ハインリヒ・ブリンガー
中世スイスの宗教改革者
ヨーハン・ハインリヒ・ブリンガー(Johann Heinrich Bullinger、1504年7月18日 - 1575年9月17日)は、スイスの宗教改革者で、フルドリッヒ・ツヴィングリの後継者として、宗教改革で重要な神学者。「契約神学の父」と呼ばれる。
1504年チューリヒ郊外のブレムガルデンで祭司の子として生まれた。12歳の時に、ドイツのエメリヒ[要曖昧さ回避]の共同生活兄弟団の学校に入学し、その後ケルン大学に進みスコラ学を学んだ。独自に教父学や新約聖書の研究を行い、ルターとメランヒトンの著作に触れて、教父の教えと一致することを発見し、1522年ごろルターに近い考えをもった。
1523年からカッペルの修道院付属学校で教師をし、修道院にプロテスタントの影響を与えた。修道院付属学校在任中に、ツヴィングリに会う。1528年より、ツヴィングリに同伴して、ベルン討論にも参加した。
1529年修道院付属学校の教師を止め、ブレムガルテンの牧師になり、1531年に亡きツヴィングリの後継者として、チューリヒの大聖堂教会牧師になり、死ぬまで留まり150篇ほどの著作を残した。
参考文献編集
- ロベルト・シュトゥッペリヒ『ドイツ宗教改革史研究』ヨルダン社、1984年
- 『新キリスト教辞典』いのちのことば社、1991年