ハニー・シーイサーン

ハニー・シーイサーンタイ語: ฮันนี่ ศรีอีสาน: Honey Sri-Isan)は、タイモーラム歌手。1986年にイェナウィー・プロモーション(เยนาวี่ โปรโมชั่น)の歌手として業界に入り、1992年2月26日に死去。[2][3][4][5]

ハニー・シーイサーン
ฮันนี่ ศรีอีสาน
生誕 (1971-10-22) 1971年10月22日[1]
出身地 タイ王国の旗 タイ カーラシン県
死没 (1992-02-26) 1992年2月26日(20歳没)
ジャンル モーラム
職業 歌手
活動期間 1986年 - 1992年
レーベル イェナウィー・プロモーション

略歴編集

ハニー・シーイサーン(1971年10月22日 -  1992年2月26日)はタイのモーラム歌手。代表曲に「ベッドに落ちる涙(น้ำตาหล่นบนที่นอน)」、「ウォンピーが持ってるのは愛だけ(วอนพี่มีรักเดียว)」、「カーラシンから来た娘の絶望(สาวกาฬสินธุ์สิ้นหวัง)」がある。

本名はスピン・メーウィチット(สุพิณ เหมวิจิตร)。カーラシン県จังหวัดกาฬสินธุ์)カマラサイ区(อำเภอกมลาไสย)ドンリン地区(ตำบลดงลิง)バーンムェイ(บ้านเมย)に14人きょうだいの末っ子として生まれる。1983年、コックムェイプラチャパッタナ小学校(โรงเรียนเมยประชาพัฒนา)に入学し、6年満了まで学ぶ。1986年、16歳のときに歌手になることを決意し、モーラム歌謡の世界に飛び込む。「モーラムに咲く天才」と呼ばれた。

外見がタイ女優の「”ハニー”・パッソン・ブンヤキヤット(ฮันนี่ ภัสสร บุณยเกียรติ)」に似ていたことに因んで「ハニー」を名乗った。タイの新聞「タイラット紙(มาลัยไทยรัฐ)」によるとハニー・パッソン・ブンヤキヤットは、タイで初めて水着を着た女性だそうだ(この「ハニー」は、英語の蜂蜜ーHoneyーのことで、タイ語の発音は「ハンニー」が近いのだが、彼女が日本語で紹介されるとき、「ハニー」の表記が採られることが多いので、それに倣った)。「シーイサーン」は、「良い東北」くらいの意味である。

デビューしてすぐに有名になり、チンタラー・プーンラープ(จินตหรา พูนลาภ)、アムプン・プータイ(อำพล ภูไท)、マーチャー・ファーイサーン(มาช่า ฟ้าอิสาน)などと並ぶ偉大なモーラム歌手である。

死歿編集

1992年2月26日水曜日04時30分、シーサケート県(จังหวัดศรีสะเกษ)シーサケート郡(อำเภอเมืองศรีสะเกษ)プラングクー区(อำเภอปรางกู่)での公演から帰還する途上、公演開催地から6~7km先のシーサケート県シーサケート郡ノンケウ地区(ตำบลหนองแก้ว)にあるシーサケット=ウボンラーチャターニー道路上で乗車していたピックアップトラックが転倒。脛骨の骨折で即死した。わずか21歳と4ヶ月、4日の生涯だった。

事故現場付近には祠が建てられ、毎年、命日には記念コンサートが開催されている。

作品編集

制作アルバム編集

脚注編集

[脚注の使い方]