フロイド・クロスビー

アメリカの撮影監督 (1899-1985)

フロイド・クロスビーことフロイド・デラフィールド・クロスビーFloyd Delafield Crosby,A.S.C.、1899年12月12日 - 1985年9月30日[1]は、アカデミー賞を受賞したアメリカの撮影監督で、ヴァン・レンセラー家の末裔、ミュージシャンのイーサン・クロスビーとデヴィッド・クロスビーの父親。

フロイド・クロスビー
Floyd Crosby
生年月日 (1899-12-12) 1899年12月12日
没年月日 (1985-09-30) 1985年9月30日(85歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 撮影監督
著名な家族 デヴィッド・クロスビー(息子)
 
受賞
アカデミー賞
撮影賞
第4回タブウ
その他の賞
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生誕

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クロスビーは、ジュリア・フロイド(旧姓デラフィールド)とフレデリック・ヴァン・シューンホーヴェン・クロスビーの息子としてウェスト・フィラデルフィアに生まれ育った[2]。母方の祖母を通じ、著名なヴァン・レンセラー家の血を引く[3]。 母方の祖父はフランシス・デラフィールド医師[4]。母方の叔父はエドワード・ヘンリー・デラフィールド(1880-1955)[5]

キャリア

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そのキャリアにおいて、フロイド・クロスビーは100本以上の長編映画の撮影に携わった。1931年には、映画『タブウ』でアカデミー撮影賞を受賞。1973年、クロスビーはアメリカン・フィルム・インスティチュート主催のオーラル・ヒストリーに参加し、その一部で『タブウ』の撮影を担当した[6]。 『真昼の決闘』(1952年)の撮影監督も務め、ゴールデングローブ賞を受賞。また、B級映画監督のロジャー・コーマンともいくつかの作品で仕事をした。 第二次世界大戦では、アメリカ陸軍航空隊の 撮影監督として飛行訓練映画を製作。彼は1946年に航空隊を去った。

私生活

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1930年12月11日、アリフ・ヴァン・コートラント・ホワイトヘッドと結婚[4]。彼女はジョン・ブリントン・ホワイトヘッドの娘であった[3]。アリフとの間に二人の息子をもうけた。

1960年に離婚し、同年ベティ・コーマック・アンドリュースと結婚。1972年に引退し[2]カリフォルニア州オハイで1985年に死去。

作品

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  • 太陽の恋人クール・ワンズ(1967年)
  • 火の玉レーサー(1966年)
  • 爆笑!ミサイル大騒動(1965年)
  • ビキニガール・ハント(1965年)
  • パジャマ・パーティ(1964年)
  • ビキニ・ビーチ(1964年)
  • X線の眼を持つ男(1963年)
  • ヤングレーサー(1963年)
  • 怪談呪いの霊魂(1963年)
  • 忍者と悪女(1963年)
  • 赤い野獣(1963年)
  • 誘拐犯を逃がすな(1963年)
  • 姦婦の生き埋葬(1962年)
  • 黒猫の怨霊(1962年)
  • 嵐の学園(1961年)
  • 恐怖の振子(1961年)
  • ケンタッキー少年魂(1961年)
  • アッシャー家の惨劇(1960年)
  • メキシコの暴れん坊(1959年)
  • 叫ぶ頭蓋骨(1959年)
  • 恐怖の獣人(1958年)
  • 機関銃ケリー(1958年)
  • 老人と海(1958年)
  • 巨大カニ怪獣の襲撃(1957年)
  • 地獄谷の無法者(1957年)
  • 荒野の待伏せ(1955年)
  • ファイブ・ガン/あらくれ五人拳銃(1954年)
  • 真昼の決闘(1952年)
  • タブウ(1931年)

脚注

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  1. ^ Floyd Crosby | Biography, Movie Highlights and Photos”. AllMovie. 2019年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月20日閲覧。
  2. ^ a b Floyd Crosby”. www.cinematographers.nl. 2013年8月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月20日閲覧。
  3. ^ a b “Aliph Whitehead To Wed F.D. Crosby; New York Girl's Engagement Is Announced by Her Parents. She Is In Junior League Her Fiance Is a Grandson of the Late Dr. and Mrs. Francis C. Delafield.”. The New York Times. (1930年12月5日). オリジナルの2018年4月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180429103912/https://www.nytimes.com/1930/12/05/archives/aliph-whitehead-to-wed-fd-crosby-new-york-girls-engagement-is.html 2016年10月31日閲覧。 
  4. ^ a b “Aliph Whitehead Weds F.D. Crosby; Dr. Darlington Officiates at Ceremony in Chapel of Church of the Heavenly Rest. Few Witness Ceremony John B. Whitehead Gives His Daughter in Marriage—Wedding Trip to South America.”. The New York Times. (1930年12月12日). オリジナルの2019年6月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190628104707/https://www.nytimes.com/1930/12/12/archives/aliph-whitehead-weds-fd-crosby-dr-darlington-officiates-at-ceremony.html 2017年4月3日閲覧。 
  5. ^ “Mrs. F. V. S. Crosby, Widow Of Financier”. The New York Times. (1952年3月28日). オリジナルの2017年4月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170404131543/http://www.nytimes.com/1952/03/28/archives/mrs-f-v-s-crosby-wiow-or-nsascir.html 2017年4月3日閲覧。 
  6. ^ https://archive.org/details/TapeIISideOneTapeIISideTwo2BRepaired92617 [リンク切れ]

外部リンク

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