ノート:漢文訓読

最新のコメント:9 年前 | トピック:漢文訓読 | 投稿者:114.146.33.190

漢文訓読 編集

俗語を「俗に言う」と同視してスラングという意味合いで一般にとらえられることは、ございますでしょう。また、訓読とは漢字に日本語を意味を捉えて読ませる(日本の学校で教える漢字の訓読みはこの意味)だけでなく、漢文を漢字をそのまま使用して日本語文法で読むことも訓読と申します。辞書的な日本語なので議論の余地は一切ございません。したがって多言語もありえません。東夷、南蛮、西戎(中華思想的命名といえなくもございませんが名詞ですので致し方ございません)でそのような翻訳的手法があっても、これを訓読とすると間違いになってしまいます。--HASIDATE会話2013年10月31日 (木) 12:21 (UTC)返信

ええと、つまり何を仰りたかったのでしょうか。--114.146.33.190 2014年8月11日 (月) 23:04 (UTC)返信

訓読 編集

雨森芳州によれば「朝鮮の人たちは子供でも漢文を「常の言葉」で読みならわしている」と考えていたようでございます。はたしてその様な朝鮮の人たちが「訓読的朝鮮語解釈」をしていたのでしょうか?そもそも、申維翰(享保4年の通信使製述官)も漢字かな交じり文について否定的評価をしているようでございます。どうにも李朝の文化人の言動からは、訓読的な方法論がすくなくとも朝鮮で奨励されたとは考えにくいのでございますが…。--HASIDATE会話2013年10月31日 (木) 12:24 (UTC)返信

出典の文章を確認していませんので現在の文章でも反対できませんが、出典付きで示されている朝鮮の事例というのは李朝期ではなく新羅等の事例ではありますまいか。また、訓民正音の文章中では朝鮮語を「俗語」と漢文で著した部分があります。日本語の一般的な辞書ではスラングとしての用法が中心となっていますし、未だしっくりはきておりません。朝鮮の事例が考えにくいのであれば、却って「俗語」でなく「日本語」とした方がよいかもしれませんし、いわゆる漢文文法に合致しない周辺諸言語全般を指したいのであれば「他言語」でもよいようにも思います。--ろう(Law soma) 2013年11月1日 (金) 07:10 (UTC)返信
>李朝期ではなく新羅等の事例。六朝時代以降と金文京は推察しているようでございます。但し金文京も日本の「訓読」と、仏教経典の漢文を翻訳するための技法としての「訓読」は同一視しているようには見えません。
訓民正音(朝鮮語対応の文字体系という意味の方)は世宗の時代「漢字が韓国語と構造が異なる中国語表記のための文字体系であるために、多くの国民が学び、使うことができない(韓国文化財庁ホームページより引用)[1](但し漢字というのは漢文のことか?)」ことから作られたものでございます(どうやら雨森芳州は思い違いをしていたようでございます)。ハングルができたのが訓民正音以降ですから、そもそもそれ以前に「(日本の)訓読」の形をなしたものは朝鮮にはございません。
>訓民正音の文章中では朝鮮語を「俗語」と漢文で著したととしても、朝鮮語と日本語は違いますし、ここでの訓読とは関係ございません。但し俗語には、自国語、口語、方言、あるいはスラングなど様々な意味があることから避けることが正しい判断かもしれません。わたくしが俗語と書いたのではございませんが、訳文筌蹄の題言の「教ふるに俗語を以てし、訳するにこの方の俚語を以てし」が出典かもしれません。
ところで、訓読は日本独自のものではないでしょうか?吏読口訣も返り点などの技法はございませんし日本の訓読とはそもそも違うものでしょう。したがいまして、訓民正音以前には日本の様に読み下し文と同様の訓読は韓国ではなかったわけでございます。そもそも漢文訓読自体が、漢字かな混じりの日本独自のものに依存しておりまして、平安時代以降江戸時代現代に至るまで文教の根幹として存在する以上、その根源や共通性はともかく「日本独自」との通説的見解を覆すには至っておりません。
結論といたしまして、漢文訓読は通来の古典の授業での「訓読」、漢文の読解技法として金文京が定義する「漢文文化圏」(漢字文化圏ではない)の「訓読」について書くのは混同でありまして、俗語を多言語や日本語と書くことには反対でございます。ここでの漢文訓読は漢字かな混じりの日本に普及した漢文の訓読についての記事にするべきでございましょう。
問題の発端は記事の内容をみることすらなく「漢文文化圏」的注釈を冒頭部にいれたことでございましょう。--HASIDATE会話) 2013年11月3日 (日) 03:39 (UTC)(一部加筆いたしました)--HASIDATE会話2013年11月3日 (日) 10:03 (UTC)返信
やっとしっくりきました。HASIDATEさんの「訓読」に対する認識が私と異なっている訳ではないのですね。HASIDATEさんの編集を拝見する限り、あくまで「『漢文文化圏』的注釈」を入れたKzhrさんのこの編集の扱いに関する意見の違いに過ぎないのですね。
本記事はKzhrさんの上記編集以前は、ずっと「日本に普及した漢文の訓読についての記事」でした。私は未だにその認識です。しかしKzhrさんの編集により追加された文章は、出典もあり、関係もあり、消すには惜しいものです。消すに消せない状況で「日本に普及した漢文の訓読についての記事」と整合性を取るために無理に「俗語を多言語や日本語と」修正してきました。この文章が冒頭部でなく記事後段にあるのでしたら、冒頭の「俗語」は「日本語」でよいと思います。--ろう(Law soma) 2013年11月5日 (火) 01:55 (UTC)返信
「医古文の基礎」(劉 振民編)がわたくしの種本でございまして、わたくしはこれが結構気に入っております。漢文の読み方や解釈は各藩で読み方も違ったそうでございます。なお、金文京(呼び捨てにできる方ではございませんが…)の漢文文化圏における仏教の聖典の伝授として「訓読」が新羅・高句麗だけでなく契丹や西域や案南でも行われたと説いてございます。こちらも大変興味深い研究でございますが、通説的見解とまでは未だ至っていないようでございます。--HASIDATE会話2013年11月5日 (火) 17:20 (UTC)返信
HASIDATEさんが、Kzhrさんの上記編集以前の状態(日本に普及した漢文の訓読についての記事)に反対でないのでしたら、「『漢文文化圏』的注釈」を本文下部に持って行った上で冒頭部はKzhrさんの上記編集以前に戻します。どうでしょう? --ろう(Law soma) 2013年11月6日 (水) 00:44 (UTC)返信
この問題は奥が深うございますね。いろいろなアプローチがありそうでございます。安井息軒とその一門の訓読法とその後の華語の知識を加味した訓読は明治の訓読として、また徂徠の「訓譯筌蹄」などは江戸期のよい資料でございましょう。ただ平安鎌倉時代の和文のごとき漢文や、文章語として日本の公用語であるとの考え方(公文書は漢文でも日本語)もございまして、わたくしには俗語を日本語と明確にすることには躊躇がございますが、明言をさけるのは悪くないかと存じます。冒頭部はKzhrさまの上記編集以前に戻せば問題はないように思えます。ご提案に賛成いたします。--HASIDATE会話2013年11月6日 (水) 16:06 (UTC)返信

(インデント戻します)HASIDATEさんの賛成以降、反対者が4週間でなかったため、上記合意に基づき本文を編集しました。--ろう(Law soma) 2013年12月4日 (水) 03:09 (UTC)返信

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