ラマー・オドム
ラマー・ジョセフ・オドム(Lamar Joseph Odom),1979年11月6日 - )は、アメリカ合衆国・ニューヨーク市クイーンズ区出身の元バスケットボール選手。ポジションは主にフォワードであるが、あらゆるポジションをこなせるNBA屈指のユーティリティプレーヤーだった。身長208cm、体重104kg。左利き。ソーシャライトのクロエ・カーダシアンと2009年に結婚したが、2013年に離婚申請し、2016年に離婚が成立した。
2012年のオドム | ||||||||||||||||||
引退 | ||||||||||||||||||
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ポジション(現役時) | SF/PF | |||||||||||||||||
背番号(現役時) | 7 | |||||||||||||||||
身長(現役時) | 208cm (6 ft 10 in) | |||||||||||||||||
体重(現役時) | 104kg (229 lb) | |||||||||||||||||
シュート | 左 | |||||||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||||||
本名 | Lamar Joseph Odom | |||||||||||||||||
愛称 | The Goods, Stardom | |||||||||||||||||
ラテン文字 | Lamar Odom | |||||||||||||||||
誕生日 | 1979年11月6日(41歳) | |||||||||||||||||
国 |
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出身地 |
ニューヨーク州ニューヨーク市 クイーンズ区 | |||||||||||||||||
出身 | ロードアイランド大学 | |||||||||||||||||
NBAドラフト | 1999年 7位 | |||||||||||||||||
選手経歴 | ||||||||||||||||||
1999-2003 2003-2004 2004-2011 2011-2012 2012-2013 2014 |
ロサンゼルス・クリッパーズ マイアミ・ヒート ロサンゼルス・レイカーズ ダラス・マーベリックス ロサンゼルス・クリッパーズ ニューヨーク・ニックス | |||||||||||||||||
受賞歴 | ||||||||||||||||||
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Stats ![]() | ||||||||||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||||||
キャップ |
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経歴編集
学生時代編集
高校時代は、パレード誌選出のプレーヤー・オブ・ザ・イヤーや、USAトゥデイ紙選出の全米ファーストチームに選出された。 その後ネバダ大学ラスベガス校に進学するもオドムは5600ドルの裏金を受け取っていた事が発覚し、オドムはロードアイランド大学に転校する。2年生時には同大学をアトランティック・10カンファレンスのトーナメントで優勝に導いた。
NBA編集
- ロサンゼルス・クリッパーズ
ロードアイランド大学の2年生終了後、1999年のNBAドラフトにアーリーエントリーし、ロサンゼルス・クリッパーズに1巡目4位で指名され入団。一年目の1999-2000シーズン、オドムは16.6得点、7.8リバウンド、4.2アシストと上々の活躍でオールルーキー1stチームに選出された。その後もまずまずの成績でクリッパーズに4年間所属した。
- マイアミ・ヒート
2003年、マイアミ・ヒートに移籍。2003年-04シーズンは、1試合あたり17.1点、9.7リバウンドと活躍し、ルーキーのドウェイン・ウェイドと共にプレイオフ進出の原動力となる。シーズン終了後、オドムはカロン・バトラーらと共に、シャキール・オニールとのトレードでロサンゼルス・レイカーズに移籍する。
- ロサンゼルス・レイカーズ
レイカーズでの1年目は、コービー・ブライアントとの共演で期待されたがチームは振るわず、名門レイカーズはプレイオフ進出を逃してしまう。
2005-06シーズン、レイカーズはフィル・ジャクソン監督と再び契約し再建を行う。オドムはトライアングル・オフェンスの一角として、元ブルズの名フォワードスコッティ・ピペンの様なポイントフォワードとしての役割を任されるようになった。シーズンが進むにつれオドムはチームと適合し、2試合連続のトリプル・ダブルも記録した。07-08シーズン途中にパウ・ガソルが加入すると、以降6thマンとして重要な役割を担い、08-09、09-10シーズンのNBAファイナル2連覇に大きく貢献した。
- ダラス・マーベリックス
2011年12月12日、トレードでダラス・マーベリックスに移籍した。期待されたものの平均6.6得点、4.2リバウンドにとどまり、2012年4月契約を解除されることとなった[1]。
- ロサンゼルス・クリッパーズ
2012年6月29日、古巣のロサンゼルス・クリッパーズに加入した。
オリンピック編集
2004年アテネオリンピックにアメリカ代表として参加し平均5.8得点を記録。銅メダルを獲得した。これまでの国際試合のキャップ数は14試合である。
プレイスタイル編集
バスケットボールにおける五つのポジションをすべてこなすことができる、NBA有数のユーティリティプレーヤー[2]。
208cmと長身ながらボールハンドリングに優れている[2]。またセンターのような長身に加えて、広いウイングスパンを持ち合わせており、スモールフォワードのようなクイックネスも身につけている[3]。
その他編集
脚注編集
- ^ “マブスとL・オドムが決別”. nba.co.jp (2012年4月10日). 2012年4月13日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年4月10日閲覧。
- ^ a b “Knicks Rumors: Could Lamar Odom Help New York Compete?”. bleacherreport.com (2012年6月4日). 2015年1月31日閲覧。
- ^ Jonathan Tjarks (2013年11月11日). “Lamar Odom's Complicated Legacy”. basketball.realgm.com. 2015年1月31日閲覧。
- ^ “デリック・ローズ、若いころに肉体のケアをしなかったことを悔やむ「当時の僕は子どもだった」”. バスケットボールキング (2020年6月24日). 2020年6月24日閲覧。
- ^ Lamar Odom's Son Dies While Sleeping
- ^ ケイ小原 (2013年8月26日). “【イタすぎるセレブ達】クロエ・カーダシアン、ドラッグ依存の夫を家から追い出す。以来、連絡がつかず…。”. ネタりか. Techinsight (MEDIAPRODUCTSJAPAN CO,LTD.). オリジナルの2013年8月29日時点におけるアーカイブ。
外部リンク編集
- ラマー・オドム --- 略歴と生涯成績 --- NBA (英語),Basketball-Reference (英語)
- 公式サイト (英語)