プーピエン郡
座標: 北緯18度45分42秒 東経100度47分17秒 / 北緯18.76167度 東経100.78806度
プーピエン郡(プーピエンぐん)とはタイ北部・ナーン県にある郡(アムプー)である。
プーピエン郡 | |
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プーピエン郡の位置 | |
情報 | |
タイ語名 | อำเภอภูเพียง |
県 | ナーン県 |
地理番号 | 5514 |
郵便番号 | 55000 |
統計 | |
面積 | 508.236 km2 |
人口 | 35,232 人 (2005年) |
人口密度 | 69.3 人/km2 |
行政 | |
郡庁所在地 | Muang Tuet |
名前
編集プーピエン、プー・ピエンとは「ピエン山」という地元にある山の事である。この山の頂上に巡礼地として有名なワット・プラタートチェーヘーンがある。
歴史
編集1359年、当時ワラナコーン(現、プワ郡)の国王であった、カーンムアンは南進を行い、ナーンやプーピエンの近辺を制圧した。その後、カーンムアンはスコータイからダンマパーラ(タンマパーン)長老と仏舎利を招き、プーピエンに、ウィエン・プーピエンとして街を建設、プラタート・チェーヘーンを建立し、仏舎利を収めた[1]。そして、プーピエンに遷都した。
しかし、プーピエンでは干ばつが続き、チェーヘーン(水が干上がる)と表現される程、街が干上がった[2]。そのため1368年、パーコーン王の時代に現在のナーンに遷都した[3]。
その後、プーピエンはナーンの衛星都市として機能した。しかしその後、1997年7月1日、プーピエン分郡としてナーンから分離、新たな行政区分として成立した[4]。2007年5月15日の対政府の決定により81の分郡が郡に昇格することとなった[5]。同年八月24日の官報の発行により公的に昇格が確認された [6]。
地理
編集ナーン川の形成した台地にあり東側には山地が広がる。
経済
編集分郡内の主な産業は農業で、名産品はワンピである。
行政区分
編集分郡内には7のタムボンが存在し、その下位に59の村が存在する。テーサバーンは存在せず、7つのタムボン行政体が設置されている。
- タムボン・ムアントゥット・・・ตำบลม่วงตึ๊ด
- タムボン・ナーパン・・・ตำบลนาปัง
- タムボン・ナムケーン・・・ตำบลน้ำแก่น
- タムボン・ナムキエン・・・ตำบลน้ำเกี๋ยน
- タムボン・ムアンチャン・・・ตำบลเมืองจัง
- タムボン・ターナーオ・・・ตำบลท่าน้าว
- タムボン・ファーイケーオ・・・ตำบลฝายแก้ว
脚注
編集- ^ The Nan Chronicle. Studies on Southeast Asia No.16. tr. and ed. David K. Wyatt. Ithaca: Cornell University Press. (1994). pp. pp.46-47. ISBN 9780877277156
- ^ พื้นเมือง ฉบับวัดพระเกิด. ประชุมพงศาวดารฉบับราษฎร์ ภาคที่ ๒. ดร.นิธิ เอียวศรีวงศ์ บรรณาธิการ, สรัสวดี อ๋องสกุล ปริวรรต. กรุงเทพฯ: สำนักพิมพ์อมรินทร์วิชาการ. (2539). pp. p.7. ISBN 9789748364742
- ^ Sarassawadee Ongsakul (2005) [2001] (English text). History of Lan Na. tr. Chitraporn Tanratanakul. Chiang Mai: Silkworm Books. pp. p.52. ISBN 9789749575840
- ^ “ประกาศกระทรวงมหาดไทย เรื่อง แบ่งเขตท้องที่อำเภอเมืองน่าน จังหวัดน่าน ตั้งเป็นกิ่งอำเภอภูเพียง”. ราชกิจจานุเบกษา เล่ม ๑๑๔ (ตอน ๕๑ ง ฉบับพิเศษ): หน้า ๑๑. (๒๕ มิถุนายน ๒๕๔๐) .
- ^ “แถลงผลการประชุม ครม. ประจำวันที่ 15 พ.ค. 2550”. Manager Online. 2008年2月20日閲覧。
- ^ “พระราชกฤษฎีกาตั้งอำเภอฆ้องชัย...และอำเภอเหล่าเสือโก้ก พ.ศ. ๒๕๕๐”. ราชกิจจานุเบกษา เล่ม ๑๒๔ (ตอน ๔๖ ก): หน้า ๑๔-๒๑. (๒๔ สิงหาคม ๒๕๕๐) .