リュネヴィル

フランスのコミューン

リュネヴィルLunéville)は、フランスグラン・テスト地域圏ムルト=エ=モゼル県コミューンムルト川ヴズーズ川の合流地点にあり、ナンシーの南東30kmにある。パリからはLGV東ヨーロッパ線で1時間55分ほどである。

Lunéville



地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) グラン・テスト地域圏
(département) ムルト=エ=モゼル県
(arrondissement) リュネヴィル郡
小郡 (canton) 2小郡庁所在地
INSEEコード 54329
郵便番号 54300
市長任期 ジャック・ランブラン
2008年-2014年
人口動態
人口 21 112人
2008年
人口密度 1 292人/km2
地理
座標 北緯48度35分22秒 東経6度30分06秒 / 北緯48.589444度 東経6.501667度 / 48.589444; 6.501667座標: 北緯48度35分22秒 東経6度30分06秒 / 北緯48.589444度 東経6.501667度 / 48.589444; 6.501667
標高 平均:? m
最低:m
最高:m
面積 16,34km2 (1 634ha)
Lunévilleの位置(フランス内)
Lunéville
Lunéville
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古い地名はルナエ=ヴィラ(Lunae-villa)といった。女神ディアーナ/アルデュイナへの太古の信仰から、月を意味するlunaが含まれていたとされる。最初にこの定住地が歴史に登場したのは10世紀であった。水運を利用した塩の運搬が行われていたことによる。最初のリュネヴィル城が築かれたのも同時期である。ドイツの諸侯が幾度か領有を繰り返した後、最終的にトゥール司教がリュネヴィル伯となったことで決着した。1243年、リュネヴィル伯位はロレーヌ公国の元に渡った。17世紀以降、歴代のロレーヌ公は好んでリュネヴィルに暮らし、町を美しく再建した(首都であるナンシーは行政上の首都として機能した)。画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールはその経歴のほとんどをリュネヴィルで過ごした。1786年、ルイ16世は、リュネヴィル初のシナゴーグ建設の認可を与えている。

1801年2月、リュネヴィルの和約が結ばれ、フランス第一共和政オーストリアが休戦した。普仏戦争後の1871年、フランクフルト条約が結ばれ、アルザス=ロレーヌはドイツ領となり、フランスと向かい合う最前線となってドイツ軍が駐屯した。

18世紀、近郊のコミューンであるサン=クレマン(Saint-Clément)で採れる粘土に目をつけたジャック・シャンブレットが、リュネヴィル焼(Faïence de Lunéville)と呼ばれる陶器と半磁器の生産を始め、市の名をさらに有名にした。

みどころ

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市内にはシナゴーグの他、2箇所のモスクがある。

姉妹都市

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外部リンク

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