メフメト・フアト・パシャトルコ語: Mehmet Fuat Paşa, 1815年 - 1869年)はオスマン帝国における「タンジマート(恩恵改革)の時代」の政治家外交官

メフメト・フアト・パシャ

人物略歴 編集

タンジマート後期を代表する実務官僚(キャーティプ[1]

オスマン帝国で最初に設立された医学校(1827年設立)を卒業したのち、外交官として活躍した[2]。タンジマート改革を始動させたムスタファ・レシト・パシャに見いだされて外務大臣職を務め、1861年には大宰相に任じられた[2]。その後も常に政府高官の要職にあってレシト・パシャ死去後の政界を、同い年の盟友アーリ・パシャと共に担い、地方王朝の分離を阻止すべく帝国の再統合に尽力した[1][2][3]。第二段階に入ったタンジマートは、この2人を中心に新法典教育制度、土地法を核とする踏み込んだ改革政策が進められた[3][4][注釈 1]1867年、スルタンのアブデュルアズィズにしたがってヨーロッパ諸国を歴訪したが、帰国後は病に伏した[2]1869年、療養先の南仏ニースで死去した[2]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 山内昌之は、レシト・パシャとその弟子にあたるフアト・パシャ、アーリ・パシャの3人を「タンズィマートの三傑」と呼んでいる。山内(1996)pp.178-179

出典 編集

参考文献 編集

  • 新井政美『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』青土社、2009年6月。ISBN 9784791764907 
  • 永田雄三 著「第6章 オスマン帝国の改革」、永田雄三 編『西アジア史(II)イラン・トルコ』山川出版社〈新版 世界各国史9〉、2002年8月。ISBN 978-4-634-41390-0 
  • 山内昌之『世界の歴史20 近代イスラームの挑戦』中央公論社、1996年12月。ISBN 4-12-403420-2 

関連項目 編集

外部リンク 編集