ビェルスコ=ビャワ - チェシン線

ビェルスコ=ビャワ - チェシン線(ポーランド語: Linia Kolejowa Bielsko-Biala–Cieszyn)はポーランド共和国シロンスク県ビェルスコ=ビャワチェコ共和国モラヴァスレスコ州チェスキーチェシーンを結ぶ鉄道路線で、皇帝フェルディナント北部鉄道(k.k. privilegierte Kaiser Ferdinands-Nordbahn, KFNB)のモラヴィアシレシア都市間鉄道(Mährisch-Schlesische Städtebahn)として建設された。中間経由地はスコチュフである。

ビェルスコ=ビャワ - チェシン
基本情報
現況 部分廃止
ポーランドの旗 ポーランド
所在地 シロンスク県
起点 ビェルスコ=ビャワ
終点 チェシン
路線記号 190
開業 1888年6月1日
運営者 ポーランド国鉄
路線諸元
路線距離 41 km
営業キロ 16 km(旅客列車)
軌間 1435 mm(標準軌
電化区間 スコチュフ - チェシン
電化方式 3000 V(直流
最高速度 70 km/h
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停車場・施設・接続路線
STR
カトヴィツェ - ズヴァルドニ線
BHF
-0.5 ビェルスコ=ビャワ中央駅
ABZgl
カトヴィツェ - ズヴァルドニ線
ABZgr
ビェルスコ=ビャワ - カルヴァリア・ゼブジドフスカ線
eABZg+r
KRZo
カトヴィツェ - ズヴァルドニ線
eHST
1.5 旧ビェルスコ=ビャワ西駅
eHST
3.4 旧ビェルスコ=ビャワ上駅
eHST
5.3 旧ビェルスコ=ビャワ・アレクサンドルロヴィツェ
WBRÜCKE1
ヴァピエニツァ川
eBHF
7.2 旧ビェルスコ=ビャワ・ヴァピエニツァ
eBHF
10.8 旧ヤヴォジェ=ヤシエニツァ
eHST
12.5 旧ヤシエニツァ(ビェルスコ近郊)
eHST
14.8 旧グロジェツ・シロンスク
eBHF
18.7 旧ポグジェ
ABZg+r
パヴウォヴィツェ - スコチュフ線
hKRZWae
ヴィスワ川
SBRÜCKE
国道DK81
BHF
22.2 スコチュフ
SBRÜCKE
自動車専用道路S1
HST
24.8 スコチュフ・ブラドニツェ
BHF
28.4 ゴレシュフ
ABZgl
ゴレシュフ - ヴィスワ線
HST
30.0 ゴレシュフ上駅
HST
32.6 バザノヴィツェ
eHST
36.3 旧チェシン・ムニシュトヴォ
HST
37.6 チェシン大学駅
BHF
38.6 チェシン
ABZgr
ゼブジドヴィツェ - チェシン線
ABZg+r
チェシン三角線
GRENZE
40.181 ポーランド / チェコ
ABZg+r
ボフミーン - チャッツァ線
BHF
41.3 チェスキー・チェシーン
ABZgl
FM-T線B-C線

歴史

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皇帝フェルディナント北部鉄道と国有化

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1886年1月1日付きにKFNBはビーリッツ(現在ビェルスコ=ビャワ) - ビストリッツ(現在ビスジツェ・ポド・ホスティーネム)間の鉄道建設および運営許可を獲得した[1]。この区間の建設はKFNBが以前にも計画したが、いくつかの都市の反対で実現できなかった。鉄道建設にはロシアに対する防衛など軍事戦略の目的もあった。ビーリッツ - ビストリッツ間は分離前のテシェン市を中間経由地として1888年6月1日に開通された[2]。KFNBはモラヴィアシレシア都市間鉄道を直接に運営した。

1906年にKFNBの国有化により、オーストリア帝国鉄道(k.k. Staatsbahnen, kkStB)はこの路線の一部区間を引き受けた[3]。1907年1月1日より旧KFNB区間は帝国鉄道により直接運営された。

ポーランド国鉄

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第一次世界大戦の終戦後、オーストリア=ハンガリー帝国の解体とポーランド第二共和国の樹立によりこの路線が属する地域はポーランドに帰属した。1926年にポーランド国鉄(Polskie Koleje Państwowe, PKP)が創設されて、その以降この路線を運営した。

ナチスドイツポーランド侵攻第二次世界大戦の勃発以降、カトヴィツェ地域が上シュレージエン大管区に編入されて、この路線はドイツ国営鉄道オッペルン管理局に属することとなった。終戦後、PKPはこの路線を再び引き受けた。

1970年代以降、3000 V直流システムの電化工事が本格的に進行された。1974年12月23日にスコチュフ - ゴレシュフ間の電気運転が始まった。1982年12月29日にビェルスコ=ビャワ - スコチュフ間が、1983年5月28日にゴレシュフ - チェシン間がそれぞれ電化された。1994年に電化区間は国境線を経てチェスキーチェシーン駅まで拡張された[4]

21世紀

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2009年1月10日にPKPはビェルスコ=ビャワ - スコチュフ間旅客列車系統を廃止した。同年12月12日にゴレシュフ - チェシン間列車運行が全面中止された。2014年に電力供給がゴレシュフ - チェシン間の不必要な電車線に中断した。

2020年以降この路線の全般的な改修工事が旅客列車の運行再開と運行速度向上の目的で実行された。総費用はおよそ4億6000万ズウォティで、欧州連合の地域発展援助プログラムで最大85%の基金が調達された[5]。2022年9月4日にゴレシュフ - チェシン間の旅客運送は再開された[6]

運行形態

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  • S 62: スコチュフ - ブラドニツェ - ゴレシュフ - ゴレシュフ上駅 - バザノヴィツェ - チェシン大学駅 - チェシン。ゴレシュフ駅でS6列車と分割・併結する場合もある[7]

参考文献

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外部リンク

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脚注・出典

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  1. ^ (ドイツ語) Reichsgesetzblatt: 7. Concessionsurkunde vom 1. Jänner 1886. Wien: kaiserlich-königliche Hof- und Staatsdruckerei. (1886). pp. 25~67. https://alex.onb.ac.at/cgi-content/alex?aid=rgb&datum=1886&page=53&size=45 
  2. ^ I. Konta (1898), Band 1.2, p. 368
  3. ^ Viktor von Röll, ed (1914) (ドイツ語). Enzyklopädie des Eisenbahnwesens: Kaiser-Ferdinands-Nordbahn. Band 6 (2nd ed.). Berlin / Wien: Urban & Scharzenberg. pp. 314~316. http://www.zeno.org/Roell-1912/K/roell-1912--061-0314 
  4. ^ Wznowienie połączeń Cieszyn - Czeski Cieszyn” (ポーランド語). Koleje Śląska Cieszyńskiego (1995年2月28日). 2024年2月5日閲覧。
  5. ^ Linie do Cieszyna i Wisły do remontu. Umowy z wykonawcami” (ポーランド語). Rynek Kolejowy. 2024年2月5日閲覧。
  6. ^ Błażej Forjasz. “Ruszamy ze Skoczowa do Cieszyna w dniu 4 września 2022 roku!” (ポーランド語). Koleje Śląska Cieszyńskiego. 2024年2月5日閲覧。
  7. ^ Rozkład jazdy obowiązujący od 10 grudnia 2023 r. do 09 marca 2024 r.” (ポーランド語). Koleje Śląnskie. 2024年2月5日閲覧。