ペーター・シュタドレン
オーストリア出身の作曲家・ピアノ奏者・音楽学者
(ペーター・シュタトレンから転送)
ペーター・シュタドレン(ピーター・スタドレン、Peter Stadlen, 1910年7月14日 - 1996年1月21日[1][2][3])は、オーストリア出身の音楽学者、ピアニスト。
ペーター・シュタドレン | |
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生誕 | 1910年7月4日 |
出身地 | オーストリアウィーン |
死没 | 1996年7月14日(86歳没) |
学歴 | [[]] |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 音楽学者、ピアニスト |
経歴
編集ウィーンの生まれ。ウィーン音楽院でパウル・ヴァインガルテンにピアノ、ヨゼフ・マルクスとマックス・スプリンガーに作曲、アレクサンダー・ウンデラーに指揮法を師事した後、1929年から1933年までベルリン高等音楽院でレオニード・クロイツァーにピアノ、ヨゼフ・グマインドルに作曲、ユリウス・プリュヴァーに指揮法を学んだ。1934年からピアニストとして演奏活動を開始して新ウィーン楽派と接近し、1937年にアントン・ウェーベルンの《ピアノのための変奏曲》を初演したり、同年にヴェネツィア・ビエンナーレでアルノルト・シェーンベルクのピアノ組曲を紹介したりした。ナチスの台頭によりイギリスへ亡命し、1946年にイギリス国籍を取得した。第二次世界大戦の終結後は、シェーンベルクの《ピアノ協奏曲》やパウル・ヒンデミットの《4つの気質》等を引っ提げてヨーロッパ中を演奏して回り、1947年から1951年までダルムシュタット夏季現代音楽講習会のピアノのマスター・クラスを受け持った。1952年にはオーストリア政府からシェーンベルク・メダルを授与されている。その後、神経障害のためにピアニストとしての活動から退き、1959年から1986年まで『デイリー・テレグラフ』の音楽評論を手掛けるようになった。
音楽学者としてのシュタドレンは、ベートーヴェンのメトロノーム記号の正当性の検証[4][5]や、アントン・シンドラーによるベートーヴェンの評伝の信憑性の検討[6]などを行っている。
ロンドンにて死去した。
脚注
編集- ^ http://www.independent.co.uk/news/people/obituary-peter-stadlen-1325373.html
- ^ oxfordindex.oup.com
- ^ http://www.encyclopedia.com/doc/1O76-StadlenPeter.html
- ^ Beethoven and the metronome: part I, in: Music and letters, Jg. 48 (1967), S. 330–349
- ^ Beethoven und das Metronom, in: Musik-Konzepte, München: Ed. Text + Kritik, Band 8 (1985), S. 12–33
- ^ Schindler's Beethoven Forgeries, in: The Musical Times, Vol. 118 (1977), S. 549–552