ホー・バン・ラン

ホー・バン・ランベトナム語Hồ Văn Lang / 胡文郎1971年 もしくは 1972年 - )は、ベトナム戦争の戦火のため、2歳のころに、父親ホー・バン・タイン (Hồ Văn Thanh / 胡文青) とともにジャングル(密林)に避難して、社会と隔絶された自給自足の生活を送り、そして約40年ぶりにジャングルでの生活から保護された男性である。2013年の保護当時、ランは41, 42歳であり、父親タインは82歳だった。

1970年代初め(1973年という報道もある)、ベトナム戦争当初のホー親子は、ベトナム中部・クアンガイ省ベトコンの集落(村)に住んでいたが、アメリカ軍爆撃、又は地雷により、自宅のそばで、父タインの妻(ランの母)と、タインの4人の子供のうち2人を殺される。タインはショックや悲しみから、当時2歳だった息子のランを連れて、ジャングルに身を隠すようになった[1][2]

10年後の1980年代初め、村人によりホー親子が生存していることを発見されると、タインの生き残った別の息子ホー・バン・チ (Hồ Văn Tri) が2人を訪ねて、文明社会に戻るように説得したが、聞き入れられなかった[1]。また2004年には、2人はいったん山を下ろされたが、故郷の村の生活になじめず、「山が恋しい」と再び戻った[3][2]。その後、チは毎年、を届けていた[4][2]

2013年8月7日、地元の発見者の通報を受けて、地元の捜索隊が2人の保護をした。約40年の歳月が流れていた[1][2]

この歳月の間、クアンガイ省タイチャー県の森の中を約40キロメートルほど入った場所で、2人は社会との関係をほぼ持たず、地上約5 - 6メートルの木の上に、木の枝と葉で作った手製の小屋に住んでいた。樹皮で作った腰蓑ふんどしの形状)だけを身に着け、ベトナム戦争の砲弾が材料の[2]、手製の(山刀)でをとっていた。キャッサバ(イモ)やトウモロコシを栽培し、野草と果物、弓矢ナイフで狩り(狩猟)をした肉などを食べて過ごしていた[1][3][5]

発見時、ランは、出身民族の少数民族コー族英語版(コー族)の単語をわずかしか話せない状態で、意味のある会話ができない状態であった[3][6][2]。父タインは話をする習慣を忘れており、そのうえ、高齢のタインは自力で歩けぬほど衰弱していた[1]

また、住んでいた小屋の中には、父タインが過去着用した兵士のズボンが折りたたまれて保管され、ランが幼い頃に身に着けていた小さな赤いコートとが残っていた[5]

脚注編集

外部リンク編集