ヘンリー・イングラム (第7代アーバイン子爵)

第7代アーバイン子爵ヘンリー・イングラム英語: Henry Ingram, 7th Viscount of Irvine1691年4月30日1761年4月4日)は、イギリスの政治家、貴族。

生涯編集

第3代アーバイン子爵アーサー・イングラム英語版とイサベラ・メイチェル(Isabella Machell、1670年10月25日 – 1764年7月21日、ジョン・メイチェル英語版の娘)の息子として、1691年4月30日に生まれ、5月14日にウィットカーク英語版で洗礼を受けた[1]。1708年5月17日にオックスフォード大学オリオル・カレッジに入学、1711年2月9日にB.A.の学位を、1712年にM.A.の学位を修得した[2]

1722年イギリス総選挙ホーシャム選挙区英語版から出馬して当選、議会では常に与党の一員として投票した[3]。1736年5月26日に兄アーサーが死去すると、アーバイン子爵の爵位を継承した[1]。その後、ホーシャム選挙区の議員チャールズ・エヴァースフィールド英語版からホーシャムにおける市民借地権を買い上げ、ホーシャム選挙区を完全に掌握した[3]

1736年から1761年までイースト・ライディング・オブ・ヨークシャー統監英語版を務め、1745年ジャコバイト蜂起ではイースト・ライディングで志願兵1個中隊を率いた[1]

1761年4月4日にホーシャム近くで死去、ウィットカークで埋葬された[1]。息子がおらず、弟ジョージが爵位を継承した[4]

1745年頃のフィリップ・メルシエ英語版による第7代アーバイン子爵夫婦の肖像画がテンプル・ニューサム英語版に所蔵されている[5]

家族編集

1737年6月以前にアン・スカーバラ(Anne Scarborough、1699年頃 – 1766年3月20日、チャールズ・スカーバラの娘)と結婚した[4]

出典編集

  1. ^ a b c d Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 72–74.
  2. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Ibbetson-Izod. Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 785–792.
  3. ^ a b Lawson, J. B. (1970). "INGRAM, Hon. Henry (1691-1761).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年10月26日閲覧
  4. ^ a b "Irvine, Viscount of (S, 1661 - 1778)". Cracroft's Peerage (英語). 23 May 2003. 2019年10月26日閲覧
  5. ^ "Henry Ingram, 7th Viscount Irwin (1691–1761), and His Wife Anne (c.1699–1766)". Art UK (英語). 2019年10月26日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代:
チャールズ・エヴァースフィールド英語版
アーサー・イングラム
庶民院議員(ホーシャム選挙区英語版選出)
1722年 – 1736年
同職:チャールズ・エヴァースフィールド英語版
次代:
チャールズ・エヴァースフィールド英語版
チャールズ・イングラム英語版
名誉職
先代:
コンヤーズ・ダーシー英語版
イースト・ライディング・オブ・ヨークシャー統監英語版
1738年 – 1761年
次代:
カーマーゼン侯爵
スコットランドの爵位
先代:
アーサー・イングラム
アーバイン子爵
1736年 – 1761年
次代:
ジョージ・イングラム