ノート:浄土真宗親鸞会/過去ログ2

最新のコメント:14 年前 | トピック:カテゴリの変更 | 投稿者:Resto1578

教団に批判的な外部リンクについて

編集

浄土真宗親鸞会に批判的な外部リンクを削除するユーザーがいるようですが、ウィキペディアは布教の場でも糾弾の場でもないのですから、教団の公式ウェブサイトと同じく批判的なウェブサイトへのリンクも必要かと思われます。皆さんのご意見をお聞かせください。--Dojo 2006年3月22日 (水) 07:52 (UTC)

とりあえず公式サイトを除いてコメントアウトしました。現在、大学などのサークルで新入生勧誘が活発な時期であり、浄土真宗親鸞会に好意的なサイトのみがあるのはどうかなと思います。--Jazzy 2006年3月23日 (木) 00:44 (UTC)
新規ユーザーです。この問題をほっておけなかったもので…親鸞会の学生勧誘活動はいろいろな大学で問題になっています。被害者も後を絶ちません。また、利用者:浄土真宗親鸞会というかなり紛らわしい利用者ページの存在があったり、はてなキーワードのリンク先[[1]]にある批判サイトへのリンク先が、いつの間にか別のサイトにすり替えられていたりと、ネット上でも怪しい動きが多すぎます。何しろ、良い評判は全く聞きません。ほかの新宗教団体と同じく、好意的なサイトと、批判的なサイトを両方書くべきだと思います。--智之 2006年3月23日 (木) 12:18 (UTC)
どんなユーザー名を使おうが、本人の勝手だと思いますが。そんなことで「怪しい動き」だの「良い評判は全く聞かない」だの偏った考えをされても困りますね。--Canina以上のコメントは、Canina会話投稿記録)さんが[2006-03-24 08:48:39 (UTC)]に投稿したものです。
すみません。私は利用者:浄土真宗親鸞会は検索結果を混乱させて親鸞会にネガティブな情報を隠しているように見えましたので…誤解でしたら申し訳ないのですが、普通はこういう紛らわしいユーザー名は使わないので、ついこうした意図があるように思ったのです。また、「よい評判は全く聞かない」というのは、実際に私の知る限りではそうなのです。組織名や宗教団体を隠して勧誘したり、組織的集団的な心理操作のような事が行われていると聞いています。親鸞会についての「良い評判」とは、残念ながら親鸞会の内部からしか聞こえてきません。また、脱会者にも会いましたが、自分自身が親鸞会にいたことを悔いると共に、非常に親鸞会の問題点について憂慮していました。利用者:Caninaさんもこの項目について随分編集に加わっておられる様ですが、こうした親鸞会の実態を明らかにしているサイトへのリンクを隠そうとしておられる様に思います。「良い評判は全く聞かない」というのが偏った考えならば、なおさら批判的なサイトへのリンクも加えるべきだと思いますが如何でしょうか。--智之 2006年3月24日 (金) 13:32 (UTC)
外部リンク以外にも関連団体とか関連項目(浄土真宗一の会を新規で立ち上げたのはCanina氏の筈だが?)、参考文献まで一方的に消すのは言論弾圧では? --名称未設定 2006年3月23日 (木) 13:14 (UTC)

賛否両論、ともに載せて、あとは、読んだ人に選択してもらえばいい

編集

親鸞会の問題点は、批判意見を受け止めて、それに耐えながら反論するというものではなく、 批判意見を聞き入れず、シャットアウトしてしまうところにあると思います。

どんな団体でも批判意見などあるものだし、本当にまともな宗教団体なら、 批判意見にも耳を傾けた上で、それらの批判に耐えながら、 歴史的に選択されてゆくものだと思います。

ですから、こういった公共のページには、 もちろん、親鸞会の公式ホームページも載せればいいし、それに反する親鸞会への批判的な内容も のせるべきだと思います。

賛否両論、ともに載せて、あとは、読んだ人に選択してもらえばいいと思う。 ここは情報を提供する場であって、最終的にどちらを信じるのか、 または、どちらもお互いに言い分はあると理解するのか、その判断は読者に任せればいいと思います。--木村耕二 2006年3月23日 (木) 15:03 (UTC)

木村耕二さんのご意見を支持します。どういうサイトがあるのかまったく知りませんが、ある程度認知されているサイトに絞って、賛否双方を載せるのが中立的な観点からいって妥当と思います。批判的なサイトを削除する動きがあると、親鸞会への印象をかえって悪化させるのではないでしょうか。--S kitahashi(Plé) 2006年3月24日 (金) 08:02 (UTC)
木村耕一からパクった利用者名を使う奴から言われても、説得力ないね。--以上の署名のないコメントは、半額会話投稿記録)さんが 2006-03-24 14:34:33 (UTC) に投稿したものです。

Jazzy氏の編集である「www.shinrankai.or.jp」のみ掲載する方針を支持します。Canina以上のコメントは、Canina会話投稿記録)さんが[2006-03-24 08:39:07 (UTC)]に投稿したものです。

木村耕二さんのご意見を指示します。Caninaさんの主張は、失礼ながら今までの編集履歴などを見ても思いましたが、親鸞会に対して批判的なサイトを何とかして隠したい意図を感じます。少なくとも、浄土真宗親鸞会被害家族の会[[2]]と、なぜ私は親鸞会をやめたのか[[3]]は、掲載しても良いのではないでしょうか。--智之 2006年3月24日 (金) 13:32 (UTC)
そんなに除名講師部員瓜生崇のサイトを載せたいのか? --以上の署名のないコメントは、半額会話投稿記録)さんが 2006-03-24 14:26:58 (UTC) に投稿したものです。
私はまだ新米なので判断が付きませんが、このようなところに公人でもない個人名を入れることが果たして妥当なことなのでしょうか。もし他の方も異論ないようなら、利用者:半額さんの書き込みを消したいと思います。--智之 2006年3月24日 (金) 16:09 (UTC)
瓜生氏は公人だろ? 出エジプト会で講演しているからな。--半額以上のコメントは、半額会話投稿記録)さんが[2006-03-25 15:53:52 (UTC)]に投稿したものです。

親鸞会で長年幹部として活動してきた人が、自分が体験してきたことに基づいて、具体的な意見を述べているので、親鸞会批判サイトとして、その意見を掲載していいと思います。誰が作ったか、以上にその内容が大事でしょう。また、「なぜ私は親鸞会をやめたのか」は、個人の意見だけでなく、親鸞会に批判的な人(現役会員も含めて)が、数多く意見を述べているので、非常に意義のあるサイトだと思っています。
ですから、「なぜやめたのか」に対する親鸞会側の反論サイトも含めて、両方掲載すればいいのではないでしょうか。「なぜやめたのか」だけでも偏っていますし、親鸞会側のサイトだけでも偏っているように思います。とにかく読者に両方の情報を与えることが意義あることだと思います。親鸞会は今まで、巧みな情報操作によって、批判意見をもみつぶしてきましたが、「なぜやめたのか」のサイトは、親鸞会を真っ向から批判し、親鸞会の圧力に屈しない数少ないサイトだと思いす。そういう意味で、「なぜ私は親鸞会をやめたのか」は、今までのサイトにない、非常に意義のあるサイトだと思っています。--木村耕二 2006年3月24日 (金) 15:45 (UTC)

中立性・公平性の維持の観点から、肯定的なサイトと否定的なサイトは同数であるのが望ましいと思います。また、上の議論では必ずしも理性的な議論がなされているとはいえない状況にあるようですが、私に対するものも含め、反対意見には合理的理由を付することをお願いします。--S kitahashi(Plé) 2006年3月24日 (金) 15:49 (UTC)
  • 私もS kitahashi/sigさんと同じ意見です。中立性、公平性を維持する上で、肯定的なサイトと否定的なサイトと両方掲載することに何か問題があるでしょうか? Caninaさんがなぜ、親鸞会に批判的なサイトを載せることに躊躇されているのか、理解できません。分かりやすく、ご意見を聞かせて下さい。しっかりとした意見を述べられないのなら、一部の意見をもみけそうとしていると言われても仕方がないように思います。逆にしっかりとした意見を述べて下さるなら、また、考える余地があると思いますが、いかがでしょうか? --木村耕二 2006年3月24日 (金) 15:58 (UTC)
  • S kitahashi/sigさんの仰るとおり、肯定的なサイトと否定的なサイトを同数載せる事が好ましいと思います。他の新宗教団体の項目を見てもそのようになっているようです。Caninaさんがどのような考えで親鸞会に否定的なサイトを載せることに反対なのか、未だにしっかりとした理由を書いておられないようですが、親鸞会が社会的に大変に問題視されている団体であるということは紛れもない事実なのですから、そうした情報を閲覧者に与えるのは客観性という観点からきわめて重要だと思っています。如何でしょうか。--智之 2006年3月24日 (金) 16:09 (UTC)
  • 肯定的なサイトと否定的なサイトを両方掲載することには賛同します。ただ、両者を同数にすることにこだわる必要があるのでしょうか。数合わせのために、掲載するに値しないサイトへの外部リンクを貼り付けても仕様がありません。個々のサイトについて掲載すべきか議論していく過程で自ずと中立的な記事に仕上がるように思います。--Dojo 2006年3月24日 (金) 16:26 (UTC)
私が「同数」にこだわるのは、以下のふたつの理由によります。1.本来は数合わせなどする必要はないと思いますが、ここまで議論が行われている以上、外部リンクの選別には気を遣ったほうがよいのではという点。もちろん、数合わせのために無用なサイトを挙げる必要はないと思います。2.我々と括っていいのか分かりませんが「否定的サイトを載せるべきであるとする派」も、一定の譲歩をしたほうがいいのではないかという点。Caninaさんや半額さんが理性的な議論をしているかどうかはアレですが、多数意見をもって少数を封殺することには抵抗を感じます。それぞれが譲歩するかたちが望ましいと考えます。
具体的には『Jazzy氏の編集である「www.shinrankai.or.jp」』が肯定的なサイトと認定し、批判的なサイトを1件に絞ることを提案します。上掲2サイトは双方とも捨てがたいものがありますが、あえて一つに絞ることによって、記事の中立性と正当性を主張できると考えます。--S kitahashi(Plé) 2006年3月24日 (金) 19:56 (UTC)
--S kitahashi(Plé)さんの意見に賛成致します。親鸞会の公式サイトと、批判的なサイト一つというのがもっとも適当かと思います。批判的なサイトは浄土真宗親鸞会被害家族の会が適当かと思います。なぜ私は親鸞会をやめたのかも大変資料価値の高いサイトですが、被害家族の会からのリンクで容易に訪問可能ですし、ほかの肯定的サイトについても公式サイトからほぼリンクとして網羅されているでしょう。--智之 2006年3月25日 (土) 00:39 (UTC)
また、これは本題とは関係ありませんが、本文の記述について、若年層への布教において統一協会などと同じく宗教団体であることを隠して勧誘していること。その活動が大学関係者の中で非常に問題になっていることも記述した方が良いと思います。この組織は非常に多くの問題を内包していますが、その中でも真っ先に挙げられるのがこの問題です。ウィキペディアの中立性、客観性の観点からもこの問題点を取り上げることは妥当だと思います。--智之 2006年3月25日 (土) 00:39 (UTC)

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  • 智之さんの意見に賛成です。公式ホームページと、被害家族の会のホームページと、両方掲載されていれば、意見の対立しあったものが両方掲載されていて、読者としても非常に興味深いと思います。--木村耕二 2006年3月25日 (土) 03:18 (UTC)
  • 智之さんの意見に反対です。中立性という問題に関してですが、百科事典という性質上、公式サイト1つでシンプルにいけばいいと思います。
    批判系のサイトは、わざわざ掲載しなくても、検索すれば出てきます。
    訴訟で係争中というのなら話は別ですが。--ます56 2006年3月25日 (土) 05:48 (UTC)
公式サイト1つでシンプルにいくのは、ケースによってはアリだと思います。本記事でそれが適用しづらいのは、一定の「反浄土真宗親鸞会派」がいること、そして社会現象としてそれなりの認知度をえていること、何よりこのノートで議論になっていることが理由にあります。これまでの議論を反映せず、公式サイトのみでいく場合、皆が納得するだけの理由が必要となるのではないでしょうか。--S kitahashi(Plé) 2006年3月25日 (土) 06:42 (UTC)
事実として、親鸞会の勧誘活動が社会的に問題になっていること、また、親鸞会によって被害を受けたと主張する人が多数存在することをこの場合考えなければならないと思います。ます56さんは百科事典という性質上公式サイト一つと主張しておられるようですが、どういう性質上どうして一つでなければならないのかという、説得力のある理由が見いだせません。ほかの新宗教団体の記事を見てもそうですが、社会的に批判を受けている団体は批判的なサイトへのリンクをその記事に含めています。あと、検索すれば出てくるという問題ですが、現在親鸞会は弘宣部という部門において、検索エンジンでの検索結果から、親鸞会への批判的なサイトを排除するという対策を行っており、これは元親鸞会の幹部の証言により明らかになっています。(この事はいずれ公にされると思われます) こうしたことからも、批判的なサイトへのリンクを記事に含めることは必要だと思っています。--S kitahashi(Plé)さん、木村耕二さんの意見に賛成です。--智之 2006年3月25日 (土) 08:37 (UTC)
補足ですが、利用者:ます56さんは、1万年堂出版について、同社の宣伝費として親鸞会で献金が募られていた件、などのノート記載事項を、合意を得ずに白紙化するなどの行為をされています。親鸞会について批判的な意見は何が何でも消したいというお考えかも知れませんが、この記事においても単に批判的な意見を隠したいがために、リンク先を公式サイト一つと限定しておられるのではないかと疑われても仕方がないように思えますが如何でしょうか。私はここで親鸞会を批判したいと思っているのではありません。ただ、多くの批判がある団体なのだから、そのことも記事として含めるべきだと申し上げているのです。--智之 2006年3月25日 (土) 09:00 (UTC)
批判したいから出て来たんだろ。正直に言え。--半額以上のコメントは、半額会話投稿記録)さんが[2006-03-25 15:53:52 (UTC)]に投稿したものです。
半額さん、あなたは親鸞会の会員さんですか? ここは感情的に自分の主張をぶつける場ではありません。理性的に意見を言えないのなら編集に参加する資格はないように思います。--智之 2006年3月26日 (日) 03:48 (UTC)

私は正直に言いますが、親鸞会には批判的です。親鸞会は組織ぐるみで社会的に問題のあるマニュアルまで作り、宗教法人の名前を隠して、全国の大学で勧誘活動を行っています。(詳細は「なぜ私は親鸞会をやめたのか」に述べられています)このような点で、親鸞会は社会的に非常に問題のある団体だと思っています。すでに、多くの大学で過去問題になっており、公認化を取り消された大学も少なくありません。また、献金をめぐってのトラブルなども、過去、たくさんおきていますし、親子間の問題も沢山取りざたされており、被害家族の会がすでに存在しています。ですから、社会において多くの人からそのように見られている親鸞会の姿を描いた、親鸞会に批判的なサイトを掲載すべきだと考えています。ただ、批判的なサイトだけでは、親鸞会の一部にしかならないと思います。親鸞会の公式ホームページも載せて、中立性を保つべきだと思います。そういった意味で、肯定的なサイトと批判的なサイトの両方を載せるべきだとおもいます。すでに長年にわたって、多くの批判を受けているのが親鸞会ですから、「親鸞会とはこのような団体(肯定的サイトで紹介)です。しかし、数々の批判を受けている団体(批判的サイトで紹介)である」ということも、きっちり掲載すべきだと思います。--木村耕二 2006年3月25日 (土) 16:53 (UTC)

  • それでは、リンク先については公式ページと、親鸞会被害家族の会の二つということで宜しいでしょうか。皆さんの同意が得られれば変更をお願いしたいと思います。--智之 2006年3月26日 (日) 12:20 (UTC)
私も「公式ホームページ」と「被害家族の会のホームページ」の2つでいいと思います。--木村耕二 2006年3月26日 (日) 12:58 (UTC)
智之さんへ、それに関しては反対です。辞書という観点から言っても、反論・反対系のサイトを載せていくって言うことでいいますと、親鸞会側の方で、反・被害者家族の会サイトを立ち上げたらそれも載せるって言うことになるんでしょうか?
それに対して、反「反・被害者家族の会サイト」ができたらまた、それも掲載するって言うことでしょうか?
そもそwikipediaで言葉を調べるような人は、検索エンジンを使える人ばかりでしょうから。「親鸞会」で検索をしたときに出てくる、「被害者家族の会」サイトを、「浄土真宗親鸞会」に掲載する必要性は感じません。
上記理由により反対いたします。--ます56 2006年3月27日 (月) 14:03 (UTC)
ます56さん。親鸞会のサイトはネット上にあふれんばかりに存在していますし、批判系のサイトもいくつかあります。それに反論するサイトもあるのでしょう。ですから、それらを代表して一つずつ載せたらどうかというのがここまでの皆さんの意見です。検索エンジンで訪問できるサイトを掲載する必要性がないのなら、公式サイトだって必要性がありません。インターネット上の百科事典なのですから、ハイパーリンクで参考になるサイトへの道筋を示すのはごく当たり前のことではないかと思いますが如何でしょうか。統一協会にしても、創価学会にしても、エホバの証人にしても、顕正会にしても、公式サイトへのリンクと共に批判系のサイトへのリンクを持っています。それは、その団体について触れる以上、多くの批判を受けている団体である、という事を、各団体の主張とは別にきちんと明らかにしている訳です。私は残念ながらます56さんの今までの投稿履歴などを見ても、親鸞会に批判的な記述やリンクを消して回っているだけのように思えます。それは、本当は辞書という観点が重要なのではなく、親鸞会に批判的なサイトを見せたくないだけではないかと勘ぐりたくなります。そうした声を無条件で聞いていては、中立的な百科事典とは言えないでしょうね。--智之 2006年3月27日 (月) 15:37 (UTC)
利用者:ます56氏は、この議論が『公式』と『被害者の会』のみに絞ると言う方向でまとまっているのを現状維持(公式にのみリンク≠Wikipedia日本語版に問題が無い団体としか書かれていない様に見せかけたい)したいが為に反論している様にしか見えませんが? --名称未設定 2006年3月27日 (月) 15:56 (UTC)
利用者:智之氏と、通りすがりさんの意見しか、聞いてませんが、まとまりつつと言われても、私は合意しかねます。
社会的に問題のある団体だと、社会的に認知されているといっても本当でしょうか? 宗教法人だからいろいろとこころよく思わない人もあるでしょう。そもそも、それほど名前が知られていないのが現状ではないでしょうか? 顕正会や、エホバの証人と同列にならべて考えるのは、規模の面や、実害の程度(訴訟や刑事事件も含む)を考えて、あえて両側サイトを掲載する必要は感じられません。--ます56 2006年3月28日 (火) 07:39 (UTC)
ます56さん。残念ながら、親鸞会が社会的に問題のある団体だと認知されている事は本当です。特に大学関係者(教職員)や、カルト宗教の被害相談に関わっている方にとっては親鸞会というのは大変問題のある団体として知られています。大学側に寄せられる相談件数などを考えると、顕正会や統一教会と程度は一緒といえるかもしれません。そしてその批判の多くが、度をすぎた勧誘や入信への方法、また金銭をめぐるものであり、この点も顕正会や統一教会と類似しています。招待を隠した勧誘という点だけでも問題だと思いますが、その他にも、親鸞会の学生会員が、被害相談する親御さんの電話を盗聴したり、メールを盗み見て組織に報告したり、といった事例まで報告されています。ます56さんが被害の程度という点についてどの程度認識し、どういう根拠で同列に並べる事はできないと考えておられるのかわかりませんが、親鸞会が「問題のない」団体ならば、受けている批判をきちんと明らかにした上で、親鸞会という団体を見る人が判断すればいい事であって、これをもって「両側サイトを掲載する必要はない」と主張するのは幾分無理があるように私は思います。また、重なりますが、ます56さんご自身の投稿記録を拝見した感想を述べさせていただくと、辞典にふさわしい中立的な記事を作成する事を主眼において投稿されているというよりは、親鸞会に対してネガティブな記事を消して回っておられるようにしか思えないのですよ…。組織というのは様々な批判を受けて健全な方向にシフトしてゆくものです。記事とは関係ありませんが、もし親鸞会の言う事が絶対に正しく、それに対する批判はすべて誹謗中傷だと思っておられるとしたら、そうした考えは大変に危険なものであると老婆心ながらご忠告させていただきます。--智之 2006年3月28日 (火) 14:02 (UTC)

やはり、私は公式ホームページと被害家族の会のホームページの両方を掲載すべきだと思います。親鸞会についてあまり よく知らない人が、「どんな会なのか?」と調べたい時に、会の公式ホームページは、会としての自分たちの団体の内容を 明記したものですから、これはもちろん掲載が必要ですが、親鸞会はこれまでに、多くの批判を受け、家族問題まで 起こし、社会的にも全国の大学当局、自治体で問題になっている親鸞会の負の面を紹介することは重要だと思います。 これは、1人や2人が言っていることでは、ないのですから。 私の知っている人の中には、これらの両方のホームページをみて、親鸞会への入会を決意された人もいれば、入会され なかった人もいます。親鸞会の問題については、大学当局や、大学の自治体、また、カルト宗教を研究している学者の中 でも知られており、一番は、親鸞会(特に学友部)は、入会する人の中で、退会する人の割合が非常に高く、様々な 批判を受けています。親鸞会について辞書として説明を行う上で、公式ホームページとともに、批判的な内容のものを 掲載し、「一方で、親鸞会はこのような批判も受け続けている」との説明は必要であり、非常に重要であると思います。--木村耕二 2006年3月28日 (火) 14:18 (UTC)

顕正会やエホバの証人と比べれば規模は小さく、一般的な認知度はまだまだ低いのかもしれませんが、逆に親鸞会を 知っている人たちや、親鸞会の大学での活動を知っている職員、また、親鸞会の会員のご家族の方々といった人たちは、 「親鸞会は問題のある団体」だと完全に認知されています。訴訟や刑事事件といったことにまでは至っていないのかも しれませんが、特に学友部は毎年多くの問題を起こし、親鸞会をやめる人があとをたたず、実際に在籍していた人たち、 そしてその関係者の方々が多くの批判を行っています。

ます56さんの意見を聞いていると、「掲載の必要なないのでは?」といったような非常に消極的な意見であるように 感じます。「多くの必要性を感じる」という積極的な意見と比べると、あまりにも消極的で、必要性を感じる人が 多いのですから、掲載しても構わないのではないでしょうか? それとも、「掲載してはならない。掲載することには 問題がある」とお考えなのでしょうか? もし、そのようなご意見でしたら、「掲載することには問題がある理由」に ついて、論理的、積極的なご意見を聞かせて頂きたいと思います。

ます56さんが、親鸞会の社会的な問題点をあまり御存知なく、必要性を感じないだけなのでしたら、批判的サイトを 掲載しても問題ないように思います。むしろ、私は「批判的な内容のサイト」は、多くの批判を受け続けている親鸞会の 紹介をする上で、是非とも必要だと感じています。ただ、肯定的な情報と否定的な情報を公平に入手して、親鸞会に 対してどのような認識をもつのかは、あくまで読者一個人に任せればいいと思います。--木村耕二 2006年3月28日 (火) 14:31 (UTC)

掲載する必要は無い、と言いますか、掲載しないべきである、という意見です。
批判があるのは事実ですが、そもそも批判されない存在などあり得ません。公平を期すためには、賛否両論載せるべきだという意見は、一見、客観的なように思えるところが、怖ろしい罠だと思います。賛否両論あるのは、表記する以前に、調べる者が知っておけばよい常識です。問題は、その「否」の部分が、どれだけ強いか、という点です。
批判的な側からすれば「大変強い」と言うでしょうし、擁護する側からすれば「弱い」と言うでしょう。それを、強いから載せるべきだ、弱いから削るべきだ、という議論にしなければならないのだと思いますが、間に入る立場の者がいないのですから、無理です。皆さんの意見を読む限り、擁護側と批判側しかいないようですから、無理です。
批判側の「『親鸞会は問題のある団体』だと完全に認知されています」などの表現が、それを如実に表わしています。
それと、批判側の皆さんは、賛否両論サイトに、それぞれ、「親鸞会公式サイト」と「被害者家族の会」とを主張していますが、それは暴論でしょう。どさくさに紛れて、という様相です。百歩譲って、両論併記というなら、「親鸞会公式サイト」擁護側のサイトでは無くて、親鸞会を公式に説明しているサイトですから中立と見なされなければならないでしょう。そのほかに、賛否両論の2サイトを、という話で無ければ、譲歩も何もあったものではありません。
「家族の会」を掲載したいというのであれば、擁護側に、擁護するサイトを1つ載せる代わりに、批判サイトを1つ載せることでどうでしょうか、と。もっとも、擁護側は、それに同意しない可能性は極めて高いでしょうが。--Jazz 2006年3月29日 (水) 00:55 (UTC)
Jazzさん。新しくアカウントを作られた方のようですね。この節の最初の方にJazzyさんという方が書き込みをしておられるのをご存知でしょうか。他意は無いと信じたいところですが、「李下に冠をたださず」という言葉もあるのですから、あまり紛らわしいユーザー名を使うのはおやめになった方がいいかもしれません。
さて、「批判側の皆さんは〜どさくさにまぎれて、という様相です」と仰っていますが、新しく入ってこられた方のようなので説明しますと、実はそうではないのですよ。当初この親鸞会の項目には、「被害家族の会」へのリンクが存在していたのです。それが保護解除の後に、主にリンクを巡って激しい編集合戦となり、それでいったん公式サイト以外のリンクを全部消して、ここで話し合いをしましょう、という経緯なのです。ご存じなかったとはいえ、この点はjazzさんの誤解ですから、ご承知おきください。
さて、間に入る立場の人がいない、また、批判者と擁護者しかいない、と断定しておられるようですが、この節の前半の部分をご覧になっては如何でしょうか。Wikipediaで多くの編集に加わっておられるような立場の方が、批判サイトへのリンクを考えるべきだとはっきり仰っていますよ。私はこれらの方々の意見は中立的な方の意見だと思っていますが如何でしょうか。
また、文章全般をみて思った事ですが「暴論」とか「恐ろしい罠」などの表現を見ますと、随分感情的になっておられるように思いますが御自覚はありませんでしょうか。相手の意見を「暴論」と断定するには、よほどの根拠がなければならないと思いますが、それだけの根拠や裏付けに乏しいような感がしております。「賛否両論あるのは、表記する以前に、調べる者が知っておけばよい常識です。」という言葉などを読ませていただきますと、私などはいったいそんな事を常識だといつ誰が決めたのかなぁ(笑)と、不遜にも思ってしまいます。私がもし「批判を受けている団体には、批判側のサイトへのリンクをつけるのが『常識』です」と申し上げたら、果たしてjazzさんはどう思われますか?
批判者と擁護者がいるのは当然でしょう。双方の主張が噛み合ないのも考えられる話です。だから批判側のサイトもリンクする事によって、後は読者の判断に任せたらどうか、という意見を「暴論」と断ずるにはあまりにも無理があるように思っています。--智之 2006年3月29日 (水) 14:01 (UTC)
Jazzさんがどのような立場の方なのか、よく分かりませんが、言葉遣いなどを見ていると、智之さんが指摘されるように「恐ろしい罠」とか「暴論」といった感情表現が目立ち、何とかして批判サイトを掲載させたくない、というお考えなのかな、と思ってしまいます。逆に、Jazzさんからすれば、親鸞会に批判的な人たちの「『親鸞会は問題のある団体』だと完全に認知されています」との表現は感情的に思えるのかもしれません。ただ、どなたかも言われていたように、批判や問題のない団体など、ある訳がないのですし、また、私もそのような表現を使っていますが、親鸞会に問題があるからといって、「親鸞会の全てが悪い」「親鸞会の存在意義はない」といった意味ではありません。ですから何度もいうように、親鸞会が自分たちを紹介するために良いことを書いている「公式ホームページ」(けっして中立ではないと思いますが)を掲載する一方で、多くの人が指摘している、親鸞会の問題点について述べられている批判的なサイトを掲載すべきだと言っているのです。
また、「賛否両論あるのは、表記する以前に、調べる者が知っておけばよい常識です」と言われていますが、不思議にも多くの検索エンジン上では、親鸞会に批判的なサイトはことごとく検索順位が操作され低くなっていますので、「調べるものが知っておけばよい」と言われていますが、調べてもなかなか知る機会がないのではと思います。だからこそ、ここでは百科事典としての機能を正しく働かせるために、親鸞会に肯定的なサイトと批判的なサイトの双方を掲載すべきです。そうすることによって、親鸞会について調べた人が、「親鸞会は〜という団体であり、〜といった批判を受けている団体である」という情報を入手することができるのです。
過去、数多くの人によって、様々な批判を受けているにも関わらず、調べた人がそのような情報を入手できないのは、どう考えても公平性や中立性が損なわれているように感じます。
公式サイトによって、親鸞会の歴史、教義、各地での活動、また会員の声といったことを知れる訳ですから、親鸞会についての非常に詳しい情報が得られると思います。そこに、「親鸞会への批判の声」として、批判的なサイトを共に掲載する訳ですから、より公平・中立で情報量の多い内容になるかと思います。あくまで親鸞会を批判するためだけのものではありませんし、中立性が保たれるべきですから、批判サイトは5個も10個も並べるのではなく、1つくらいでいいと思います。いかがでしょうか? --木村耕二 2006年3月29日 (水) 15:36 (UTC)

外部リンクのバランス

編集

横から失礼。上で上げられている外部リンクを拝見しましたが、この会を知る上では

  • 公式サイト
  • 好意的なサイト(父母の会など)
  • 批判的なサイト(浄土真宗親鸞会被害家族の会、または なぜ私は親鸞会をやめたのか など)

の3種類を乗せるのが良いのではないでしょうか。ウィキペディアの「好意的に書く」という原則を考えれば、公式サイト以外に、批判的なサイトのリンクと同数、好意的なサイトを載せるほうがバランスが良いと思われます。

親鸞会擁護の方へ:この会に限らず、宗教を扱う項目では、どんな批判があるかという情報は貴重です。布教に支障があるのではと心配されているかもしれませんが、入会前にそういう批判があるということを知って、なおかつ入信(というのでしょうか?)されるのが、理想ではありませんか? --miya 2006年3月29日 (水) 16:44 (UTC)

  • miyaさん、貴重なご指摘ありがとうございます。私は公式サイトと批判的なサイトを各1種類と考えておりましたが、ご意見を拝聴しますと3種類でも良いように思います。私自身が親鸞会の会員の家族や、現会員、脱会者、学校関係者といった方から多くの相談を受けてきたこともあり、その経験を踏まえて申し上げるのですが、「親鸞会がこのような団体だと最初から知っていたならば、入らなかった」といわれる方が本当に多いのです。(もっとも、主に学生への布教において親鸞会は団体名を隠して勧誘しますが、これも自分たちが多くの批判を受けているとの自覚があるから、隠しているのでしょう) 一般的に宗教というのは一旦入ってしまうと、精神的に多くを依存してしまい、疑問を持ってもそれを打ち消す方向に心が動いたり、あるいはおかしいと思っても中々抜けるだけの勇気を出せなかったりします。ですから「宗教を扱う項目では、どんな批判があるかという情報は貴重」とおっしゃるMiyaさんのご意見には深く同意します。Miyaさんのご意見に賛同いたします。--智之 2006年3月30日 (木) 03:35 (UTC)
  • miyaさんの意見も分かりますが、宗教団体だから、批判的なリンクをのせるのが、普通であるというのは賛同しかねます。智之さんの意見も、宗教団体だから、他のイメージも載せていいはずだという意見ですが、私は反対します。一般企業名をwikipedia検索しても、外部リンクは公式サイト一つになっています。企業名は外部リンク1つでよいけれど、宗教団体は批判意見(大小によらず)というのは、どうかと思います。「好意的に書く」というのなら、公式サイト一つでよいと思います。--ます56 2006年3月31日 (金) 11:24 (UTC)
ます56さま。「批判的なリンクをのせるのが普通」とは誰も申していません。miyaさんは、この会(親鸞会)を知る上では、3種類のサイトをリンクした方がよいと仰った上で、その中に批判的なサイトを一つ加えておられるのです。
そして、「宗教団体は批判意見(大小によらず)というのは」とも誰も言っていません。私に関しては前々からずっと、親鸞会は大変に問題の多い団体であるから、批判意見も掲載した方がいいと申し上げております。親鸞会の正体や立場を隠した勧誘が、様々な大学で問題になり関係者が苦慮していること、あるいは毎年親鸞会について非常に多くの相談がよせられ、会員の家族の方が苦しんでおられる事。そして何より脱会された方が、今までなぜあんな多くのお金や時間を費やして来たのだろう、と悔やみ、苦しんでおられる事。そうした事は今までの投稿で十二分に書いて来たはずです。そして、宗教団体について批判的な意見があるという情報がなぜ貴重なのかについても、説明しています。それらへのきちんとした反論が無いまま、ただ、「一般企業は公式サイト一つなのだから」と言われるのでは、納得される方は少ないのではありませんか。そもそも一般企業と宗教団体を同列に扱う事はできないでしょう。
先ほどからます56さんのご意見を拝見しておりますが、失礼ながら「批判サイトへのリンクを考えるべきだ」という他の多くの人の意見に対して、主張を曲解して批判するなど、誠意のあるお答えをしておられるとは考えにくいのです。重ねて申し上げますが、今までの投稿履歴をみても、親鸞会に対して批判的な意見を消したいだけなのだろうか、と思う次第です。
批判的なサイトへのリンクがあると都合が悪い、とお考えなのかもしれませんが、親鸞会の皆さんが言われるように「唯一絶対の真実を説く幸せな集まり」が親鸞会ならば、たとえ多くの批判があっても自ずと人は集まってくるでしょう。そうした批判を受け入れず、ただネット対策などを通して批判を隠そうとしたり、「組織を批判しない」と会員に誓約書を書かせているようでは、これは「創価学会」や「顕正会」と同一に論じられても仕方ないと思いますが如何でしょうか。
以上、少し話題がそれてしまいましたが、私の意見です。ます56さんにおかれましては、なぜ批判的なサイトを載せる事を是としないのか、ここにおられる他の方の意見を曲解せずきちんと受け取った上で、説明される事を希望いたします。--智之 2006年3月31日 (金) 13:55 (UTC)
一般企業に関する記事にも批判的な外部リンクは掲載されてしかるべきでしょう。それが為されていないのは記事が「書きかけ」であるからに過ぎません。記事の内容を補足する上で意義のある外部リンクは、たとえ批判的なものであっても掲載するべきです。記事の対象として捉える限り、一般企業と宗教団体とを区別する必要はないように思います。--Dojo 2006年3月31日 (金) 14:18 (UTC)
Dojoさん。ありがとうございます。同感です。--智之 2006年4月1日 (土) 02:45 (UTC)

本文で書くかリンクで済ませるか

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企業の話が出ましたね。たとえばアムウェイをご覧ください。これは外部リンクは現在公式サイトのみで、問題点は本文内で詳述されています。こうすれば批判サイトをリンクする必要もなくなります。ます56さんはリンクで済ますのと本文で詳述するのとどちらが良いと思われますか? --miya 2006年3月31日 (金) 17:09 (UTC)

いまアムウェイの項目を読みました。かなりの字数を割いてアムウェイの問題を指摘していますね。親鸞会の問題点をきちんと書いたならばこの字数では収まらないと思いますが、例えば週刊誌などで報道されていて、「これが親鸞会の問題点である」と広く認知されている事を中心にまとめて、記述する事も考えられると思います。私はあくまでも「批判的なサイトへのリンクを入れるべきだ」と考えておりますが、まる56さんがどうしてもと仰るのなら、miyaさんが提案する「本文で書く」というのでもあり得るかなと思っております。
ます56さんにおかれましては、ただ反対、反対と連呼されるだけではなく、これだけ多くの人が批判サイトへのリンクを考えるべきだと意見を言っているのですから、それに応じた妥協点や対案を出して頂きたいと思います。--智之 2006年4月1日 (土) 01:26 (UTC)

大変議論も長くなりましたので、ここらで結論を出したいと思うのですが如何でしょうか。私自身は批判的なサイト1種を含めた3種のリンクを入れる事を提案いたします。ここまでの議論の流れを見ますと、批判的なリンクを入れるか、本文に親鸞会の問題について記述するかのどちらかになると思います。その場合は週刊誌や月刊誌などで報道された親鸞会の問題点を、整理して載せるというのでは如何でしょうか。このノートの議論を見てもお分かりとは思いますが、批判的サイトへのリンクも親鸞会の問題点について記述する事も、いっさいまかりならんというのは、いささか主張としては無理がありすぎるように思います。擁護派の方はできれば二日以内にご回答をいただければと思っております。よろしくお願いします。--智之 2006年4月1日 (土) 15:06 (UTC)

智之さんの意見に賛成です。ます56さんをはじめ、批判サイトをなんとしても掲載したくない、とお考えの方は、これを読んだ人が納得できるような主張を、具体的に述べて頂けたらと思います。2日たってもご意見がなければ、3つのサイト(公式HP、擁護派HP、批判HP)を載せる方向でいいかと思います。過去、多くの人が会を離れ、数多くの批判を受けている団体ですから、批判的なサイトが公開され、「親鸞会」を検索した人に、情報として提供すべきだと思います。ただ、あくまで一つの情報であり、それらの情報をすべて入手して、どのような行動をとるかは、読者にゆだねられます。--木村耕二 2006年4月2日 (日) 14:41 (UTC)

では、3つのサイト(公式HP、擁護派HP:父母の会、批判HP:被害家族の会)で、記事編集してみました。よろしくお願いします。--Canina 2006年4月3日 (月) 05:42 (UTC)

智之さんとmiyaさんの意見を取って、了解いたしました。3つのサイト(公式HP、擁護派HP:父母の会、批判HP:被害家族の会)で、外部リンクということで合意いたします。それ以上は増やす必要はないと思います。--ます56 2006年4月3日 (月) 13:30 (UTC)

ます56氏は……

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親鸞会の布教のために『彼らにとって都合の悪い事実』を消して歩いている様にしか見えませんが? --名称未設定 2006年3月31日 (金) 11:47 (UTC)

Wikipedia:個人攻撃はしない --Dojo 2006年3月31日 (金) 14:00 (UTC)
Dojoさんの言われる事は本当にその通りなのですが、確かに名称未設定さんがそうとられても仕方がない部分もあります。個人攻撃はしないという原則は十二分に承知した上で申し上げますが、ます56さんにおかれましては、相手の主張をよく受け入れた上で、対案や妥協点を見いだす努力をして頂きたいとご忠告させて頂きます。--智之 2006年4月1日 (土) 01:31 (UTC)

参考文献について

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利用者:Canina氏にお伺いしたいんですが、『メディアが見た〜』を参考に肯定的な物を二つ、批判的なのを二つ載せたんですが、両者共に一方的に削除するのはどう言った理由なんでしょうか? --名称未設定 2006年3月26日 (日) 05:36 (UTC)

一切の回答が無かったので今後の一方的な削除は悪戯として対処します。--名称未設定 2006年4月9日 (日) 16:49 (UTC)
すみません。忘れていた訳じゃないのですが、まあいいんじゃないかと思うようになりました。--Canina 2006年4月11日 (火) 12:50 (UTC)

学生の勧誘について

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親鸞会が大学新入生に対して、最初は「親鸞会」という名前を伏せて、ただのサークルとして勧誘していることは、紛れもない事実です。私の実体験と実際に加入してしまった知人の話を元に整理すると、その手法は以下のとおりです。

①大学の正門前で、大学生(っぽい人が)「サークルの相談会(紹介?)をやっていますので、来てみませんか」と勧誘。(当然、「親鸞会」とか「宗教」とか「幸せ」とかを匂わす発言はしない。)

②勧誘に応じると、ごく普通の飲食店の2階に連れて行かれる。そこでは、多数の新入生がサークルの説明を受けている。

③そこで、勧誘された人から「幸せについて考える」サークルであることを明かされる。そこから延々サークルの説明。(この時点でも「親鸞会」という名前は出していない。)

④説明が終わると、名前や電話番号など連絡先を書くように言われる。

⑤記入を拒むと、なぜか中年の男性が登場。それから、その人が延々サークルの説明をする。説明が終わると、再び連絡先を書くように言われる。 《以下は、書いてしまった場合のパターン》

⑥4月上旬に食事会に招待される。新入生は無料。

⑦ゴールデンウィークに1週間の合宿がおこなわれる。新入生は格安。合宿ではセミナーが中心。セミナーの内容は、親鸞の教えについて学ぶことがほとんど。(とはいえ、この時点でも「親鸞会」という名前は出していない。)

《それより先は不明》

知人の話によると、そのサークルが「親鸞会」だと明かされたのは、GWの合宿が終わったころだそうです。知人が「親鸞会」だということに気づき、先輩に尋ねたら、「親鸞会」だと認めたそうです。

私は「親鸞会」に被害を受けたわけではないし、知人も「親鸞会」の人は皆いい人だった、と言っていますので、「親鸞会」を悪だとは思っていません。また、新入生に対する勧誘の手法についても、是か非か判断を下すつもりはありません。

しかしながら、「親鸞会」が新入生に対し、自らの正体を隠し勧誘をおこなっていることは紛れもない事実です。現在のウィキペディアの記述では、そこら辺のところがお茶を濁したような記述になっていますが、勧誘の手法については事実としてはっきりと記述すべきだと思います。(それを拒む者は、非中立的な「親鸞会」もしくは宗教関係者および擁護者とみなしてよいと思います。) --222.159.44.114 2006年5月6日 (土) 15:04 (UTC)

日本語版の特有の問題(管理者の中にこの団体の信者がいると言われている)が有るのでああ言った曖昧な表現にならざる得ないということを了承ください。--名称未設定 2007年2月18日 (日) 06:51 (UTC)
222.159.44.114さんはまず、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないをご覧ください。主張なさりたいことには、誰もが閲覧可能な情報源が必要です。あなたの体験がそのまま出版物となっているものか、信頼性の高いウェブサイトを探して、出典としてください。また、名称未設定さんのように曖昧な表現をすべきではありません。管理者の中に信者がいようといまいと、われわれ執筆者は、基本原則を踏まえてより良い記事の執筆を行うべきです。管理人が不適切な行為をしているとお感じになった場合はWikipedia:管理者の解任をご覧ください。--Takeshi14 2008年7月4日 (金) 17:06 (UTC)

献金について

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利用者:Okidoki氏により、以下の編集が行われましたが、承服できない部分があるため質問します。

- 親鸞会での献金活動は「財施」と言われ、献金額に応じて会員は12の「燈」というランクに分けられている。会員は行事の際は自分の「燈」が明記された名札を着け、法話を聞く際にはこのランクの高いものから順番に席を取る。献金には毎月収められる「会費」の他に、高森の著書が発刊されたり、高額な絵画、新しい会館の建設などの際に必要に応じて集められている。尚、献金した会員に対して収支報告は一切なされていない。

+ 親鸞会で会費は、本人の希望によって、12通りから選ぶことができる。いつでも変更は自由である。行事の際は名札を着ける。財施は、新しい会館の建設、会館にかかげる絵画などの際に必要に応じて呼びかけられる。

以上のように大きな削除がされていますが、その削除内容は枝葉末節とも思えないので、削除するに至る理由を明示ください。

  • 特に、カルトの特徴のひとつである献金による差別化などは、親鸞会を記述する上で重要な箇所だと考えます。

--MKT (Talk) 2009年7月15日 (水) 07:35 (UTC)

カルトの特徴のひとつである献金による差別化などは、親鸞会を記述する上で重要な箇所」とMKTさんは述べられていますが、カルトとはなんでしょうか。また、なぜ、親鸞会がカルトなのでしょうか。会費に複数種類がある=カルト、なんでしょうか。--Okidoki 2009年7月16日 (木) 04:48 (UTC)
カルト云々は横へ置きましょう。セクション冒頭のとおり、恣意的に記述を削っておられますが、その理由について返答ください。--MKT (Talk) 2009年7月18日 (土) 15:46 (UTC)
もう少し自分の発言に責任をもたれてはどうでしょうか。
この項目の記述について、「カルトの特徴のひとつである献金による差別化などは、親鸞会を記述する上で重要な箇所」とMKTさんが言われたから、それについてお尋ねしているのです。MKTさんがどのように思っておられるのかが分からないと、MKTさんが「大きな削除がされている」「削除内容は枝葉末節とも思えない」と仰有る心も理解できないと思います。よろしくお願いします。カルトとはなんでしょうか。また、なぜ、親鸞会がカルトなのでしょうか。会費に複数種類がある=カルト、なんでしょうか。--Okidoki 2009年7月21日 (火) 05:53 (UTC)
親鸞会はカルトではないとOkidokiさんは思っておられるのですね。わかりました。
Okidokiさんが削除された単語や記述のいくつかを挙げると、「親鸞会での献金活動は「財施」と言われ」、「献金額に応じて会員は12の「燈」というランクに分けられている」。といった部分が削られています。これはどうしてでしょうか。事実とは異なるのでしょうか。また、「会員は行事の際は自分の「燈」が明記された名札を着け、法話を聞く際にはこのランクの高いものから順番に席を取る。」「尚、献金した会員に対して収支報告は一切なされていない。」といった箇所が削除されていますが、事実と異なるからなのでしょうか。--MKT (Talk) 2009年7月21日 (火) 17:10 (UTC)
追記しますが、今回記事が編集保護となり、Okidokiさん、貴方自身も投稿ブロックを受けたという事実を踏まえたならば、件の削除について、その説明責任があるのは誰でもない貴方です。私が何を考えているかを知りたいと要求するのは、物事の順番が違いますね。第一、貴方自身が投稿ブロックなど無かったかのように平然と振る舞い、発言されているのが不思議でなりません。貴方の行いが上記ノートにある過去の事件も含めて、既にWikipediaから「歓迎されざる」のだということを自覚されませんか。まさに恥ずべし傷むべしとは思われませんか。もう少しご自分の行為に責任をもたれてはどうでしょうか。追記でした。--MKT (Talk) 2009年7月21日 (火) 17:23 (UTC)
待った。ブロックはあくまで編集合戦を止めるために、やむを得ず行ったものです。Okidokiさんが行われた削除そのものについては、何も申し上げておりません。情報に全く根拠が無いとか、さほど重要なものでないとか、理由があれば削除されても良いでしょう。そして、ブロック後かどうかに関わらず、こうして対話を行うことはむしろ推奨されるべきことです。そこを非難するのは筋違いではないでしょうか。Okidokiさん同様、MKTさんもその情報が重要であることを説明する必要があるのではないでしょうか。その上で、お互いに納得できるようなうまい妥協点を探る努力をしてください。これは、議論の相手を批判することよりも優先すべきことです。お互い、Wikipediaから歓迎されるような、建設的な議論を行われますよう、強く願います。--Bellcricket 2009年7月21日 (火) 18:32 (UTC)

カルトの特徴のひとつである献金による差別化などは、親鸞会を記述する上で重要な箇所」とMKTさんが言われ、その理由を尋ねると「カルト云々は横へ置きましょう」と逃げられます。再度、お尋ねしても、返答されないで、的外れなことを言われます。ご自身がどのような中傷を書かれたか自覚ないのしょうか。MKTさんは「お前はカルトだ」と言われても平気なのでしょうか。どうしてそのように言われるのか、尋ねるのが当然と思いますが・・・。
 それなのに、MKTさんは自分の言葉に責任を持っておられません。「親鸞会=カルト」とMKTさんは思っておられるのかもしれません(それはMKTさん自身のことですから仕方ありませんが)。ですが、そんな偏った見方をされているから、「カルト」「差別化」「献金活動」「ランクにわけられている」「ランクの高い」等と言う言葉が次々と出てきて、文章全体が、普通の人が読めば、いかにも親鸞会がヘンな金集めしていると思えるような、おかしな表現になっていると思います。Wikipediaにはふさわしくないと思います。それを普通の文章に変えたまでです。--Okidoki 2009年7月22日 (水) 12:29 (UTC)

カテゴリの変更

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「Category:浄土系仏教」の整理にともない、本ページを「Category:浄土系仏教」から「Category:浄土真宗」に変更する提案です。(詳細は、Category‐ノート:浄土系仏教を参照してください。)--Resto1578 2009年9月30日 (水) 16:09 (UTC)

  提案から2週間が経っても、コメント・反対意見が得られないようなので合意が得られたものとします。--Resto1578 2009年10月12日 (月) 16:59 (UTC)

元講師部員からの法論の申し出を

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親鸞会の高森顕徹会長は元講師部員からの法論の申し出をひたすら無視していますが、かつて「相手が誰であろうと、相手の希望する方法で法論する」と言っていた公約を破棄したのですね。親鸞会の教義はいまや多くの批判サイトで批判されていますが、会長はじめ講師も誰も、外に向かっては反論できないようです。--以上の署名のないコメントは、シルビウス会話投稿記録)さんが 2010-10-24 14:24:01 (UTC) に投稿したものです。

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