ノート:菊池平八郎

最新のコメント:2 か月前 | トピック:改名提案 | 投稿者:紫巻紙

改名提案 編集

  • 菊池重固への改名を提案します。通称の平八郎は不要です。--紫巻紙会話2024年1月16日 (火) 10:13 (UTC)返信
  •   コメント菊池平八郎を新たに作って、歴代をまとめても良いとは思いましたが、改名と同時に重固を一番上に持ってきて、前後入れ替えを考えています。--紫巻紙会話2024年1月16日 (火) 10:18 (UTC)返信
    結局、菊池平八郎重固にした理由ですが、
    1、常磐共有墓地の墓では菊池平八郎重固です。インターネットでの出典は見つけていませんが。
    2、平八郎は家督を継いで当主となった時の「名」で単純な通称と異なります。ほか、元服~当主の名、存命なら、隠居後の名通称もありえます。
    3、彰考館関係では菊池南洲です。
    4、時系列。
    5、昭武に随行した平八郎の字と諱を示す確実な資料があればいいのですが。--仕事中の会話2024年1月16日 (火) 14:30 (UTC)返信
    改めて、改名に反対します。ウィキペディアの記事としてですが、
    6、記事のソースに使っている国立国会図書館デジタルコレクションログインなしで閲覧可で、検索すると、菊池平八郎重固について、菊池重固より菊池平八郎、菊池平八郎重固の方が多いのです。両方とも大した数ではありませんが。重固だけだと、出典の明記上というほどでもありませんが、参照上困る人も出るでしょう。ほか、菊池南洲については重複情報を一つにすると、3~4件くらい。
    7、記事タイトルから平八郎を取ると、特に幕末の平八郎用に曖昧さ回避のための記事が必要になります。
    8、タイトルのレベルを変えるというのも考えましたが、そうすると、幕末の平八郎の弟が小さくなりすぎるかな?とは思ってやめました。
    9、幕末の平八郎は、ほとんどの資料で平八郎です。慎七郎も維新後は慎七郎で、墓は菊池慎七郎重徳ですね。
    10、したがって、平八郎を取ると、記事内に菊池重~のタイトルが並ぶことになります。
    リダイレクトでしたら、干渉しません。--仕事中の会話2024年1月17日 (水) 10:03 (UTC)返信
    訂正です。数え方にもよりますが、6、の条件では菊池南洲の方が圧倒的に多いようです。失礼しました。すると、菊池重固より菊池南洲への改名の方が出典の関係では整合性があることになります。リダイレクトで可とは思いますが。--仕事中の会話2024年1月17日 (水) 10:40 (UTC)返信
    •   コメントWikipedia:コメント依頼を提出し、どこに落ち着くべきか図ることにしました。菊池南洲なのか菊池重固なのか。いずれにせよ平八郎付きではよくありません。どちらかにして、どちらかをリダイレクト。そして元の題もリダイレクトにしたいと思います。赤穂浪士が全員、通称ではなく本名で記事になっており、号ではなく本名ではない名前で記事になっているのはそれより後に集中しているように思います。同じ平八郎の大塩平八郎高杉晋作などがそうですが、彼らは別格に思えるので別に扱うべきかと思います。もし必要なら、新たに議論すべきかとも思いますので、今は通称付きで記事になった当該人物にのみご意見お待ちしています。--紫巻紙会話2024年1月19日 (金) 09:19 (UTC)返信
      11、検討の材料として「良くない」理由の明示が必要かと思います。
      12、江戸時代の武士については、名、字、諱、とその組み合わせといろいろあるはずです。
      13、菊池平八郎の場合は、平八郎を削除すると、それぞれの平八郎ごとに記事をつくって、曖昧さ回避やリダイレクトが必要になり煩雑化を招くと思います。
      14、地元、常磐共有墓地の案内標柱では、南洲菊池平八郎重固だったと思います。自分の記憶ですが。
      15、無用のリンクは避けたいところですが、水戸藩では、住谷寅之介戸田忠太夫、菊池慎七郎の旧名の菊池剛蔵に改名した海後磋磯之介等、記事があって、地元で知られている名前のはずです。もちろん、伯民さんのように当てはまらない例も同じくらいあると思いますが。--仕事中の会話2024年1月20日 (土) 12:16 (UTC)返信
      兼備忘録の追加、失礼します。
      16、(引用予定の)回天詩史評注には菊池平八郎で載っています。藤田東湖とは切り離せませんし。
      17、記事としては藤田幽谷藤田東湖藤田小四郎があるようです。対象により、知名度・文献(出典)・記事の見やすさは違いますが、菊池平八郎の場合は平八郎を抜かすべきではないと思います。
      18、たぶん、現状では菊池平八郎重固のみの記事では、分量が少なすぎると思います。--仕事中の会話2024年1月20日 (土) 14:23 (UTC)返信
      19、南汀、南洲を題あるいは項目にした場合、号が知られていない、重旋、重元をどうするかが問題ですね。諱も知名度が低いと思います。松平春嶽のような例外もありますが、一般に(家督をついだ)大名以上は諱、文人は号が多いと思います。
      20、平八郎造酒蔵、特に平八郎は単なる通称ではなく、家系を示す襲名された名でもあります。変わった所では、山村新治郎の例もあるくらいです。
      21、通称付きで記事になった人物では、水戸藩士限定でも、藤田小四郎のほか、海保帆平など、通称付きどころか通称のみの記事があるはずです。検索すれば相当数あるはずですが、カンニングみたいなのでやめて、記憶限定にしてます。--仕事中の会話2024年1月22日 (月) 08:51 (UTC)返信
  •   コメント依頼を見てきました。菊池平八郎という記事で歴代に触れる方向で良いかと思うのですが、重固を一番上に持ってくる必要はあるのでしょうか。正直あまり詳しい分野ではないので彼が菊池平八郎を代表する人物だから一番上に持ってこようと言ったことなのだろうとは思いますが、それなら重元が一番上というのもあり得るかもしれません。このページの記述では重固を一番上に持ってくつ必要性を感じませんでした。
  • なので、菊池平八郎という記事名にして、歴代菊池平八郎について触れる記事ということにした方が良いと思います。また、重固の優位性についても感じなかったので、読みやすく時系列順の説明で良いかと思います。--一文会話2024年1月22日 (月) 08:37 (UTC)返信
    記事を立ち上げた者です。概ね、ご理解いただいたようで、ありがとうございます。投稿時刻が前後してしまいました。
    正直、記事名を菊池平八郎にするかは、迷ったところです。重固にした最大の(大袈裟)理由は、フランスに行った平八郎だけの記事に見えてしまわないか、と思ったからです。プラス、その平八郎が一番下に来て、冒頭がわかりにくくなりそうだったのと、ご指摘の通り、重固の知名度です。
    菊池平八郎に、改名すると、冒頭は彰考館総裁を勤めた~のほか、~の昭武に随行した菊池平八郎等、(以下同文)でしょうか?
    菊池平八郎に改名は可、平八郎をはずすのは不可と思います。--仕事中の会話2024年1月22日 (月) 09:07 (UTC)返信
  •   コメント 改名提案から参りました。一文さんに賛同し、記事名を菊池平八郎として歴代を説明するという形を支持します。
    • 記事名の付け方(WP:NC)を振り返ると、1.認知度が高い、2.見つけやすい、3.曖昧でない、4.簡潔、5.首尾一貫している、の5つを満たし、これらを考慮したうえで基本的には「正式名称を使用」するとされています。「菊池平八郎重固」ですと4に抵触しそうですが、「菊池重固」にすると1、2、5が怪しくなると思います。
紫巻紙さんが挙げられた赤穂浪士(堀部安兵衛:堀部武庸)のほか、小松帯刀:小松清廉などのように、通称で知られる武士の記事名で諱を採用しがちな傾向がずいぶん見られますが、この「正式名称」を用いることを優先した結果でしょうか。Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)プロジェクト:日本史を確認しましたが、「諱を優先する」という明文化された規定は有りそうで無いのです(この点については吾妻四郎助光のGA選考の際にも少し話題に上がりました)。本来ならば何よりも最初の5項目を優先すべきであって、その人の名として通称のほうが有名である以上、諱に拘泥する理由はありません。別格の知名度をもつ人だけ通称でもよいみたいな話もないと思います。
  • そしてもちろん、記事の名前が内容と齟齬を起こすことは好ましくありません。本記事は重固を含め4人の平八郎をリストアップした列伝ですから、記事の主題は重固というより、名跡・平八郎でしょう。重固がメインになっていて特段分量が多い、というわけでもありません。ですので「菊池平八郎重固」「菊池重固」や「菊池南洲」ですと、ちょっと内容と違います。
フランスに行った平八郎だけの記事に見えないか、という懸念はごもっともですが(『青天を衝け』で少し人気が出ましたしね)、記事を見さえすれば「このうちの1人なのだな」とわかりますから、大丈夫でしょう。例として茶屋四郎次郎も3代まとめて書いており、同じことだと思います。
上の2点に基づくと、記事名は菊池平八郎とし、菊池重固などはそれぞれの節へのリダイレクトにすべきだと考えます。そして導入部は「菊池 平八郎は、江戸時代の水戸学者・水戸藩家臣の名跡。」のような形ではじめ、おっしゃるとおり「彰考館総裁を務めた重固、徳川昭武の渡仏に随行した平八郎らが知られる」みたいに書きたいところです。--Uraniwa会話2024年1月25日 (木) 03:54 (UTC)返信
よろしいかと思います。冒頭に名跡を入れるのは良い案ですね。
>記事を見さえすれば「このうちの1人なのだな」とわかりますから、大丈夫でしょう。
で、安心しました。
正直、書く前は重固の分量がもう少し多いかと思ってました。誤算です。--仕事中の会話2024年1月27日 (土) 15:13 (UTC)返信

  コメント議論を拝見しまして、ここは作成者様自らが記事名を「菊池平八郎」に移動し、「菊池平八郎重固」他通称付きの人物は通称抜きで列記、「菊池重固」他を各項目へ順次リダイレクト作成するのが良いという私見ですが、如何でしょうか?異論なければ作成者様にお任せするのが一番かと思います。--紫巻紙会話2024年1月31日 (水) 10:33 (UTC)返信

  •   賛成 記事中の見出しでは「通称抜きで列記」する点を含め、賛成します。重元の記述についてちょっと難しくなりそうなところですが、作成者様に一任いたします。--Uraniwa会話2024年2月1日 (木) 05:07 (UTC)返信
いろいろ検討ありがとうございます。
まずは、菊池平八郎に改題から、進めていこうかと思います。
赤穂事件の人物一覧では浪士一覧では姓名諱になっていますが、南洲、南汀は号を目立たせる必要がありますね。
改題とは直接関係ありませんが、洋行した菊池平八郎が重元との出典が得られないのも痛い所です。--仕事中の会話2024年2月1日 (木) 06:20 (UTC)返信
追加失礼します。改名は提起から一か月は待ちたいと思います。--仕事中の会話2024年2月1日 (木) 06:24 (UTC)返信
一か月を経ましたので「菊池平八郎」に改名しました。
「諱を優先する」という明文化された規定は有りそうで無い:興味深い情報ありがとうございます。--仕事中の会話2024年2月18日 (日) 07:09 (UTC)返信
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