ノート:石井一郎

最新のコメント:14 年前 | トピック:内容の簡素化について | 投稿者:豊後灘

最後の収監先 編集

「昭和47年(1972年)1月19日、大分地裁にて懲役4年の判決を受け、福岡刑務所に収監された」と書かれてありましたが、「大分の歴史と自然 大分ヤクザの系譜」には、「石井組長は懲役4年の刑で札幌刑務所に服役したが、服役半ばの48年4月26日に病死」と書かれてありましたので、記述を変更しました。--竜造寺和英 2007年1月27日 (土) 07:40 (UTC)返信

無題2 編集

「復員後、地元田川市にて豊洲炭鉱に勤務するも、生まれ持ったカリスマ性を発揮し、炭鉱夫を集め「人寄せ」を始めた」と書かれてありますが、「復員後、地元田川市にて豊洲炭鉱に勤務した。炭鉱夫を集め、「人寄せ」を始めた」と変更しました。また、「持ち前の度胸で頭角を表し、昭和28年(1953年)12月石井組を結成した」と書かれてありますが、「昭和28年(1953年)12月石井組を結成した」と変更しました。--竜造寺和英 2007年2月2日 (金) 21:04 (UTC)返信

無題3 編集

「吉森一家」と書かれてありましたが、「柳川組の戦闘」(飯干晃一著・角川文庫)のp.97には、「吉富組」と書かれていますので、「吉富組」に改めました。--竜造寺和英 2007年2月4日 (日) 08:06 (UTC)返信

無題4 編集

杉山真大さんへ。「本拠は別府市から大分市泉町に移された」が註に移っていますが、これを本文に記載すると何かまずいのでしょうか?これは、「上記の文章を本文に入れろ」と主張しているわけではありませんので、ご容赦ください。--竜造寺和英 2007年2月12日 (月) 20:53 (UTC)返信

小西兄弟 編集

「実弟が三代目山口組組長田岡一雄舎弟で小西一家総長・小西音松で、」と書かれてありましたが、「柳川組の戦闘」(飯干晃一著・角川文庫)のp.190には、「小西音松の実弟が小西勝豊で、彼こそ終戦後、別府航路の関西汽船内で大胆にも賭場をひらき、のちに別府に上陸して、石井組組長石井一郎と手を結んだ男で、山口組のなかでは小西兄弟として有名であった」と書かれています。「実兄が小西一家総長・小西音松(三代目山口組組長田岡一雄舎弟)で、」と修正しました。--竜造寺和英 2007年2月14日 (水) 02:38 (UTC)返信

無題6 編集

杉山真大さんへ。章のタイトルを「別府抗争以前」と「別府抗争」に書き換えられていますが、「大分の歴史と自然 大分ヤクザの系譜」では別府抗争(いわゆる、別府暴力事件)を石井組と井田組の抗争と定義されています。タイトルを別府抗争で区切ると、石井組と大長組の抗争を「別府抗争」の章に入れられません。この部分を修正しています。なお、Wikipedia:検証可能性には、「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります」とありますので、加筆修正を行う際には、是非その論拠となる検証可能な出典の明示をお願い致します。検証可能な出典の明示はなくとも、少なくとも杉山真大さんから修正する理由の提示をお願いします。でないと、杉山直大さんの修正意図がわからない部分が出てきます。--竜造寺和英 2007年2月14日 (水) 19:14 (UTC)返信

無題7 編集

杉山真大さんへ。「両者の対立は、昭和45年(1970年)9月19日、土谷組幹部土谷誠が、大長健一を暗殺したことにより終結する 」を註に入れたのは、どうしてでしょうか?修正理由の明示がありませんので、本文に戻しました。出典は、「大分の歴史と自然 大分ヤクザの系譜」です。--竜造寺和英 2007年2月15日 (木) 15:23 (UTC)返信

無題8 編集

すべて過去に起こった出来事なので、過去形で表記しました。--竜造寺和英 2007年2月15日 (木) 15:39 (UTC)返信

無題9 編集

杉山真大さんから、註へ入れる基準が示されませんでした。本文中に入れておいた方が、より理解しやすくなると思われる部分をすべて註から本文に戻しました。--竜造寺和英 2007年2月20日 (火) 04:56 (UTC)返信

明友会事件 編集

石井一郎氏が明友会事件の抗争終結の仲介人になった話が、「山口組直参以後」の章に入っていました。しかし、石井一郎氏が仲介人になったのは直参になる前ですので、この話を「山口組直参まで」の章に入れました。出典は「柳川組の戦闘」(飯干晃一著・角川文庫)のp.161とP.162です。--竜造寺和英 2007年2月20日 (火) 07:02 (UTC)返信


「事件の抗争終結の仲介人となり、石井一郎の名は全国に知られることとなった」と書かれてありますが、検証可能な出典の明示をお願いします。--竜造寺和英 2007年3月26日 (月) 08:32 (UTC)返信


田中禄春(本名は韓禄春)」と書き換えましたが、検証可能な出典は、飯干晃一『柳川組の戦闘』角川書店<文庫>、1990年、ISBN 4-04-146425-0のP.147です。--竜造寺和英 2007年6月1日 (金) 17:29 (UTC)返信

出典について  編集

「立会人は、小倉市テキヤ村上組村上義一組長(山口組三代目・田岡一雄の舎弟)と、村上組若頭格・長谷川則だった。大長健一は、大長組の金庫番兼代貸格・豊島一広(大長健一の妹婿)を伴って、服役中の大長組幹部・大長定雄(大長健一の弟)を訪ね、人吉市の博徒一家の幹部・宮崎、石井一郎、柳川次郎を舎弟としたことを伝えた。同年、大長定雄が出所した。大長定雄の放免祝いに、石井一郎、柳川次郎、柳川の舎弟・福田留吉が出席し、互いの顔合わせを行った」と加筆しましたが、検証可能な出典は、本堂淳一郎『<兇健>と呼ばれた男』幻冬舎<アウトロー文庫>、2001年、ISBN 4-344-40128-XのP.122~P.125です。--竜造寺和英 2007年6月9日 (土) 22:12 (UTC)返信


「昭和38年(1963年)3月、警察庁は、神戸・山口組、神戸・本多会、大阪・柳川組、熱海・錦政会、東京・松葉会の5団体をを広域暴力団と指定し、25都道府県に実態の把握を命じた」、「昭和39年(1964年)1月、「暴力取締対策要綱」が作られた」、「同年3月26日、警察庁は改めて広域10大暴力団を指定した。10大暴力団は、神戸・山口組、神戸・本多会、大阪・柳川組、熱海錦政会、東京・松葉会、東京・住吉会、東京・日本国粋会、東京・東声会川崎日本義人党、東京・北星会だった」と加筆しましたが、検証可能な出典は、飯干晃一『柳川組の戦闘』角川書店<文庫>、1990年、ISBN 4-04-146425-0のP.221~P.222です。--竜造寺和英 2007年6月10日 (日) 08:44 (UTC)返信


本堂淳一郎『兇健と呼ばれた男』幻冬舎<アウトロー文庫>、2001年、ISBN 4-344-40128-Xを出典として加筆修正しています、ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月12日 (火) 21:55 (UTC)返信


明友会事件に関しては、飯干晃一『柳川組の戦闘』角川書店<文庫>、1990年、ISBN 4-04-146425-0のP.156~P.162を出典として加筆しています。その他の部分は、本堂淳一郎『兇健と呼ばれた男』幻冬舎<アウトロー文庫>、2001年、ISBN 4-344-40128-Xを出典として加筆修正しています、ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月13日 (水) 07:45 (UTC)返信


130.54.130.229さん、おはようございます。理由なく勝手に記事を削除しないでください。Wikipedia:検証可能性では、「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません」とあります。削除することも「ある編集」に相当します。したがって、記事を元に戻しました。削除されるのならば、削除部分が誤っていることをご明示ください。--竜造寺和英 2007年7月8日 (日) 23:11 (UTC)返信


125.195.29.166さん、こんにちは。理由なく勝手に記事を削除しないでください。Wikipedia:検証可能性では、「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません」とあります。削除することも「ある編集」に相当します。したがって、記事を元に戻しました。削除されるのならば、削除部分が誤っていることをご明示ください。--Daytrader 2007年7月26日 (木) 22:09 (UTC)返信

大下英治氏の著作は参考文献になりうるか? 編集

例えば、大下英治『広島やくざ戦争 覇狼 上巻』桃園書房、1987年、ISBN 4-8078-0092-2のP.6をご覧ください。「山田久」が「山岡久」になっています。また、同書のP.36をご覧ください。「共政会」が「共雄会」と書かれています。つまり、大下英治氏の著作には、わざと本名や団体名を変えて書かれているものが多々あるのです。さらに書けば、大下英治『最後の総会屋』徳間書店<徳間文庫>、1995年、ISBN 4-1989-0323-9をご覧ください。「小川薫」が「小原薫」と書かれています。従って、大下英治氏のノンフィクションを参考文献にするのは、問題があります。何故ならば、大下英治氏は、わざと人物名や団体名を変えて書いているからです。この点は割り引いて、参考文献にしてください。つまり、人物名や団体名は故意に変更されているものだという前提に立ってください。--獅子の鬣 2008年10月15日 (水) 15:05 (UTC)返信

内容の簡素化について 編集

この記事はとても読みにくくなっています。また、無駄に長い記述が多く感じます。そこで、必要ないと考えられる記述を一旦大量削除し、簡素化を図りたいと考えています。

異論があればお願いします。--豊後灘 2009年11月11日 (水) 15:18 (UTC)返信

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