ブリニョールBrignoles)は、フランスプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏ヴァール県コミューン

Brignoles

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏
(département) ヴァール県
(arrondissement) ブリニョール郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 83023
郵便番号 83170
市長任期 クロード・ジラルド
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Comté de Provence
人口動態
人口 14 963人
2006年
人口密度 人/km2
住民の呼称 Brignolais, Brignolaise
地理
座標 北緯43度24分21秒 東経6度03分42秒 / 北緯43.40582463度 東経6.06154583度 / 43.40582463; 6.06154583座標: 北緯43度24分21秒 東経6度03分42秒 / 北緯43.40582463度 東経6.06154583度 / 43.40582463; 6.06154583
標高 平均:? m
最低:190 m
最高:787 m
面積 70.53km2 (7 053ha)
Brignolesの位置(フランス内)
Brignoles
Brignoles
公式サイト Site officiel de Brignoles
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言語による地名の違い 編集

Brignoles はプロヴァンサル語で、オック語のスタンダード・ミストラル方言で Brignolo、オック語古典式では Brinhòla となる。

地理 編集

プロヴァンス・ヴェルト地域にあり、プロヴァンス伯の都市に次ぐヴァール県中央部の都市である。かつてボーキサイト鉱山のあった土地にあり、カラミ川の平野に位置する。中世には高品質のプラムの生産地とされていたが、16世紀のユグノー戦争で数千本の木が倒された。以後、「ブリニョールのプラム」と名づけられているものはディーニュ産となっている。

A8道路とN7道路が通っているため、1時間以内に自動車でマルセイユエクス=アン=プロヴァンストゥーロンへ行くことが可能である。

歴史 編集

ブリニョールやル・ヴァルの山の尾根には、新石器時代ドルメンが残っており、古くから人が定住していた。

ブリニョールの名が初めて公文書に記されたのは、キルデベルト[要曖昧さ回避]王の憲章が出された558年である。サン=ピエールに近い castrum brinoniae は、サラセン人襲撃が起きると人々が避難する場所だった。

1056年、ブリニョール領主はマルセイユのサン・ヴィクトル修道院にサン=ジャン教会を与えた。11世紀に幾度か町と荘園の領主が変わった。11世紀、ラ・セルがブリニョールから独立したコミューンとなった。

1116年、バルセロナ伯およびプロヴァンス伯ラモン・バランゲー3世は、修道士と領主の争いの裁判のためにブリニョールへやってきた。12世紀のブリニョールは市民の中から選ばれたコンシュラが治め、1222年にレーモン・ベランジェ4世に廃止されるまで続いた。ベアトリス・ド・サヴォワは息子の承諾を得て亡くなるまでブリニョールを治めた。

ブリニョール領主であった代々のプロヴァンス伯たちは、ブリニョールに多くの邸宅や土地を所有していた。プロヴァンス伯妃はブリニョールで子を生んだ。

13世紀半ば、ナポリ王でプロヴァンス伯のシャルルは妃マリア・ドゥンゲリアとともにブリニョールの古城に暮らした。

1498年、プロヴァンス伯領はフランス王国へ併合された。1502年、プロヴァンス高等法院の初めての会合がブリニョールの伯爵宮殿で開催された。1506年、プロヴァンス高等法院のメンバーは黒死病の流行から逃れるためエクスからブリニョールへ避難した。1563年8月、ブリニョールにユグノー軍が侵攻した。

1921年より、プロヴァンス・ワインの見本市が毎年4月第2週に開催されることになった。1975年、ブリニョールは再び県の郡庁所在地となった。

経済 編集

ワイン生産と第三次産業が主体である。

出身者 編集

姉妹都市 編集