ル・バール=シュル=ルー
ル・バール=シュル=ルー (Le Bar-sur-Loup)は、フランス、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏、アルプ=マリティーム県のコミューン。1961年3月27日のデクレによって、ル・バールからル・バール=シュル=ルーに正式に変更された。
Le Bar-sur-Loup | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏 |
県 (département) | アルプ=マリティーム県 |
郡 (arrondissement) | グラース郡 |
小郡 (canton) | ヴァルボンネ小郡 |
INSEEコード | 06010 |
郵便番号 | 06620 |
市長(任期) |
リシャール・リベロ (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération de Sophia Antipolis |
人口動態 | |
人口 |
2 926人 (2010年) |
人口密度 | 202人/km2 |
住民の呼称 | Aubarnais/Barois |
地理 | |
座標 | 北緯43度42分08秒 東経6度59分23秒 / 北緯43.7022222222度 東経6.98972222222度座標: 北緯43度42分08秒 東経6度59分23秒 / 北緯43.7022222222度 東経6.98972222222度 |
標高 |
平均:m 最低:100 m 最高:1312 m |
面積 | 14.47km2 |
公式サイト | Site de la mairie |
地理
編集コミューンの名ともなっているルー(Loup)は、町を横切ってヴィルヌーヴ=ルベ付近で地中海に注ぐ、沿岸河川の名称である。
経済
編集香水製造のマヌ社は、グラースに近いル・バール=シュル=ルーに本社および工場を置いている。
歴史
編集ランボー・ド・グラース(1351年頃没)は、騎士でありル・バール領主であった。彼はプロヴァンスの大都市で地位を得た。1322年、彼はムアンの土地の一部を女領主ボーラから買い取っている。1328年、彼は皇帝ルイ・ド・バヴィエールに対抗するロベール王の息子シャルルの下で傭兵となった[1]。
ジョヴァンナ1世の死後に生じた危機のさなか、バール領主はルイ・ダンジューに対抗したシャルル・ド・デュラスを支持していた。1386年にアンジュー家側によってグラース出兵が引き起こされると、彼は立場を変え、新しいアンジュー公ルイ2世に忠誠を誓った[2]。
ル・バール=シュル=ルー近郊の村落では、有名な水道橋の残骸を見ることができる。1940年に工事が始まり、1942年に完成した橋は、第二次世界大戦中に侵攻して来たドイツ軍が、戦争末期に退却する際に破壊されている。
人口統計
編集1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2012年 |
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1501 | 1647 | 1691 | 2043 | 2465 | 2543 | 2726 | 2926 |
史跡
編集- サン・ジャック・ル・マジュール教会
- グラース伯の城 - 13世紀
- サラシーヌ門 - 別名オピタル門。保存されている城壁のうち唯一つの門
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サン・ジャック・ル・マジュール教会
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教会の壁に刻まれたロマネスク様式のプラーク
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グラース伯の城
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かつてのダンジョンの基礎部分
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サラシーヌ門
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ルー川の渓谷
姉妹都市
編集ゆかりの人物
編集脚注
編集- ^ Marquis de Grasse, Grasse, t.I, p. 30
- ^ Geneviève Xhayet, « Partisans et adversaires de Louis d'Anjou pendant la guerre de l'Union d'Aix », Provence historique, Fédération historique de Provence, volume 40, no 162, « Autour de la guerre de l'Union d'Aix », 1990, p. 422.
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=2597
- ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
- ^ http://www.insee.fr