マリアーノ・ラホイ・ブレイ

ラホイから転送)

マリアーノ・ラホイ・ブレイMariano Rajoy Brey1955年3月27日 - )は、スペインア・コルーニャ県サンティアゴ・デ・コンポステーラ出身の政治家。2011年から2018年まで第6代スペイン首相を務めた。

マリアーノ・ラホイ・ブレイ
Mariano Rajoy Brey
生年月日 (1955-03-27) 1955年3月27日(69歳)
出生地 スペインの旗 スペインア・コルーニャ県サンティアゴ・デ・コンポステーラ
出身校 サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学
前職 Trotona de Pontevedra
所属政党 国民党(PP)
配偶者 エルビラ・フェルナンデス・バルボーア[1]
サイン

在任期間 2011年12月21日 - 2018年6月2日
国王 フアン・カルロス1世
フェリペ6世

国民党党首
在任期間 2004年10月16日 - 2018年7月21日

スペインの旗 第一副首相
在任期間 2000年4月27日 - 2003年9月4日

スペインの旗 首相府相
在任期間 2002年7月10日 - 2003年9月4日

スペインの旗 内務相
在任期間 2001年2月27日 - 2002年7月10日

その他の職歴
スペインの旗 首相府相
(2000年4月27日 - 2001年2月27日)
スペインの旗 教育科学相
(1999年1月18日 - 2000年4月27日)
スペインの旗 公共行政相
(1996年5月6日 - 1999年1月18日)
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ホセ・マリア・アスナール政権の公共行政大臣スペイン語版、教育文化大臣スペイン語版、内務大臣スペイン語版、第一副首相スペイン語版国民党党首(PP)などを歴任した。

経歴 編集

生い立ち 編集

サンティアゴ・デ・コンポステーラに判事の息子として生まれ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学で法律を学んだ。スペインでは高度な法律専門職である登記官の資格試験に最年少の23歳で合格、不動産登記官としてのキャリアをスタートした。

ガリシア州時代(1981 - 1991) 編集

1981年、当時の国民同盟(現国民党の前身)に入党。同年10月20日に行われた第一回ガリシア自治州議会選挙に出馬し、史上最年少で当選する。1983年5月8日実施の自治体選挙でポンテベドラの自治体評議員に当選、ポンテベドラ県県議会議長に選出される[2]。1986年の総選挙ではポンテベドラ県のスペイン国会下院議員候補者リストの筆頭になり、当選するが、11月に辞任し、ガリシア自治州政府の副首相に就任(1986-87年)。1991年7月まで国民同盟のポンテベドラ県代表に就き、そして約2年間にわたって同党のガリシア州総書記を務める。

1989年1月に国民同盟から国民党に変り、それ以降同党全国委員会のメンバーとなる。同年10月の総選挙でポンテベドラ県選出下院議員に当選した

アスナール政権の閣僚(1996 - 2004) 編集

1993年6月の総選挙で再選。続く1996年3月の総選挙においても再選された。同選挙では国民党はフェリーペ・ゴンサーレス率いる社会労働党に勝利、ホセ・マリア・アスナール政権が誕生した。

同年5月5日公共行政大臣に就任、1999年1月には批判の矢面にさらされていたエスペランサ・アギーレに替わって教育文化大臣に就任し、職業教育新プランを可決させた。そして同月に実施された国民党第8回党大会において、同党副総書記に再任された。

2000年の総選挙では選挙の指揮を執り、過半数を獲得、ラホイは第一副首相と首相府相(日本の内閣官房長官に相当)を兼務することとなった。

2001年2月には首相府相を辞任、バスク州首相候補となったハイメ・マジョール・オレハの後任として内務相に就任した。

2002年7月内務相から首相府相に就任。

2004年3月の総選挙前にアスナール首相が勇退を表明していたため、ラホイはアスナールの後任として国民党党首に就任し、首相候補として選挙戦を戦った。好調な経済などから事前の世論調査では勝利が確実視されていたが、投票日直前の3月11日に首都マドリードで起きたテロに対するアスナール政権の対応のまずさで、前回より35議席減の148議席獲得にとどまり、164議席を獲得した社会労働党に敗北。サパテーロ政権の誕生となった。

野党党首 (2004 - 2011) 編集

ラホイ率いる国民党は 2008年総選挙でも政権奪還に失敗したが、議席・得票率・得票数いずれも前回を上回り、党首を続投した。

3度目の挑戦となった2011年の総選挙では経済危機で政府与党に対する批判が強まる中、過半数を大きく上回る186議席を獲得し、社会労働党に76議席の差をつける歴史的な圧勝を果たした。

スペイン首相 (2011 - 2018) 編集

12月20日、下院にてナバーラ住民連合(UPN)とアストゥリアス市民フォーラム(FAC)の支持も得て[3]、第6代首相に指名された[4][5]

 
2013年2月2日、国民党本部前で起こった市民デモ。汚職疑惑に抗議している。

2013年1月31日、スペイン紙エルパイスがラホイを含む与党国民党の汚職疑惑を報じた。企業献金から、不正な支払いがラホイ首相など国民党幹部に支払われていたというもので、ラホイには11年にわたって年間2万5200ユーロ(3万4200ドル)が支払われていたとされる[6]。ラホイは不正を否定しているが、野党は政治家の信頼回復のために首相に辞任を要求している[7]

この汚職疑惑が原因の一つとなって、2013年2月4日にはスペインの国債が下落、ユーロが主要16通貨の過半数に対して値下がりした[8]。国民の間では抗議デモが起きている[9]

2013年10月に日本を実務訪問し、安倍晋三首相と会談した。ラホイと安倍は前月に東京都マドリード2020年夏季オリンピックパラリンピック招致を争ったIOC総会アルゼンチンブエノスアイレス)において顔を合わせているが、ラホイは改めて東京オリンピック・パラリンピック開催決定に祝意を述べ、日本とスペインの交流400周年を契機とした両国関係の強化などで安倍と合意した[10]首脳会談の前にラホイは福島県を訪問し、2011年アストゥリアス皇太子賞(平和部門)を受賞したフクシマ50代表者と懇談した[11]

2014年6月2日、国王フアン・カルロス1世が退位を表明し、ラホイにその旨を伝達した。この時点ではスペインにおいて国王の生前退位・譲位を定めた法令が存在しなかったため、ラホイは関係法案提出を急いだ[12]。6月18日に「国王の退位に関する法律」を上下両院は可決し、フアン・カルロス1世は長男のフェリペ6世に譲位した。

2015年12月の総選挙では国民党は第1党を維持したものの議席を大きく減らし、下院の過半数を維持できなくなった。他党との連立協議は不調に終わり、ラホイはフェリペ6世から首相候補となるよう要請されたが、「必要な支持を得られていない」と辞退した[13]。しかし、社会労働党のペドロ・サンチェス書記長(党首)の首班指名は否決され、下院は首相を指名できない事態が続いた。2016年5月、ついに憲法の規定により国王が上下両院を解散し再選挙することとなった。こうして6月26日に議会総選挙が執行され、再び国民党は第1党を維持したもののやはり過半数は得られなかった[14]。ラホイ暫定首相を首班とした政権樹立を目指したが、社会労働党がその信任を拒否したため政権発足は暗礁に乗り上げた[15]。しかし10月1日になって社会労働党はサンチェス書記長の辞任を決定し[16]、10月23日になって首相信任投票で棄権することを発表したことで、ラホイ政権は信任されることとなった[17]。11月3日に新内閣が発足し、2015年末の総選挙以来、約10ヶ月間に及ぶ暫定的政権は終わりを迎えた[18]。その後も野党からの不満はくすぶり続けたが、2017年6月14日には内閣不信任決議案を賛成82、反対170票、棄権97票で否決。しかし与党に汚職事件が持ち上がり、2018年5月に再び不信任決議案を出された。6月1日の採決では賛成180票、反対169票、棄権1票で不信任決議は可決され[19]、翌2日に社会労働党のサンチェス書記長が首相への就任宣誓を行いラホイは退任した[20]。1977年のスペイン民主化以来、初の不信任決議可決による首相辞任となった[21]

首相退任後 (2018 - ) 編集

首相退任後は国民党の党首も辞任し、政治活動を始める前の役職だったバレンシア州アリカンテ県サンタ・ポラ市の不動産登記官として復職する。

人物 編集

穏和な人柄で調整型の政治家とされる。葉巻好きでレアル・マドリードの熱狂的なファン[22]。夫人と2人の息子がいる。その一方、ペルー大統領との会談後の記者会見でペルーとキューバと混同したり[1]、首相就任後に野党時代のまま「首相殿」という挨拶から国会での演説を始めたり[2]、2016年最後の記者会見で「よいお年を」という際に「よい2016年を」と言ったり[3]アンダルシア州知事ではなく「アンダルシア市長」と言ったり[4]など、事実誤認による言い間違いが多いことでも知られる。

脚注 編集

  1. ^ La desconocida vida de la mujer de Rajoy” (スペイン語). Tiempo de Hoy. 2011年11月17日閲覧。
  2. ^ PRESIDENTES DA DEPUTACIÓN” (ガリシア語). Deputación de Pontevedra. 2011年11月17日閲覧。
  3. ^ 信任投票結果:支持に回ると予想された集中と統一(Ciu)は不支持に、そしてアマユールは棄権した。支持票は国民党(PP)、ナバーラ住民連合(UPN)、アストゥリアス市民フォーラム(FAC)の187票。反対票は、社会労働党(PSOE)、集中と統一(Ciu)、統一左翼(IU)、連合進歩民主(UPyD)ガリシア民族主義ブロック(BNG)、Geroa Bai、Compromís-Equoの149票、棄権票はアマイユール、バスク民族主義党(PNV-EAJ)、カナリア同盟(CC)の14票であった。
  4. ^ Rajoy es investido presidente del Gobierno” (スペイン語). RTVE(スペイン国営放送). 2011年12月20日閲覧。
  5. ^ Rajoy, presidente con 187 'síes', el 'no' de CiU y la abstención de Amaiur” (スペイン語). El País. 2011年12月20日閲覧。
  6. ^ “スペイン首相、企業献金から不正に資金受領との報道否定”. ニューズウィーク. (2013年2月1日). http://www.newsweekjapan.jp/headlines/business/2013/02/92886.php 2013年2月5日閲覧。 
  7. ^ Andrew Blackman (2013年2月4日). “ラホイ首相批判収まらず、野党は辞任要求-不正疑惑否定で”. ブルームバーグ. http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MHODFU6JTSFD01.html 2013年2月5日閲覧。 
  8. ^ Dave Liedtka (2013年2月4日). “NY外為:ユーロが下落、政情不安で-円は対ドル一時93円台”. ブルームバーグ. http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MHOUHU6KLVS401.html 2013年2月5日閲覧。 
  9. ^ “スペイン首相に不正資金疑惑 辞任求める声も”. 産経新聞. (2013年2月4日). https://web.archive.org/web/20130205033928/http://sankei.jp.msn.com/world/news/130204/erp13020419210002-n1.htm 2013年2月5日閲覧。 
  10. ^ 日スペイン首脳会談及びワーキングディナー(概要)”. 外務省. 2016年7月15日閲覧。
  11. ^ ラホイ・スペイン首相の訪日(概要と評価)”. 外務省. 2016年7月15日閲覧。
  12. ^ “スペイン国王が退位、フェリペ皇太子に譲位”. 日本経済新聞. (2014年6月2日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0202J_S4A600C1FF8000/ 2016年7月15日閲覧。 
  13. ^ “スペイン・ラホイ首相が組閣断念、時間稼ぎと野党は批判”. ロイター. (2016年1月25日). http://jp.reuters.com/article/spain-politics-idJPKCN0V301B 2016年7月15日閲覧。 
  14. ^ “スペイン総選挙、国民党が第1党維持 過半届かず新たな政治空白も”. ロイター (ロイター). (2016年6月27日). http://jp.reuters.com/article/spain-election-result-idJPKCN0ZC13Z 2016年10月28日閲覧。 
  15. ^ “スペインの社会労働党は暫定首相信任せず”. ロイター (ロイター). (2016年8月30日). http://jp.reuters.com/article/spain-politics-idJPKCN11420H 2016年10月28日閲覧。 
  16. ^ “スペイン野党党首が辞任、ラホイ新政権発足の可能性高まる”. ロイター (ロイター). (2016年10月3日). http://jp.reuters.com/article/spain-politics-idJPKCN1230E5 2016年10月28日閲覧。 
  17. ^ “スペイン政治空白が解消へ 社会労働党が信任投票を棄権 首相続投に道筋”. 産経新聞. (2016年10月23日). https://www.sankei.com/article/20161023-OLASG7XXJROLPORDYCKJTUI4XY/ 2016年10月28日閲覧。 
  18. ^ [スペインのラホイ首相が新内閣発足、野党からは不満の声 “http://jp.reuters.com/article/rajoy-new-cabinet-idJPKBN12Z09F”]. ロイター (ロイター). (2016年11月4日). スペインのラホイ首相が新内閣発足、野党からは不満の声 2017年6月15日閲覧。 
  19. ^ “スペイン:ラホイ政権の不信任決議可決-サンチェス氏が次期首相へ”. ブルームバーグ. (2018年6月1日). https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-06-01/P9N09J6K50XS01 2018年6月1日閲覧。 
  20. ^ “Pedro Sánchez is sworn in as Spain's new prime minister”. BBC News. BBC. (2018年6月2日). https://www.bbc.com/news/world-europe-44340879 2018年6月2日閲覧。 
  21. ^ “スペイン議会、ラホイ首相の不信任案可決 新首相誕生へ”. AFPBB News. フランス通信社. (2018年6月1日). https://www.afpbb.com/articles/-/3176906 2018年6月1日閲覧。 
  22. ^ “スペイン 7年半ぶり政権交代”. 産経新聞. (2011年11月21日). http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/europe/535865/ 2012年8月30日閲覧。 
公職
先代
フェデリーコ・シフエンテス
  ポンテベドラ県議会議長
1983年 - 1986年
次代
フェルナンド・ガルシーア・デル・バジェ
先代
ホセ・ルイス・バレイロ
  ガリシア自治州副首相
1986年 - 1987年
次代
ホセ・ルイス・バレイロ
先代
ジュアン・レルマ
  公共行政相
1996年 - 1999年
次代
アンヘル・アセーベス
先代
エスペランサ・アギーレ(es)
  教育科学相
1999年 - 2000年
次代
ピラール・デル・カスティージョ
先代
フランシスコ・アルバレス・カスコス
  第一副首相
2000年 - 2003年
次代
ロドリーゴ・ラト(es)
先代
フランシスコ・アルバレス・カスコス
  首相府相
2000年 - 2001年
次代
フアン・ホセ・ルーカス
先代
ハイメ・マジョール・オレハ
  内務相
2001年 - 2002年
次代
アンヘル・アセーベス
先代
フアン・ホセ・ルーカス
  首相府相
2002年 - 2003年
次代
ハビエル・アレーナス
先代
ピオ・カバニージャス
  政府スポークスマン
2002年 - 2003年
次代
エドゥアルド・サプラーナ
先代
ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテーロ
  スペイン首相
第6代:2011年 - 2018年
次代
ペドロ・サンチェス
党職
先代
ハビエル・アレーナス
  国民党幹事長
2003年 - 2004年
次代
アンヘル・アセーベス
先代
ホセ・マリア・アスナール
  国民党党首
2004年 - 2018年
次代
パブロ・カサード