ノート:混血

最新のコメント:8 年前 | トピック:編集合戦をやめ、話合いをしてください | 投稿者:2402:6B00:340D:4700:4CFE:E37:43C7:E1FA

定義について 編集

定義に混乱があるように思います。異なる人種のことを語っているのか、それとも異なる民族のことを語っているのか、前半と後半で主題が変化しているように感じます。tanuki_Z 2004年10月9日 (土) 02:53 (UTC)返信

そもそも人種民族という概念はあいまいなものであり、「混血」という概念についても辞書によって異なる説明が行なわれていることがあるため、「混血」という言葉の中には人種と民族両方が考慮されているとみる方が適切だと考えます。--Nikolaus 2007年10月3日 (水) 15:11 (UTC)返信

交雑と重なる部分が多く、ヒトの場合は「混血」、そのほかの動物も含めた広い概念として「交雑」として、整理したほうがいいと思うのですが、いかがでしょうか?--Luna plena 2006年2月14日 (火) 20:57 (UTC)返信

著名人リストについて 編集

個人情報についてこれだけ露出するのは問題。特に○○系○○人などと、祖先を予見させるようなことはするべきではないと考える。0null0 2006年11月4日 (土) 09:30 (UTC)  返信

  • 出来上がってた項目を丸々消すのはどうかと思う→著名人・・・11/6
私もリストを消す必要はないかと。単なる事実の羅列に過ぎないし、そこに何か差別的感情を抱く者があるとすれば、それは見る人の責任。私は外国人を祖先を持つ著名人って結構多いんだなあという単純な感想を抱く人の方が多いと思うし、そうした人の利益の方を優先すべき。特に○○系○○人などというのを誇りにしている人も少なくないはず。一般論として建前を言えば、外国人を祖先に持つことがその人にとって不利益な情報になるとは思いません。リストアップ方法に関して改善の余地はあるかもしれませんが、ひとまずコメントアウト外してよいのでは?
えーと、あとからいちおう確認ですが、「個人情報についてこれだけ露出するのは問題」というのはつまり「数ある個人に関する情報の中から混血かどうか・どこの国から祖先は来ているかだけを抜き出して書くのはバランスに欠ける」という意味でしょうか。でもこのページは混血(差別的で嫌な言葉ですが他にかわりがない)について扱うのだからそうなるのは当然では?それ以外の情報は、きちんとリンクが張られているのだからそっちのページを見ればよいこと。--ПРУСАКИН 2006年11月6日 (月) 18:40 (UTC)返信

事実の羅列ならば問題ないというのであれば、過去に公開されていたが今では公開されていない個人情報の開示がなんどか削除されていることをどのようにお考えか。このような個人情報に対して鈍感な態度はいかがなものかと。0null0 2006年11月8日 (水) 10:22 (UTC)返信

個人情報が重要なことはよいが、混血の件がどのように問題なのか。各個人のページで「公開」されている内容の集約でしかないが?--ПРУСАКИН 2006年11月8日 (水) 13:48 (UTC)返信


彼らが有名人だから選ばれているわけで一般人の個人情報が公開されていないわけではない、そもそも、彼らが彼ら自身が混血であることは隠そうとしているのだろうか?
ПРУСАКИНさんが述べたようにそれを誇りにすら思っている人が多数のはず。
また日本社会特有の暗闇を見た気がする・・・ --Ironthrone 2006年11月8日 (水) 14:31 (UTC)返信


著名人リストを復活させました。

著名人リストが作成できるのは、彼・彼女らがその情報を公開したり、テレビや雑誌において公表しているためであり、隠している場合はそれが表に出るはずがありません。ПРУСАКИНさんやIronthroneさんが述べているように、そこに誇りを感じている人もいるでしょう。
隠す行為こそ、日本社会における「単一民族社会」という幻想を保持しようとする行為であり、混血という状況を忌むべき存在のように思わせる根源を保持するものだと思います。
なお、個人情報の秘匿に関しては、個人情報保護法施行以来言われている個人情報保護の意味の取り違えでもあると思います。以上の考えにもとづき、著名人リストは復活させることにしました。--Nikolaus 2007年10月3日 (水) 14:44 (UTC)返信

後日、この項目に関しては日本社会における混血の著名人に内容が移動されたため、この項目から著名人リストは削除されました。--Nikolaus 2008年3月5日 (水) 09:58 (UTC)返信

中立的な観点に基づく疑問について(個人の私見重視の内容について) 編集

この項目はNikolausさんの私的意見と主張によってまとめられています。また、修正に対して、接続詞や表現などの修正でも、客観性のない差し戻を繰り返しているようです。Wikiは私見公表の場ではありません。曖昧な表現、まとまっていない内容、意見の分かれる部分について言及する必要はありません。また、自身のホームページへのLINKも不当な利用です。[1]この項目に対する意見は多く出ていても、「混血」が抱える問題上、言い切ることが出来ない内容は多々あるのに、無理やりまとめています。その必要はありません。[2]現在ある事実のみをまとめるべきで、Nikolausさんの意見の記載は必要ありません。スティーヴン・マーフィ重松『アメラジアンの子供たち』からの引用もあるようですが、これもスティーヴン・マーフィ重松の私見だと言えます。[3]ニュースや事実、科学的根拠と文化に対する意見とはまったく異なります。これらを踏まえた上で編集してください。--222.149.73.123 2008年3月21日 (金) 08:47 (UTC)返信

私見と公見に関する222.149.73.123さんの意見もまた、私見ではないでしょうか?
新聞記事であっても、取材対象に接触した記者が一人である場合、その記者の私見が事実として新聞に記載される例も多々あります。私見と公見、つまり主観的意見と客観的意見の境界は非常にあいまいで、その境界を策定するのも、私見によるものだと言えます。
また、スティーヴン・マーフィ重松氏に関しては、彼は研究者として多くの文献に触れ、実際に論文を日本の研究機関に発表されています。「科学」の絶対条件を「検証可能性」だとするなら、マーフィ重松氏は参考文献を提示しており、彼の書いているものは十分検証可能で科学的なものだと言えます。よって、彼の書いたものを参考にまとめることは問題はありません。
公見と私見について222.149.73.123さんのような発想をするならば、このウィキペディアにある多くの記事が、同じような問題を孕み、学位を持った専門家以外の誰も何も書けなくなるのではないでしょうか。--Nikolaus 2008年3月21日 (金) 14:22 (UTC)返信
こと文化に限っては個人の引用がまずい場合もあるでしょ。音楽論とかは特に。マーフィーが凄いってノーベル賞や国民文化賞が言ってるなら良いけど、あなたじゃない?良いとこ取りって感じだなぁ。Nikolausは重松読む前にこれちゃんと読んでWikiのポリシー理解したら?明らかにわかってない編集のしかただよね。[4]「このウィキペディアにある多くの記事が、同じような問題を孕み、学位を持った専門家以外の誰も何も書けなくなるのではないでしょうか。」これは中立的観点の批判に書かれている意見だ。理解できなかったり、納得できないなら、編集を強制してないんだから、やめたほうがいいんじゃない?--118.83.159.238 2008年3月22日 (土) 00:46 (UTC)返信
マーフィ重松を絶賛しているのではなく、現在のところ、この分野における社会科学的観点で書かれたものが少ないため、彼の記述と、彼が挙げる参考文献しか頼るべき情報がないうこと。人種民族に関する項目への参考文献は提示したので、それを参考のこと。
なお、ノーベル文化賞も国民文化賞も、ある立場の方々が選考するもので、そこで取り上げられたものを手放しに受け入れるというのは権威主義的思考でしかなく、中立的観点とは言い難いのでは?ウィキペディアに関する疑問を堂々と発表されている方々の意見も参考にして、この議論は進める方がいいと思う。[5][6][[7]
この項目に限らず、マイノリティマジョリティとに別れる問題は、しばしば立場の違いから論議になるのは必然。また、スティグマとなりうる記述に関しては、それを監視する必要もあると考え、「参加を強制」されてはいないが、参加しないと何を書かれ、どんな事実を黙殺されるかわからないという面もあるので、参加をやめる必要は感じない。--Nikolaus 2008年3月22日 (土) 02:45 (UTC)返信

>ウィキペディアに関する疑問を堂々と発表されている方々の意見も参考にして、この議論は進める方がいいと思う。[8][9][[10]
批判なり、ルールに賛同できない者は参加すべきでない。啓蒙の場に私的に使うなと言われているのに、参加しないと私見が消されるという理由で編集を続けるのは、理解力がなさすぎて、こういう人に編集をされたくない。内容がとんちんかんになるのは目に見えている。マイノリティー対マジョリティではないのだよ。自己満足対一般論。百科事典は一般論であるべきだ。Wikipediaにはこういった人への対応も一応記載されているが、基本、「放っておく」らしいですね。--222.149.73.6 2008年7月16日 (水) 04:24 (UTC)返信

Wikipedia:中立的な観点によれば「ウィキペディアの中立性についての方針は、論争での全ての観点を公正に考慮することで、記事には特定の立場が正しいと明記したり、暗示したりするべきではない」とあります。
そして「ウィキペディアの作業をする上で私たちが受け入れている解決策は、『人類の知識』は(意義のある、出版されている)全ての異なる観点を含む」ということだそうです。その点から行けば、マーフィ重松氏が書かれた出版物を参考に編集して記事を書くことは妥当ということになるのでしょう。
また「偏りのない記述」については、「最も普及している観点だけを提示するものではありません。また、最も普及している見方を正しい見方として提示するものでもありません。様々な異なる観点の中間に位置する観点からの意見を(中間=中立であるかのように)正しいものとして提示するものでもありません。全ての観点を提示するということは、p 主義者は p が正しいと考えており、一方で q 主義者は q が正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある、というようなの記述をすること」だそうです。
批判にある「一般論」とは「最も普及している観点」のことを指しているのでしょうが、wikipediaでは、それだけを“書くのではない”ということを言及しています。そもそも、「日本社会における混血」の記事において、「最も普及している観点」というものがあるのか事態疑問ですが。
もし情報を多く持っている特定の個人が記事を主に編集したからといって、それをもって「私見」とするのなら、それは誤っているのではないでしょうか。マーフィ重松氏の著作物をもとにすれば、誰が書いても同じようなものになると思います。また、もし現在の記述内容に誤りがあれば、マーフィ重松氏の著作もしくは、同類のテーマについて書かれている著作物なり新聞記事を提示して下さい。それによって、誰もが納得できる記事の修正が出来ると思います。--Nikolaus 2008年7月20日 (日) 13:46 (UTC)返信
「中立的な観点に基づく疑問」について、発案者の反論が随分ないため、この点は表示から削除させて頂きます。--Nikolaus 2010年7月19日 (月) 10:28 (UTC)返信

リバートの理由 編集

本日のリバートの理由を記します。この文は、日本人と日本でない国の人間との間の子供を混血というのが普通だが、大和民族とアイヌの子を混血という場合もある、という意味に取れ、おかしい所はないでしょう。アイヌ民族は人種的にも異なると、少なくともかつては一般的に考えられていましたから、これは不自然ではないと思われます。--Ks 2008年10月25日 (土) 07:39 (UTC)返信

問題の文章、「日本人(大和民族だけとの解釈もある)と外国人(アイヌ人在日韓国人などを含むことがある)の子供」
Ksさん、貴方と私の捉え所が違います。問題点は①日本人は大和民族に限定されない、②従って日本国籍であるアイヌ人を外国人と看做さない、違いますか?、私の編集が言葉足らずだと感じられておられる様ですが、それなら編集対応されるべきでしょう、私はそれを妨害するつもりもないのですが。
次に、その文脈で語ることは、沖縄県民にとって不名誉な烙印ともなっている。
それと上記の要出典範囲を同時に外した理由はなんでしょうか、まさか巻き添えですか。
今回の質問にもなぜリバートが伴うのでしょうか、理解に苦しみます。--スミス16号 2008年10月25日 (土) 09:46 (UTC)返信
個人的には、大和民族系日本人の多くが大和民族としての自覚が無く、単に「日本人」としての括りでしかイメージしないという意味では、アイヌ民族(加えて琉球王国民族も?)側は当事者の主観的には別民族としての自覚があっても、大和民族としての自覚が無い大和民族側から見たら日本人の括りで扱われかねないという意味で、一律に混血の範疇として扱うよりも、別記として補足説明をしたほうがいいかも?とか思います。何世代住んだら日本人かって言う問題(日本の民族問題)もあるし。はっ、もしかしたら小生ったら琉球民族と大和民族のハーフ?(著しく漏電中・極めて個人的な話)
件の括弧書き記述は文中に挿入され、説明不足の上にやや冗長な雑記的雰囲気も醸しているので、やはり別記すべき事柄かと…要出典範囲は妥当な付与だと思うので、これは残しておくほうがいいと思います。--夜飛/ 2008年10月25日 (土) 10:35 (UTC)返信
なのでちょっと成形を試みます。--夜飛/ 2008年10月25日 (土) 10:36 (UTC)返信
夜飛様、手入れありがとうございます。ですので、お返事は必ずしも不要かと思いますが、一部お答えしておきます。
とらえどころについては、文脈がどう読めるか、で判断する、とだけ。
「沖縄県民にとって不名誉」は、まったく理解できません。できればもう少しご説明いただけたら、と思います。
要出展範囲の変更はしていません。取り消しボタン1発しか操作しておりませんので。
以上です。あと、混血はどちらかといえば民族より人種的な問題でしょうが、判断が難しいですね。--Ks 2008年10月25日 (土) 16:28 (UTC)返信
夜飛さんの民族的観点からの追記は面白い(失礼、良い意味です)のですが、「例えばアイヌ人や在日韓国・朝鮮人、あるいは民族としては明確に確定されたものではないが琉球民族など」の部分は削除されることを提案します。これは日本の民族問題でも、在日韓国・朝鮮人は国籍有無で扱いをどうするかが問題になったことや、ご存知の通り琉球民族は確定的でないと言うことで、これらを持出すことには反対します。夜飛さんが琉球民族としてのアイデンティティ持っておられるか興味がありますね。
Ksさん繰り返しになりますが、私は日本人が大和民族に限定されて、アイヌ人を外国人扱いにしている部分が問題だと感じて削除したんですが、貴方にとって外国人と別人種って同義なんですか、そうですか。
Ksさんが私の編集に対して、全体の文の流れやどこをいじっているかも検討せずに、条件反射でリバートを仕掛けていることが良く分かるお答えでした、ありがとう御座います。今回の私の編集はこれですが、貴方はこの様にされてます、今一度リバートのルールと合わせてご確認下さいませ。--スミス16号 2008年10月26日 (日) 05:17 (UTC)返信
(インデント戻し)要出典範囲に関しては、第二次大の敗戦と戦後駐留軍から沖縄基地問題にへと枠を拡大した件の部分に説明を混乱させている気味であるので、要出典範囲の枠をもう少し拡大して「以降、軍事基地と関わる社会問題として」からはじまる基地問題全般に掛けてもいいかも…とか思います。その範囲の扱いを除けば、件の記述は出典を求めることでより記事の性質が補強されると感じ、その意味で要出典は外すべきでもないという判断です。
民族レベルと人種レベルの混血という違いの扱いに関しては、上でも「#定義について」で意見交換されている通り、悩ましい問題だと思います。整理が必要にも思いますが、小生としては漠然と問題視しているだけで切り分けどころの判断がつかず、ちょっと手が出ない所も。
琉球民族とそのアイデンティティに関しては、琉球民族の項にそれを示唆するアンケート調査などあるのですが、小生自身としては「そもそも日本人というアイデンティティがあるかどうかも怪しく『人間』程度でしか自身と他の属性区別を括っていない」ところがあり、元より普段意識しないところです…知識として自身の民族的源流を知っているという程度で。まあ、うちの親父は3歳までしか沖縄にいなかったため生活した記憶すらないのに、歳降る毎に沖縄民族的アイデンティティに傾倒していってましたけど。
で、個人的な話は兎も角として小生が既存括弧書きを別記する形で移動させた民族的アイデンティティ云々の除去に関しては、積極的に反対するところではありません。元より人種レベルと民族レベルが混乱している部分があるため、これを整理する過程で現行の記述はかなり軽量化できそうな気配もありますので、単に除去するよりも民族云々の絡みを整理する作業と平行されたほうが、冗長な括弧書きが挿入されるのを予防する上でもいいように感じます。小生としては、ポッと思いつきの前後の文からはみ出した説明不足で冗長な括弧書き挿入されるよりは、説明を尽くした上で別記したほうがいいと感じたまでで、件の記述は重要視しておりませんので。--夜飛/ 2008年10月26日 (日) 06:07 (UTC)返信
要出典の部分に関しては、投稿者ご本人にも問合せをして見ます、今年7月までの活動が確認できますので。個人的なお話ありがとう御座います、お返しではないですが私の母の家系は薩摩の武士です、そうすると私も微妙な立場になるかもしれませんね(笑)。因みに、アンケート調査を行った林准教授の公演動画を見ることが出来ますので、よろしければどうぞ
う~ん、やっぱり出典があれば一番良いのですが。こちらでも、混血と民族に関する本を探して見ますね。--スミス16号 2008年10月26日 (日) 16:16 (UTC)返信
そもそも混血・純血とはモンゴロイドやネグロイドなど人種の問題であり[11][12]、民族は関係ないのでは?現在の民族も入れた定義や本文(大和民族やらなにやら)はおかしな文に感じますがね。--Dondokken 2008年10月27日 (月) 02:33 (UTC)返信
上で既に論じられています。言語間リンクも不対応ですが、混血=「純血でないもの」で純血が某かのイデオロギーである訳で、「人種」に対して現在言語間リンクされているmixed-raceであったり、ドイツで言う非アーリア人とかが出て来るんでしょう。『大辞泉』の定義が通用するなら百科事典は要らない。[13]大体人種や民族概念自体が近代の産物であるというのはそれぞれの記事やノートで既に論じられています。だから純血でない日本人は日本人の定義の裏返しでしかない。日本国籍人が日本人かという議論もよくありますよね。ノーベル賞絡みの騒動への森巣博の批判とか普通に面白かったんですけど。johncapistrano 2008年10月27日 (月) 03:25 (UTC)返信
ならば、定義はそれぞれあることを記載するべきでしょうね。『大辞泉』のような定義もあれば、民族の違いにより合わさった子供を混血とする論もあると。現在の状態ではよくわからない記載をしてしまっているわけでね。個人的には民族の違いに血が含まれるのか疑問ですけどね。だって現在の韓国人は歴史的な異民族による侵入などによりモンゴルやら中国(南方)との「混血度」が強いという論がありますが、血が関係するならば「韓民族」なんてものはすでにないわけで。--Dondokken 2008年10月27日 (月) 04:11 (UTC)返信


「その文脈で語ることは、沖縄県民にとって不名誉な烙印ともなっている。」

について、上記で「投稿者」として紹介されている者ですが、初投稿では

「その文脈で語ることは、沖縄に住む当事者にとって不名誉な烙印ともなっている」

というニュアンスで書いていたと思います。これは、「基地の落とし子」という捉え方が、「混血児」と名指される当人達、そしてその家族にとって歓迎されていないということを意図して書いたものです。「沖縄県民にとって不名誉な烙印」というのは、私も意味がわかりません。書き換えても良いのではないでしょうか。ちなみに、出典は、「中立性」の議論のなかでも紹介したS・マーフィ重松『アメラジアンの子供たち』が主です。

なお「混血」という定義ですが、「民族」と見る人と、「人種」と見る人と、様々だと思います。ですので、「定義」を突き詰めて行けば、矛盾点ばかりが見えるのではないでしょうか。この項目は非常に難しいテーマだと思います。--Nikolaus 2008年11月13日 (木) 14:01 (UTC)返信

遺伝子関係の論をコメントアウトされた理由が不明ですが、沖縄関係の論とセットで遺伝子関係の記事もコメントアウトされたという理解でよろしいでしょうかね?--Dondokken 2008年11月15日 (土) 06:49 (UTC)返信

遺伝子関係の論は、社会的文脈とは異なっていると考えたためコメントアウトしました。沖縄のことも含めた広い文脈で考えてのことです。あれは生物学的な項目とかに載せる類のものと考えます。--Nikolaus 2008年11月18日 (火) 10:24 (UTC)返信

混血というのは生物学的な面が関連してきますので、私は必要と考えます。しかし当該文章は沖縄の文章を受けて書いたものですので、沖縄の文がコメントアウトされている現在では文脈からもおかしくなるのでセットでコメントアウトしておく現在の状態ならば反対はしません。--Dondokken 2008年11月18日 (火) 11:03 (UTC)返信

コメントアウトされている部分を含めると必要だというのは納得です。セットでコメントアウトということでよろしいと思います。なお、「沖縄県民にとって不名誉」については、修正しておきます。異論がある場合は、またコメント願います。--Nikolaus 2008年11月26日 (水) 13:40 (UTC)返信

ご理解ありがとうございます、修正のほうは異論はございません。また機会があった場合は、よろしくお願いします。--Dondokken 2008年11月27日 (木) 06:19 (UTC)返信

編集合戦をやめ、話合いをしてください 編集

Wjp28yさんとNikolausさんとの間で、2回編集合戦が行われております([14][15]を参照)。いずれもリバーとの際の理由が不明(要約欄に無記入のため)で、このままでは更なる編集合戦を引き起こしかねません。

今回の編集に関して、私は意見を全く持ち合わせないものですが、ご意見をお持ちでありながらも無用に編集合戦を繰り返される上記の編集者2名の方々、およびその他の方々で話合いをして頂きたく、節を立ち上げましたので、何卒よろしくお願いいたします。--Megevand (会話) 2013年9月1日 (日) 22:54 (UTC)返信

  コメント Nikolausさんの編集を改めて見ましたが、同じ名前の節を乱立されています([16][17])。このような編集は適切ではありませんので、お止めになり、節を重複しない形で記述をして頂ければと思います。内容に関しては、私は関知いたしません。--Megevand (会話) 2013年9月1日 (日) 23:13 (UTC)返信
  謝罪 Wjp28yさん、上記の編集をちゃんと確認せずに意見を申し上げましたことを、まずはお許しください。今から思えば、節構成を乱されているNikolausさんの編集はリバートの対象と成らざるを得ないですが、おそらくNikolausさん自身はお気づきになっていないのではないかと思いますので、要約欄なり利用者ページなどでご注意さしあげるべきだったと思います。--Megevand (会話) 2013年9月1日 (日) 23:23 (UTC)返信
編集が重複した理由は、リンク切れサイトの消去と新たなサイトの追加、要求のあった「世界的観点からの記述」に近づけるため、英語版Wikipediaとのリンクを行う際、リンクのミスがあったため複数回編集してしまいました。次回以降は一回で済むようにします。--Nikolaus 2013年9月2日 (月) 00:16 (UTC)
編集合戦が起きてしまうような意見が割れている状態で、このまま適当な回答を書いていることがまず問題。どこから引用しているのか分らないような個人の勝手な解釈が多すぎて、ただの感想文になっている所が多すぎる。しかもその感想文がヤフー知恵袋などに引用されてしまい2次被害が広まりすぎている。モデレーターの人がいたら、この差別問題を含む微妙な話題での悪影響を考慮した編集をしてほしい。

--以上の署名のないコメントは、2402:6b00:340d:4700:4cfe:e37:43c7:e1fa会話/Whois)さんが 2015年12月8日 (火) 04:06 (UTC) に投稿したものです。返信

人間の「混血」と生物一般の「交雑」を分離する必要性 編集

すでに何人かの方が指摘されているように、人間の「混血」と生物一般の「交雑」に関する記事を分離するべきだと思います。「混血」(ハーフ)の問題を論じる記述の直後に、家畜の交雑に関する記述が続くのは、ハーフの人々に対して侮蔑的な印象を与えかねない恐れがあると思います。例えば英語版の記事を見ても、人間の「混血」の問題はあくまでも社会的な問題として捉えられており、生物学的問題には記事の中で一切触れておりません。この観点に基づいて、生物に関する記述を「混血」の記事から削除し、その主要な部分を「雑種」の記事に移動しました。また同様の理由から、関連項目のリンクから「雑種」という項目は外すべきだと思います。--Vernunft17会話2015年8月14日 (金) 19:39 (UTC)返信

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