フリードリヒ・ルードヴィヒ・ヤーン運動公園

ベルリンのパンコウ区にある運動公園

フリードリヒ・ルードヴィヒ・ヤーン運動公園(フリードリヒ・ルードヴィヒ・ヤーンうんどうこうえん、: Friedrich-Ludwig-Jahn-Sportpark略称:ヤーン運動公園、Jahn-Sportpark)は、ドイツベルリン州パンコウ区にある運動公園である。“ドイツの体操の父”と呼ばれるフリードリヒ・ルードヴィヒ・ヤーンドイツ語版の功績を顕彰し名付けられた。陸上競技場は2014-15年シーズンのUEFA女子チャンピオンズリーグ決勝戦の試合会場として使用された[1]

フリードリヒ・ルードヴィヒ・ヤーン運動公園
Friedrich-Ludwig-Jahn-Sportpark
全容の空撮
全容の空撮
分類 運動公園
所在地
座標 北緯52度32分35秒 東経13度24分19秒 / 北緯52.54306度 東経13.40528度 / 52.54306; 13.40528座標: 北緯52度32分35秒 東経13度24分19秒 / 北緯52.54306度 東経13.40528度 / 52.54306; 13.40528
面積 20ha
開園 1912年
設計者 アルベルト・ブローダーセン
運営者 ベルリン州
設備・遊具 陸上競技場
球技場
体育館
アクセス #アクセスを参照。
公式サイト https://www.berlin.de/sen/inneres/sportmetropole-berlin/friedrich-ludwig-jahn-sportpark/
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概要 編集

当地はプロイセン時代の練兵場跡地であり、現在も使用されている物としてはドイツ国内最古のサッカー競技場がある。また市内最大級の競技施設である通称「大競技場」(Großen Stadion)と呼ばれる陸上競技場とマックス・シュメリング・ハレがあり、ベルリン市内における各種スポーツ大会やイベント等の会場としても重要な位置を占めている。公園全体は1951年に建設され、ベルリン州は今後障害者スポーツに対応した施設に改修する計画がある[2]

施設 編集

主要施設としては西側にある「大競技場」と呼ばれる陸上競技場と屋内競技場のマックス・シュメリング・ハレである。

陸上競技場 編集

フリードリヒ・ルードヴィヒ・ヤーン運動うんどう公園こうえん競技場きょうぎじょう
Friedrich-Ludwig-Jahn-Sportpark stadion
ヤーン競技場、大競技場

 

 
施設情報
起工 1951年
開場 1951年
修繕 1964年、1970年、1998年
拡張 1987年
所有者 ベルリン州
運用者 ベルリン州政府
グラウンド 天然芝
ピッチサイズ 110m×72m
照明 鉄塔式4基+メインスタンド屋根一体型
大型映像装置 1基
建設費 1500万ドイツマルク
設計者 ルドルフ・オルトナー
旧称
アインザーメン・パッペル競技場
使用チーム、大会
VSGアルテグリーニッケ(2017年-)
BFCディナモ(1975年-1992年、2014年-2020年)
ベルリン・サンダー(2021年-)
ジャーマンボウル(2012年-2018年)
第3回世界青年学生祭典(1951年)
収容人員
19,708人
アクセス
#アクセスを参照

1951年の第三回世界青年学生祭典に際して、アインザーメン・パッペル競技場として建設された。旧練兵場であった当地は第二次世界大戦後に200万m3の戦災瓦礫で覆われていたが[3]、僅か数ヶ月の工期で収容人数3万人でスタンド部分に戦災瓦礫を使用したモダニズム建築の競技場を、バウハウス出身のルドルフ・オルトナーが設計、建設された[4]。建設には自由ドイツ青年団が参加している。高さ約15mのスタンドの基礎部分に戦災瓦礫を利用する方法は、ライプツィヒ中央競技場ローゼナウシュタディオンと共通する。フリードリヒ・ルードヴィヒ・ヤーンドイツ語版没後100周年を記念して、1952年にフリードリヒ・ルードヴィヒ・ヤーン運動公園と改称された。1962年にベルリンの壁が建設されると、競技場のスタンドから僅か数m先に壁が作られ、その一部分は現在も隣接するマウアー公園ドイツ語版(壁公園)に残されている。

 
ヤーン運動公園周辺の空中写真。1954年撮影

その後何度かの改修工事を経ており、ナイター施設は1964年、舗装レーンはその6年後に設置された。1986年から87年にかけて大規模な拡張工事が行われ、赤い外壁のチェコ風のメインスタンドとバックスタンドには特徴的な扇形の屋根が建設され、インフィールドに向かって傾斜した照明塔が設置された[5][6]。1998年に座席がベンチ状の物からバケットシート状の物に変更、2015年UEFA女子チャンピオンズリーグ決勝戦開催にあたり、200万ユーロあまりをかけピッチの張替え、メインスタンド、衛生、防火施設の改修を行った[7]

現在陸上競技設備として、8レーンの走路と障害物競走用の水壕がある。

屋内競技場 編集

マックス・シュメリング・ハレは1996年に完成した屋内競技場で、2000年夏季五輪招致にあたり、ボクシング競技会場として計画された。

公園東側 編集

 
市営運動場当時の空撮。1928年撮影

1911年にベルリン市が練兵場東側を購入、1912年に市営運動場として開園するが、これが現公園の東側区画にあたる。開園当初は自由広場と運動場のみであったが、1920年代に陸上競技場が建設された。現在「小競技場」(Kleine Stadion)と呼ばれるこの競技場は、陸上競技用のトラックと天然芝68m×104mのインフィールドがある。30年代には競技場の他、テニスコートと子供用プールがあった[8][9][10]

1951年にヤーン競技場を建設する際に、テニス、バスケットボール、バレーボールコート合わせて12面が作られた。マックス・シュメリング・ハレ建設に 併せて、人工芝のテニスコート5面に改修、2018年にトップス通り側にサッカー場2面とゴム製の床のバスケットボールコート3面に改修した。[11]

アクセス 編集

脚註 編集

  1. ^ Friedrich-Ludwig-Jahn-Sportpark, Berlin”. de.UEFA.com. 欧州サッカー連盟 (2015年4月30日). 2023年9月16日閲覧。
  2. ^ ベルリン州ホームページ: Gesamtkonzeption für den Friedich-Ludwig-Jahn-Sportpark. p. 6. ダウンロード先: berlin.de
  3. ^ Klaus Grosinski: Aus der Geschichte des Friedrich-Ludwig-Jahn-Sportparks (III). In: Falkblatt 18/2005, S. 9.
  4. ^ Berlin: Cantian-Stadion soll fallen”. ModerneREGIONAL. 2019年4月6日閲覧。
  5. ^ Frank Peter Jäger: Die unwertbaren Jahre In: Bauwelt 21/2020. S. 41.
  6. ^ Baunetz: Inklusion versus Bestand – O+M Architekten gewinnen Wettbewerb um Jahnsportpark in Berlin. Meldung vom 10. Januar 2023, baunetz.de
  7. ^ Friedhard Teuffel (16 February 2015). "Berlin macht sich fein fürs Finale". Der Tagesspiegel. 2015年5月3日閲覧
  8. ^ Christian Wolter: Rasen der Leidenschaften. Berlin: Verlag Edition Else, 1. Auflage 2011, ISBN 978-3-00-036563-8, S. 21.
  9. ^ Planschbecken ist verzeichnet in mehreren hist. Stadtplänen, z. B.: Stadtplan von Berlin, Juni 1924 landkartenarchiv.de sowie Silva-Stadtplan Berlin (Ausgabe B) 1:23.000 (1939) Quadrant B9. Erkennbar auch auf dem Luftbild von 1928 im Geoportal Berlin
  10. ^ Vorwärts, Zentralorgan der sozialdemokratischen Partei Deutschlands: Der Ausbau des Sportplatzes Schönhauser Allee, Ausgabe vom 27. März 1926, Nr. 145, Jg. 43, S. 6.
  11. ^ Senatsverwaltung für Inneres und Sport: Umbau des Friedrich-Ludwig-Jahn-Sportparks – Einweihung neuer Basketballspielfelder. Pressemitteilung vom 21. Juni 2018 berlin.de

外部リンク 編集