ヘテプセケメイ
ヘテプセケメイ(Hotepsekhemwy:発音に忠実ならばヘテプセケムイ)は、エジプト第2王朝の最初のファラオである。その名前は、「二つの権力の和睦」あるいは「二つの権力の喜び」という意味である[1]。彼の治世については、ほとんど分かっていない。
ヘテプセケメイ | ||||||||||||||
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Hotepsekhemwy | ||||||||||||||
![]() ヘテプセケメイの名が刻まれた骨壷(ブルックリン美術館蔵) | ||||||||||||||
古代エジプトファラオ | ||||||||||||||
統治期間 | 前2890年頃 - 前2847年頃,エジプト第2王朝 | |||||||||||||
前王 | カア | |||||||||||||
次王 | ラネブ | |||||||||||||
ファラオ名
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子息 | ペルネブ、ラネブ | |||||||||||||
埋葬地 | サッカラ |
伝記編集
ヘテプセケメイは、ファラオの娘と結婚することで権力の座に辿り着いた。彼が古代のティニスの権力の系列に繋がっていたか否かは不明であるが、彼はカアの養子となり、おそらくカアの葬儀を取り仕切った。「ヘテプセケメイ」という名前はアビドスにあるカアの墓の外側で見つかっている。
ヘテプセケメイの墓はサッカラにあると確認された。基礎は残っているが、上部構造は失われている。
出典編集
- ^ Peter Clayton, Chronicle of the Pharaohs, Thames and Hudson Ltd, 2006 paperback, p.26
- ^ The Genealogies of the Dynasties
参考文献編集
- Toby A. H. Wilkinson, Early Dynastic Egypt, Routledge, London/New York 1999, ISBN 0-415-18633-1, 83-84
外部リンク編集
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