ノート:豊臣秀勝

最新のコメント:12 年前 | トピック:遺跡相続者について | 投稿者:Yasumi

秀吉長男とされる秀勝のページ移動について 編集

豊臣秀吉の長男とされる秀勝(石松丸、以後秀勝に統一)は、羽柴秀勝 (秀吉の長男)へ移動しました。 私の独断ではありますが、理由は「秀勝が生誕・死没した時、秀吉は豊臣姓を下賜されていなかったから」です。 秀勝の出生は1570年で死没は1576年、秀吉が豊臣姓を賜ったのは1585年です。つまり、豊臣を称していない秀勝を豊臣とするのはおかしいと思ったので、別ページにしました。また、羽柴秀勝織田信長の四男のページになっている上、信長の四男の秀勝の方が知名度が高いことが挙げられます。 この判断に対して反対意見がある方は、お手数ですがマイ・トークまでお願いします。--Kouko0515 2007年1月30日 (火) 09:24 (UTC)返信

羽柴秀勝(石松丸)への分割について 編集

前回、記事の一部を勝手に分割したことに不備がありました。申し訳ありませんでした。

今回は、Wikipedia:記事の分割と統合を参考にして分割を行いたいと思います。一定の意見が集まり次第、投票を行いたいと思っております。それでは意見をよろしくお願いします。Kouko0515 2007年2月14日 (水) 10:34 (UTC)返信

遺跡相続者について 編集

現在「秀吉の正室高台院の甥豊臣秀俊(小早川秀秋)が遺跡を相続した。」となっていますが、遺跡相続者は織田秀信ではないんでしょうか?--Tokugawa 2009年12月6日 (日) 09:45 (UTC)返信

九州の役後に豊臣秀勝から没収された丹波亀山を豊臣秀俊(小早川秀秋)が拝領したことが混同されているようです。豊臣秀勝死去時の領土岐阜は織田秀信に与えられ関ヶ原戦役まで領有されているようなので書き換えました。--Tokugawa 2011年6月18日 (土) 03:36 (UTC)返信
そうですね。深く調査しませんでしたが、石高からすると秀信が拝領したのは岐阜を含んではいるものの、旧秀勝領の一部分ではないでしょうか?単に「相続した」とするのは誤解を招く表現かも知れません。--Yasumi 2011年6月19日 (日) 21:23 (UTC)返信
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