのですが、いかがでしょうか。「肯定的批評を増やす」という方向性もありますが、そうすると乱雑性が余計に増してしまう問題があります。--AT会話2015年7月28日 (火) 02:35 (UTC)返信

レイモンド・カーヴァーの短編記事について 編集

現在、ノート:愛について語るときに我々の語ることにて、村上春樹がかかわっているレイモンド・カーヴァーの短編集について、現状でひとつずつたてられている短編の記事を短編集に統合すべきかどうかについて議論していますが、議論の参加者が非常に少なくなっております。少々煩雑な案件ですので、関心のある方は議論への参加をお願い申し上げます。--さえぼー会話2016年9月6日 (火) 01:58 (UTC)返信

翻訳の原文 編集

Sorry I can't write well in Japanese. I was actually trying to assess how much Murakami-san has translated in comparison with how much original writing he has done. The English article barely mentions his own translation work, but just focuses on his Japanese writing that has been translated. This Japanese article does describe a lot of his translations, but the organization as a list is not as helpful as a (multidimensional) table (that can be sorted by different fields). However the most useful thing that is missing here would be the original titles. Or at least the rest of the authors could be included in their original form. (Many are, but some appear in katakana.) (So why don't I do the (straightforward) work myself? Because I have concluded the clique that rules Wikipedia doesn't like or appreciate intrusive outsiders. (And no, I am NOT interested in joining the clique. (It would be nice if the Japanese Wikipedia wasn't that way, but I can't tell.))) Shanen会話2019年5月21日 (火) 22:43 (UTC)返信

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