モルターニュ=シュル=セーヴル

モルターニュ=シュル=セーヴルMortagne-sur-Sèvre)は、フランスペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ヴァンデ県コミューン

Mortagne-sur-Sèvre


地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏
(département) ヴァンデ県
(arrondissement) ラ・ロッシュ=シュル=ヨン郡
小郡 (canton) モルターニュ=シュル=セーヴル小郡
INSEEコード 85151
郵便番号 85290
市長任期 アラン・ブロショワール
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Pays-de-Mortagne
人口動態
人口 5958人
2013年
人口密度 272人/km2
住民の呼称 Mortagnais
地理
座標 北緯46度59分33秒 西経0度57分09秒 / 北緯46.9925度 西経0.9525度 / 46.9925; -0.9525座標: 北緯46度59分33秒 西経0度57分09秒 / 北緯46.9925度 西経0.9525度 / 46.9925; -0.9525
標高 平均:m
最低:57m
最高:151m
面積 21.94km2
Mortagne-sur-Sèvreの位置(フランス内)
Mortagne-sur-Sèvre
Mortagne-sur-Sèvre
公式サイト Site officiel
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地理 編集

県北東部にあり、メーヌ=エ=ロワール県ショレとは7kmほどしか離れていない。

歴史 編集

先史時代、モルターニュの土地は農耕民が定住し、その後ピクトン(ポワトゥー)のガリア人によって移住が行われた。ガリアの他の部分と同様、紀元前58年から紀元前51年にかけてカエサルがこの地方を占領した。

Mortagneという名称は、おそらくマウレタニア出身の兵士たちで構成されたローマのレギオンにちなんで名づけられた。彼らは帝国末期に命令を受けて防衛の責務を負っていたからである。別の説では、Mortagneはガロ=ローマ語のmorte-agne(小さな潮)からきていると推測する[1]。しかし、この説明は信頼できるに足りない。ラテン語で水を意味するaquaは-agneを進化させることができたからである。

中世、町はポワトゥーに属し、ブルターニュとポワトゥーの国境地帯となっていた。この時代に町の主要な歴史的建築物が建てられている。城、教会、小修道院、ハンセン病患者療養所、貴族の邸宅である。モルターニュは情報通信の重要な十字路となり、加えて農業、皮なめしで知られる産業活動によって発展していった。貿易はセーヴル・ナンテーズ川を通じて可能であった[2]

ルネサンス時代、モルターニュは建築の復活から逃れられなかった。城や貴族の邸宅は時代に応じて変えられた。農業と産業はさらに拡大した。ヴァンデ戦争においてはモルターニュは殺人と破壊の犠牲者となり、町は完全に焼け落ちた。19世紀、教会や住宅再建のための補助金が出された[3]

20世紀、鉄道や電気の出現で産業の新たな分野はかなり発展した。産業ゾーンは新たな労働者のニーズを満たすためつくられた。1964年、モルターニュ=シュル=セーヴル、エヴリュヌ、サンティレール=ド=モルターニュが合併した[4]

人口統計 編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2008年 2013年
2594 4246 4691 5301 5724 5938 6074 5958

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[5]、2004年以降INSEE[6][7]

姉妹都市 編集

脚注 編集