ヘルツリーヤヘブライ語: הֶרְצְלִיָּה‎、: Herzliya)は、イスラエルの中央沿岸地方、テルアビブ地区に位置する都市。26平方キロメートルの土地に、8万7000人が暮らす[1]。近代シオニズムを確立したテオドール・ヘルツルにちなみ名づけられた[2]ヘルズリヤとも表記される。

ヘルツリーヤ
הֶרְצְלִיָּה
ヘルツリーヤの市旗 ヘルツリーヤの市章
市旗 市章
位置
テルアビブ地区の位置の位置図
テルアビブ地区の位置
地区内のヘルツリーヤの位置の位置図
地区内のヘルツリーヤの位置
座標 : 北緯32度10分00秒 東経34度50分00秒 / 北緯32.16667度 東経34.83333度 / 32.16667; 34.83333
歴史
設立 1924年
行政
イスラエルの旗 イスラエル
 国 地区
 市 ヘルツリーヤ
市長 イェール・ゲルマン
メレツ
地理
面積  
  市域 21.585 km2 (8.334 mi2)
人口
人口 (2007年現在)
  市域 87000人
  備考 [1]
その他
等時帯 イスラエル標準時 (UTC+2)
夏時間 イスラエル夏時間 (UTC+3)

歴史

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ベン・グリオン街

1924年に準協同農業共同体として設立された。1948年のイスラエル建国後、多くの入植者がやってきて、1960年には人口が2万5000人を超え、「市」に昇格した[3]

人口動態

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イスラエル中央統計局の調べによると、ヘルツリーヤには富裕層が多く住む。2003年から2005年の市民の平均月給は8211新シェケルで、国内の大都市の平均より1500新シェケルほど高い。しかし、市内の7地区の間で格差が激しい。シェロン地域の他の都市より高齢化が進んでいて、14歳以下の割合が全国平均の27.5%に対し18%しかない[2]

教育・文化

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ヘルツリーヤ・アンサンブル・コンサート・ホール

2008年の「生活の質調査」で、ヘルツリーヤは国内の15の大都市のなかで2番目についた。教育分野への支出は他のどの都市よりも多く、ほとんどの生徒がバグルートを取得する[2]。「ヘルツリーヤ学術センター」という私立大学があり、行政学、経営学、法学、コンピューター工学などの学士課程が設けられている[4]

 
マリーナ

国内最大手のテレビ局、映画スタジオの「ヘルツリーヤ・スタジオ」はヘルツリーヤに本社を置く。市内のマリーナ(小型船舶港湾)は1970年代に整備された。小さな空港が一箇所、ショッピングモールが三箇所、ほかにも映画館、博物館、文化センター、競技場がある。2008年にはシネマテークがダウンタウンにオープンした[5]

行政

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2008年に国内の15都市を対象に行われた調査で、ヘルツリーヤは財政運営の分野で二位の高評価を受けた[2]

歴代市長

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市庁舎
  • アブラハム・ラファエル・ハーシュ - 1937年から1938年
  • シモン・レヴィン - 1938年から1943年
  • ベン・ジオン・ミカエリ - 1943年から1960年
  • ペサー・イフェール - 1960年から1966年
  • ナータン・ローゼンタール - 1966年から1967年(暫定議会議長)
  • ヨーゼフ・ネヴォ - 1969年から1983年
  • エリ・ランドー - 1983年から1998年(リクード
  • イェール・ゲルマン - 1998年から(メレツ

スポーツ

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リーガ・レウミートで共にプレイするマッカビ・ヘルツリーヤとハポエル・ヘルツリーヤの2つのサッカークラブがあり、7100人収容のヘルツリーヤ市営競技場をホームグラウンドとして共用している。また、バスケットボールクラブのブネイ・ハシャロンはヘルツリーヤとラーナナのクラブが合併して誕生したため、両都市をホームとしている。また、ラグビーユニオンも盛んである。

観光スポット

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ネヴェ・アミリム地区の高層住宅
 
市内の浜辺

開拓者の家のひとつは現在、歴史博物館として公開されている。美術館はヤド・ラバニム記念複合施設内にある。北部にはシードナ・アリ・モスクや古代都市テル・アルサフ(アポロニア国立公園)がある。この古代都市には2500年前から人が住んでいた。壕をめぐらせた砦もある[3]

ヘルツリーヤ会議

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ヘルツリーヤでは2000年から年次、国内外のイスラエル有力者たちが会議を開いている。具体的には閣僚、国会(クネセト)議員、軍将校、財界人、学者、メディアの代表、世界ユダヤ機構の代表、外国の要人、外交官などが出席する[6]

ヘルツリーヤ・ピター

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地区の遠景

西部にあるヘルツリーヤ・ピター地区は、国内屈指の地価とすばらしい浜辺で知られ、ハイテク企業に人気が高い。マリーナや多くのレストラン、エンタメスポットがあり、国内の「夜の娯楽」の中核を成している[2]。また、大使などの外交官の邸宅も集中している。

姉妹都市

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脚注

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  1. ^ a b Table 3 - Population of Localities Numbering Above 2,000 Residents and Other Rural Population”. Israel Central Bureau of Statistics (2010-30-06). 2010年10月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e Shemesh, Hen; Dattel, Lior. “Herzliya: For the Young at Heart, Not the Young”. 2008年10月18日閲覧。
  3. ^ a b Herzliya”. Israel Wonders. GoIsrael.com. 2008年10月18日閲覧。
  4. ^ Interdisciplinary Center Herzliya”. 2008年10月18日閲覧。 (ヘブライ語)
  5. ^ “Herzliya gets its very own cinematheque”. Jerusalem Post. (2008年11月20日). オリジナルの2013年7月6日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20130706010610/http://fr.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1226404784990&pagename=JPost/JPArticle/ShowFull 2008年11月30日閲覧。 
  6. ^ welcome to the Institute for Policy and Strategy and the Herzliya Conference”. Herzliyaconference.org. 2009年5月5日閲覧。
  7. ^ Banská Bystrica Sister Cities”. © 2001-2008. 2009年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月23日閲覧。
  8. ^ Beverly Hills street to honor Herzl”. 2010年5月3日閲覧。

外部リンク

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