ルイ・アルマン1世 (コンティ公)

ルイ・アルマン1世・ド・ブルボン=コンティフランス語: Louis Armand Ier de Bourbon-Conti, prince de La Roche-sur-Yon, 2e prince de Conti1661年4月4日 - 1685年11月9日)は、フランスの貴族。第2代コンティ公

ルイ・アルマン1世・ド・ブルボン=コンティ
Louis Armand Ier de Bourbon-Conti
第2代コンティ公
在位 1666年 - 1685年

出生 (1661-04-04) 1661年4月4日
フランス王国パリ
死去 (1685-11-09) 1685年11月9日(24歳没)
フランス王国フォンテーヌブロー宮殿
配偶者 マリー・アンヌ・ド・ブルボン
家名 ブルボン=コンティ家
父親 コンティ公アルマン
母親 アンヌ・マリー・マルティノッジ
宗教 キリスト教カトリック
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生涯

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初代コンティ公アルマンと妻アンヌ・マリー・マルティノッジの長男として、パリで生まれた。1680年、マリー・アンヌ・ド・ブルボンルイ14世と愛妾ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールの子)と結婚した。妻とは不仲で子供はなかった。

ルイ・アルマンは1683年にフランドルで軍人として目覚ましい活躍を見せ、王になりたいという自身の望みからハンガリーへ生き、第二次ウィーン包囲への反攻でオスマン帝国軍を打ち破るのに荷担した。1685年、妻マリー・アンヌから天然痘が感染して急死した。公位は弟フランソワ・ルイが継承した。

参考文献

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  •   この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Conti, Princes of". Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.
先代
アルマン
コンティ公
1666年 - 1685年
次代
フランソワ・ルイ