ル・ペック

フランスのイル=ド=フランス地域圏イヴリーヌ県のコミューン

ル・ペック (Le Pecq)は、フランスイル=ド=フランス地域圏イヴリーヌ県コミューン

Le Pecq

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル・ド・フランス地域圏
(département) イヴリーヌ県
(arrondissement) サン=ジェルマン=アン=レー郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 78481
郵便番号 78230
市長任期 ロランス・ベルナール
2008年-2014年
人口動態
人口 16 496人
2010年
人口密度 5 808人/km2
住民の呼称 Alpicois
地理
座標 北緯48度51分56秒 東経2度08分25秒 / 北緯48.8656度 東経2.1403度 / 48.8656; 2.1403座標: 北緯48度51分56秒 東経2度08分25秒 / 北緯48.8656度 東経2.1403度 / 48.8656; 2.1403
標高 最低:67 m
最高:176 m
面積 2.84km2
Le Pecqの位置(フランス内)
Le Pecq
Le Pecq
公式サイト site officiel
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地理

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コミューンはセーヌ川がループ状に蛇行した位置にあり、パリの西19kmの地点にある。サン=ジェルマン=アン=レー城の麓にあたる。メニル=ル=ロワ、モンテッソン、ル・ヴェジネ、クロワシー=シュル=セーヌ、ポール=マルリー、マルリー=ル=ロワ、マレイユ=マルリー、サン=ジェルマン=アン=レーと接している。

交通

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歴史

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サン=ジェルマンの城から見たル・ペックのまち。遠方にラ・デファンスのビル群が見える

中世にオペック(Aupec)という名の村が現れる。ブドウ畑で有名なル・ペックは、704年にキルデベルト3世の憲章内で初めて記載されている。

1595年、アンリ4世の側近たちがル・ペックの住民たちに18から20エーカーの土地を王に割譲するよう命じた。サン=ジェルマンの新城の庭園を建設するためであった。その見返りとして、ル・ペック住民は税金が免除され、彼らはこの特権をフランス革命まで保持した。アンシャン・レジーム時代、ルーヴル宮殿からサン=ジェルマンの城へ王家の船を利用してセーヌ川を経由し、村でルイ13世ルイ14世が何度か休暇を過ごした。

1837年、最初の鉄道路線がパリ-ル・ペック間に敷かれた。これがパリ・サン・ラザール-サン=ジェルマン=アン=レー線(fr)である。当時の終着点はセーヌ右岸にあるル・ペック港であった。機関車が、数十m下の川を見下ろす、サン=ジェルマンの丘を登るのに必要な進入路に対処できなかったからである。

ルイ14世はサン=ジェルマン=アン=レー城で誕生している。国を追われたジェームズ2世が滞在していたこともある。

人口統計

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1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
10688 13734 17548 17196 17006 16318 15690

参照元:1962年以降EHESS[1]、1968年以降INSEE[2][3]

ゆかりの人物

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姉妹都市

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脚注

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