フィリップ・ヴィリエ・ド・リラダン

フィリップ・ヴィリエ・ド・リラダン (フランス語: Philippe de Villiers de L'Isle-Adam 1464年 – 1534年)は、聖ヨハネ騎士団のラングエ・オーヴェルニュの代表、総長(1521年 - 1534年)。ロドス島における騎士団最後の総長で、オスマン帝国との間でのロドス包囲戦を指揮し、その敗北後も騎士団を率いてマルタ島への移転を行った。 

フィリップ・ヴィリエ・ド・リラダン
Philippe Villiers de L'Isle-Adam
Villiers de l Isle-Adam.jpg
聖ヨハネ騎士団総長
任期
1521年 – 1534年8月21日
君主カール5世
前任者ファブリツィオ・デル・カレット
後任者ピエロ・デ・ポンテ
個人情報
生誕1464年
ボーヴェ, フランス
死没1534年8月21日 (69/70歳)
ラバト, マルタ
墓地聖ヨハネ准司教座聖堂 (聖アンジェロ砦から改葬)
国籍フランス
兵役経験
所属国マルタ騎士団の旗 聖ヨハネ騎士団
戦闘ロドス包囲戦

生涯編集

1521年、リラダンはグランドマスターに選出された。その直後1522年にスレイマン1世率いる10万人のオスマン軍によるロドス島侵攻が始まり、リラダンと600人の騎士、4500人の兵士たちは6か月にわたって島の要塞を防衛した[1]。しかし最終的に騎士団はオスマン帝国に島を譲る決断をし、1523年1月1日クレタ島へ退去した。

その後、リラダンは騎士団を率いて、最初に身を寄せたクレタ島からメッシーナヴィテルボニースと流転した。1530年、リラダンは神聖ローマ皇帝カール5世からマルタ島ゴゾ島、北アフリカのトリポリを与えられた。これ以降、聖ヨハネ騎士団はマルタ島を拠点とし、マルタ騎士団として知られるようになる。同年10月26日、旗艦のサンタ・アナ号に載った騎士団がマルタ島に上陸した。

リラダンは11月13日に正式にマルタ島領有を宣言し、この騎士団長に首都イムディーナの銀の鍵が手渡された。なお騎士団は海岸沿いの町ビルグに居を置き、こちらが実質的な首都となった。また聖アンジェロ砦は要塞兼宮殿として利用された。街は要塞化され、次第に出身国別の騎士館が建てられていった。こうして騎士団はマルタ島に定着していったが、同時に彼らは1565年マルタ包囲戦まではあくまでもロドス島の奪回を夢見ていた。[2]

1534年8月21日、リラダンはラバト聖母降誕教会で死去し[3]、聖アンジェロ砦の聖アンヌ聖堂に葬られた。16世紀後半に、バレッタの聖ヨハネ准司教座聖堂に改葬された[4]


脚注編集

  1. ^ L. Kinross, The Ottoman Centuries: The Rise and Fall of the Turkish Empire, 176
  2. ^ Philippe Villiers de l' Isle-Adam”. South African Relief Organisation of the Order of Malta. 2014年9月21日閲覧。
  3. ^ “Grand Master L'Isle Adam's room open for viewing”. Times of Malta. (2011年11月20日). http://www.timesofmalta.com/articles/view/20111120/life-features/l-isle-adam.394724 2014年9月21日閲覧。 
  4. ^ Mallia-Milanes, Victor (2008). The Military Orders: History and heritage. Aldershot: Ashgate Publishing Limited. p. 62. ISBN 9780754662907. https://books.google.com.mt/books?id=dSM_w4Q1sUwC&pg=PA62#v=onepage&q&f=false 2014年9月21日閲覧。 

外部リンク編集