フンメル (自走砲)
フンメル (独: Hummel)は、第二次世界大戦期にドイツで開発された自走砲である。
フンメル (ムンスター戦車博物館) | |
基礎データ | |
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全長 | 7.17 m |
全幅 | 2.97 m |
全高 | 2.81 m |
重量 | 23.5 t |
乗員数 | 6〜7 名 |
装甲・武装 | |
装甲 |
(前面)30 mm (下面前部) 17 mm (上面前部) 15 mm (下面) 15 mm (側面) 20 mm (後面) 22 mm |
主武装 | 15cm榴弾砲 sFH18 L/30 |
副武装 |
7.92 mm MG34機関銃 9 mm MP40短機関銃×2 |
機動力 | |
速度 | 42 km/h |
エンジン |
マイバッハ HL 120TRM 300 HP / 223 kW |
行動距離 | 215 km |
出力重量比 | 13 HP / t |
III号戦車・IV号戦車それぞれからパーツを流用して作成されたIII/IV号車台を使用して開発されたもので、主武装として15cm榴弾砲 sFH18 L/30を搭載している。主にドイツ国防軍により1943年から終戦まで運用された。
歴史と概要
編集1941年6月のバルバロッサ作戦、すなわちドイツのソ連侵攻で、装甲部隊に追従できる砲兵部隊の欠如が明らかとなった。フンメルは1942年、この欠如を補うために計画された。その時点でも既にいくつかの自走砲が運用されていたが、対戦車砲や重歩兵砲を自走砲化したものであり、野戦榴弾砲を自走砲化したものはなかった。
最初の試作は、III号戦車に10.5cm leFH17榴弾砲を搭載したものだったが、これはIV号戦車に榴弾砲を搭載する計画が推進されたために却下された。試作車が1門のみ製造されたが、この計画もより強力な解決策が提案されたために、さらに却下された。
代替計画は、「III/IV号火砲車」として15cm sFH18 L/30榴弾砲を搭載するもので、対戦車自走砲であるナースホルンと同様、III/IV号車台を使用した。この車台では乗員が砲を操作する空間を確保し、かつ重量バランスをとるため、戦車用車台では後方にあったエンジンは中央に移されている。試作車では起動輪にIV号戦車と同じものを使用し、砲にはマズルブレーキが装着されていたが、生産車では起動輪がIII号戦車と同型となり、マズルブレーキも牽引型のsFH 18同様に除かれている。
このIII/IV号火砲車はフンメルと命名された。乗員と砲を保護するため、オープントップで全周を囲む形の10mm厚の装甲が設置された。後期型では、車体前部の操縦手と通信手のスペースが左右繋がる形で拡大された。
終戦までに714門のフンメルと、150輌の弾薬輸送車が製造された。
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ソミュール戦車博物館のフンメル (後期型)
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ジンスハイム自動車・技術博物館のフンメル
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冬季迷彩を施されたフンメル。1944年1月。
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フンメルの戦闘室。1943年6月。
戦歴
編集フンメルが最初に投入されたのはクルスクの戦いで、100門近くが運用された。組織的には、装甲師団の装甲砲兵連隊(Panzerartillerie Regiment)のうち一個大隊が自走砲装備とされ、重自走砲中隊が編成された。この中隊は、フンメル6門と弾薬運搬車1輌で構成される。
派生型
編集フンメルは口径が大きいだけに限られた数の弾薬しか搭載できず、フンメル弾薬運搬車 Munitionsträger Hummel が開発された。砲を搭載せずに製造されたフンメルの開口部を10mmの装甲板で塞ぎ、弾薬を備蓄するための棚を設置したものである。この運搬車は必要に応じて、野戦整備のレベルで、砲を搭載し通常型フンメルに改修することもできた。