ビロホロードカ (キエフ州)

ビロホロードカウクライナ語: Білогородка)はウクライナキエフ州キエフ=スヴァトーシノ地区(en)の村落(Село / セロ)である[1]。かつてはベルゴロドと呼ばれていた。

ビロホロードカ
Білогородка
座標 : 北緯50度24分00秒 東経30度13分00秒 / 北緯50.40000度 東経30.21667度 / 50.40000; 30.21667
歴史
建設 980年
旧名 ベルゴロド
行政
 ウクライナ
  キエフ州の旗 キエフ州
 地区 キエフ=スヴァトーシノ地区
 村落 ビロホロードカ
人口
人口 (2006年現在)
  村落域 12,564人
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)
ナンバープレート AI / 10
位置図
ビロホロードカ (キエフ州)の位置(ウクライナ内)
ビロホロードカ (キエフ州)
ビロホロードカ (キエフ州) (ウクライナ)
公式ウェブサイト : http://www.belogorodka.info/

歴史編集

古代・中世編集

現在のビロホロードカ地域には古代から人々が居住していた。晩期トリポリエ文化の集落(紀元前3000年)、青銅器時代の埋葬地(紀元前2000-1000年)、ザルビンツィ文化の食器(紀元前2世紀-2世紀)が発見されている。7世紀から9世紀にはスラヴ人の居住地があった。

991年ウラジーミル1世によって、ベルゴロド(ビロホロードカの当時の名称。)の増築・移住が行われた[2]。ベルゴロドはウラジーミルの愛した土地であり[2]、また300人の妾が置かれていた[3]。従士団(ドルジーナ)の駐屯地であり[4]、著名なウラジーミルの饗宴(ru)が行われた地でもあった。997年にはペチェネグ族の包囲を受けた[5]

12世紀からキエフ公国の一部となった。通常、キエフ大公の親族が分与を受けるか(ベルゴロド公国)、あるいは直轄地として統治されていた。1159年1161年イジャスラフ3世ポロヴェツ族の連合軍に包囲され、1171年にはアンドレイ・ボゴリュブスキー(ru)の軍に包囲された。(なお3回とも、スモレンスク公国の、リューリク朝の家系に連なる者[注 1]が防衛を指揮し、包囲戦に勝利している。)

ベルゴロドは極めて繁栄していたが、1240年モンゴルのルーシ侵攻の際に完全に破壊された。幾らかの時期を経て街は復興し、1360年代にリトアニア大公国の傘下に入った。ビロホロードカと呼ばれ始めるのはこの時以降のことである。初めはキエフ城(ru)の管轄下に属し、1560年からリトアニア大公の所領となった。

近代・現代編集

ゆかりの著名人編集

  • ヴァシリー・デグテャリョーフ(ru)ソ連邦英雄
  • ミハイル・ムニィシェンコ(ru):ソ連邦英雄

脚注編集

注釈編集

  1. ^ ロスチスラフスモレンスク公1127年 - 1167年)以降、公国消滅までの歴代スモレンスク公は彼の子孫が継いでいた。

出典編集

  1. ^ РЕГІОНИ УКРАЇНИ ТА ЇХ СКЛАД
  2. ^ a b 國本哲男『ロシア原初年代記』135頁
  3. ^ 國本哲男『ロシア原初年代記』93頁
  4. ^ Рыбаков Б. А. называет его «военным лагерем» Рождение Руси.
  5. ^ 國本哲男『ロシア原初年代記』141-143頁

参考文献編集

  • 國本哲男他訳 『ロシア原初年代記』 名古屋大学出版会、1987年。

外部サイト編集