ミュッテルソルツMuttersholtzドイツ語:Müttersholz)は、フランスアルザス地域圏バ=ラン県コミューン

Muttersholtz

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) グラン・テスト地域圏
(département) バ=ラン県
(arrondissement) セレスタ=エルスタン郡
小郡 (canton) マルコルサイム小郡
INSEEコード 67311
郵便番号 67600
市長任期 パトリック・バルビエ
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) C.C. de Sélestat
人口動態
人口 1719人
1999年
人口密度 136人/km2
地理
座標 北緯48度16分09秒 東経7度32分05秒 / 北緯48.2692度 東経7.5347度 / 48.2692; 7.5347座標: 北緯48度16分09秒 東経7度32分05秒 / 北緯48.2692度 東経7.5347度 / 48.2692; 7.5347
標高 平均:? m
最低:162 m
最高:170m
面積 12.67km2 (1 267ha)
Muttersholtzの位置(フランス内)
Muttersholtz
Muttersholtz
公式サイト Commune de Muttersholtz
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地理

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ミュッテルソルツはセレスタから7km離れている。ディーボルサイムからの道路沿いにある。以前城のあったアーンヴィールと、貴族のラトサムオサン家(ラスザンハウゼン家)発祥の地であるニーデル=ラトサムオサンの2集落を含む。ミュッテルソルツはアルザス中央部のリード地方の最も重要な地の1つである。

歴史

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ミュッテルソルツは、森の女神に捧げられた森の上につくられた。ダクサンラン小郡で見つかった遺跡は、レンガでできた基礎の上にあり、丸みを帯びた形状で寺院や記念物を彷彿とさせる。アウグストゥス帝はこの地の神に敬意を表していた可能性がある。なぜなら森の一部には、ドイツ語で「皇帝の庭」を意味するKaysersgartenという建物の遺構があったからである。

12世紀、エベルミュンステール修道院が教会と農地を中心とする領地の所有者だった。12世紀に村はリヒテンベルク家のものとなり、1367年からフランス革命まで貴族のラトサムオサン家はアーンヴィールを封土とした。12世紀よりあったサントゥルバン教会は、ラトサムオサン家が宗教改革でプロテスタントに改宗すると、1575年からプロテスタント教会となった。

三十年戦争はまちに不幸をもたらし、まちは血を流し、住民のほとんどが殺された。1678年のナイメーヘンの和約でまちはフランス領となり、平和が訪れた。飢饉や戦争で人口が激減したまちへ、外国人による再入植が行われた。19世紀以来、サント=マリー=オー=ミーヌのメーカーによってまちの紡績産業が発達した。この時代、製油所やアサの製造工場、製粉所があった。1898年には水力発電所が移ってきた。このまちで商売は重要で、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教徒の3つのコミュニティーが存在していた。

ミュッテルソルツは、青や赤のタイル模様が特徴のアルザス独特のリネン織物、ケルシュ(Kelsch)最後の砦として知られている。

人口統計

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1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2008年
1383 1450 1559 1629 1651 1719 1904

参照元:INSEE[1]

脚注

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