ペーター・ロンネフェルト

ペーター・ロンネフェルト(Peter Ronnefeld, 1935年1月26日 - 1965年8月6日)は、ドイツ指揮者作曲家[1][2][3][4]

ドレスデン出身。14歳までヴァルドルフ学校で学んだが、11歳の頃からピアニストとしてステージに立っていた。その後、ベルリン高等音楽院でハンス=エーリヒ・リーベンザームにピアノ、ボリス・ブラッハーに作曲をそれぞれ師事。1954年からパリ音楽院に留学してオリヴィエ・メシアンに作曲、イヴォンヌ・ルフェビュールにピアノを学んだ。またヒルヴェルサムでパウル・ファン・ケンペンに指揮法を学んでいる[5]。1956年からザルツブルクのモーツァルテウム音楽院で教鞭をとり、1958年にはヘルベルト・フォン・カラヤン指揮下のウィーン国立歌劇場レペティートーアを務めた。1961年にボンの歌劇場の首席指揮者に転出。さらに1963年からキール歌劇場の音楽監督に転じた。

キールにて没。

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  1. ^ ペーター・ロンネフェルト - Discogs
  2. ^ Der nächste Karajan”. 2020年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月30日閲覧。
  3. ^ アーカイブ 2009年10月21日 - ウェイバックマシン
  4. ^ アーカイブ 2020年4月30日 - ウェイバックマシン
  5. ^ Bletschacher, Richard (2008). Essays Zu Musik Und Musiktheater. Böhlau Verlag. p. 171. OCLC 762507720