ホースチェスナット
ホースチェスナット(Horse Chestnut、1995年8月19日 - 2015年2月20日)は南アフリカ共和国の競走馬。1999年に南アフリカ三冠を達成したほか、北アメリカでも勝利した。1998年 - 1999年[2]南アフリカ年度代表馬。馬名は英語でセイヨウトチノキ(馬栗)のこと。調教師はドバイでの活躍で知られるマイケル・デコック (Michael de Kock) 。
ホースチェスナット | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1995年8月19日 |
死没 | 2015年2月20日[1] |
父 | フォートウッド |
母 | ロンドンウォール |
母の父 | コルピッケリング |
生国 | 南アフリカ共和国 |
生産者 | ハリー・オッペンハイマー |
馬主 |
ハリー・オッペンハイマー &ブリジット・オッペンハイマー |
調教師 | マイケル・デコック(南アフリカ) |
競走成績 | |
生涯成績 | 10戦9勝 |
獲得賞金 | 47万4036ドル(ドル換算) |
経歴
編集1998年に南アフリカでデビュー。1999年にはケープアーガスギニーズ (G1) 、サウスアフリカンクラシック (G1) 、サウスアフリカンダービー (G1) をすべて圧勝し55年ぶりに三冠を達成した。とくにケープアーガスギニーズは6馬身と4分の3差、サウスアフリカンダービーは10馬身差もの大差での勝利であった。古馬が相手のJ&Bメトロポリタンステークス (G1) も8馬身と4分の1差で圧勝しており、この年の年度代表馬にも選出されている。
2000年は当初予定したヨーロッパ遠征がケープタウンで発生した家畜伝染病(アフリカ馬疫)のため困難になったことから北アメリカへの遠征を敢行[3]。2か月以上の検疫のうえ、約8か月振りの出走となった初ダート、ブロワードハンデキャップ (G3) を2番人気ながら5馬身半差で勝利、ここを叩き台にG1ドンハンデキャップを目指したが、左前肢の骨折[3]で引退を余儀なくされてしまった。
引退後はアメリカ合衆国で種牡馬として供用されていたが、産駒の多くが芝への適性を示したことからダート競走が中心のアメリカでは種牡馬としての人気がじょじょに下降していく[3]。そのため2009年からは生まれ故郷のケープタウンで供用されることになった。 また、南アフリカではこの馬を記念し、ホースチェスナットステークス (G1) が行われている。
2015年2月20日、南アフリカのドラケンシュタインスタッドで心不全により死去した[1]。
血統表
編集ホースチェスナットの血統(サドラーズウェルズ系 / Nearco5×5×5=9.38%、Donatello II5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 Fort Wood 1990 鹿毛 |
父の父 Sadler's Wells1981 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Fairy Bridge | Bold Reason | |||
Special | ||||
父の母 Fall Aspen1976 栗毛 |
Pretense | Endeavour | ||
Imitation | ||||
Change Water | Swaps | |||
Portage | ||||
母 London Wall 1978 鹿毛 |
Col Pickering 1971 鹿毛 |
Wilwyn | Pink Flower | |
Saracen | ||||
Julie Andrews | Shantung | |||
Eliza Doolittle | ||||
母の母 Nalatale1966 芦毛 |
Grey Sovereign | Nasrullah | ||
Kong | ||||
Antalya | Acropolis | |||
Rosario F-No.1-p |
脚注
編集外部リンク
編集- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post