ペドロ・マルティンス (イエズス会士)

ポルトガルのイエズス会宣教師

ペドロ・マルティンス(Pedro Martins、生年不詳 - 1598年)は、ポルトガルイエズス会宣教師[1]

経歴・人物 編集

1556年にイエズス会に入会し[1]エヴォラ大学英語版の教授となり神学の教鞭を執る[1]。後にポルトガル領インドのイエズス会管区長等を務め[1]、第2代日本司教ともなった[1]。これによって1596年文禄5年)に来日し[1]豊臣秀吉と謁見する[1]

しかし長崎にて布教活動を行った際に[1]、同年発生したサン=フェリペ号事件により殉教したキリシタン(日本二十六聖人)を目撃した事により[1]、翌1597年(文禄6年)に離日した[1]。離日後はインドに戻る予定だったが[1]、翌年渡航途中のジョホール王国マラッカ沖付近にて急逝した[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l マルティンス”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2023年8月23日閲覧。